石造美術の偈頌(げじゅ)   

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写真:河合 哲雄

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偈頌(げじゅ)索引

塩船観音寺 種子板碑(市指定文化財、鎌倉時代後期 文永四年 1296年、東京都青梅市)

法華経化城喩品に出る偈(げ)

偈(げ):「願以此功徳(がんにしくどく) 普及於一切(ふぎゅうおいっさい) 我等与衆生(がとうよしゅじょう) 皆共成仏道(かいぐじょうぶつどう

[ 願わくばこの功徳をもって、あまねく一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜん ]

  石仏と石塔-更新履歴と参考文献!

凡例 :  国宝   重要文化財   府・県指定文化財・県史跡   市・町指定文化財  史跡  重要美術品  指定なし

か行

指定 名       称 制  作  年 所    在    地
「我覚本不生(ががくほんぶしょう)、出過言語道(すいかごんごどう)、緒過得解脱(しょかとくげだつ)
                            遠離於因縁(おんりおいんねん)、知空等虚空(ちくうとうこくう)出典:大日経)
[ 我れ本不生(ほんぶしょう)を覚(さと)り、言語の道を出過(すいか)する。諸々の過ちを解脱し、因縁を遠離する。空は虚空と等しきを知れり。]
[ 本不生(ほんぶしょう):生も滅も越えた宇宙の本源。絶対の真実。]
がが 山口家(やまぐちけ)石塔婆(断碑)  貞治六年(1367年) 宮城県石巻市東福田字馬場
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「我既往生彼国邑(がきおうじょうひこくゆう)、現前成就次第願(げんぜんじょうじゅしだいがん)
              一切円満尽無余(いっさいえんまんじんむよ)、利益一切衆生界(りやくいっさいしゅじょうかい)(出典:涅槃経)
[ 我(普賢菩薩)は既に彼国(極楽浄土)に往生して、眼前に此の大願(普賢菩薩の十大願)を成就し、一切円満にして余す所なく、すべての衆生界を利益せん。]
がき 永厳寺(えいがんじ)釈迦三尊種子板碑  建治元年(1275年) 宮城県石巻市羽黒町1-1-27
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「我今依於大教主(がこんえおだいきょうしゅ)、遍照如来成道法(へんじょうにょらいじょうどうほう)、
            若能依此勝義修(にゃくのうえししょうぎしゅ)、現世得成無上覚(げんせとくじょうむじょうがく)(出典未詳)
[ 我れ今、大教主(大日如来)により、遍照如来の道法を成ず。もしよく此の勝義を修ずれば、現世に無上覚(悟りをひらくこと)を成じうる ]
がこ 丹生都比売(にうつひめ)神社 五輪卒塔婆  延元元年(1336年) 和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230
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「我此土安穏(がしどあんのん)、天人常充満(てんにんじょうじゅうまん)         (出典:法華経如来寿量品
[ わがこの仏国土は安穏にして、天・人、常に充満せり。 ]
がしど 定善寺(じょうぜんじ)(偈頌)題目板碑  紀年銘なし 宮崎県日向市大字財光寺7295
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「我之名号(がしみょうごう)、一経其耳(いっきょうごに)、衆病悉除(しゅびょうしつじょ)、心身安楽(しんじんあんらく)(出典:薬師経)
[ わが薬師如来の名号が、一たびその耳に経たなれば、諸病ことごとく除かれ、心身安楽なり ]
がしみ 円城寺(えんじょうじ)薬師如来図像板碑  嘉暦三年(1328年) 埼玉県比企郡小川町大字青山654
がしみ 寺崎(てらさき)三尊種子石塔婆  至徳二年(1385年) 宮城県石巻市大瓜字寺崎
がしみ 多福院(たふくいん)山門脇 薬師種子石塔婆  明徳二年(1391年) 宮城県石巻市吉野 1-4-9
がしみ 高木(たかぎ)観音堂 薬師種子石塔婆  応永五年(1398年) 宮城県石巻市高木字竹下
がしみ 寺崎(てらさき)釈迦種子石塔婆  永享五年(1433年) 宮城県石巻市大瓜字寺崎
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我従久遠来(がじゅうくおんらい)、教化是等衆(きょうけぜとうしゅ)            (出典:法華経 従地涌出品)
[ われは久遠(くおん)より来(このかた)、これ等の衆を教化(きょうけ)せしなり ]
がじゅ 本善寺(ほんぜんじ)題目板碑  寛永十年(1633年) 宮崎県日向市日知屋1397-1
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「我等諸宮殿(がとうしょくうでん)、光明甚威曜(こうみょうじんいよう)、此非無因縁(しひむいんねん)、是相宜求之(ぜそうぎぐし)

過於百千劫(かおひゃくせんごう)、未曾見是相(みぞうけんぜそう)、為大徳天生(いだいとくてんしょう)、為仏出世間(いぶつしゅつせけん)
       [ 我等が諸々の宮殿は、光明甚だ たけく輝く。此れ因縁無きにあらず、この姿は宜しく之を求むべし。百千劫を過ぎ
るとも、未だかってこの姿を見ず。之は大徳ある天が生まれたのであろうか、仏が世間に出られたのであろうか ](出典:法華経化城喩品)
がと 稲葉崎(いなばさき)二尊種子板碑(黄金塔)  暦応二年(1339年) 鹿児島県姶良郡湧水町稲葉崎
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「観我大日(かんがだいにち)、無疑惑者、現在生間、頓断無明」    (出典:五輪九字明秘密釈)
[ 我は大日と観ず。疑惑無き者は、現在生の間に、すみやかに無明(むみょう)を断ずべし ](読みは「興教大師撰述集」)
がんが 多福院(たふくいん)大日堂脇 石塔婆  南北朝~室町時代 宮城県石巻市吉野 1-3-15
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「願成仏道(がんじょうぶつどう)、令衆亦尓(りょうしゅやくに)(出典:法華経安楽行品)
[ 願わくば仏道を成じて、衆生をしてまたしからしめんことを ]
がんじ 浄蓮寺(じょうれんじ)七基連刻板碑  文禄四年(1595年 埼玉県秩父郡東秩父村御堂362
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「願以此功徳(がんにしくどく)、平等施一切(びょうどうせいっさい)、同発菩提心(どうほつぼだいしん)、往生安楽国(おうじょうあんらくこく)

[ 願わくば此の功徳をもって、あまねく一切に施し、同じく菩提心をおこして、安楽国に往生せん。]出典:観無量寿経疏 四巻)

がんに 普門寺(ふもんじ)阿弥陀一尊種子板碑  文永四 年(1267年) 埼玉県加須市南篠崎942
がんに 川田堂園(かわだどうぞの)角塔婆(榮尊塔)  永仁五年(1297年) 鹿児島県鹿児島市川田町1238
がんに 長慶寺(ちょうけいじ)阿弥陀種子板碑  嘉暦年間(1326~29) 埼玉県東松山市神戸1678
がんに 慈恩院(じおんいん)胎蔵界大日種子石塔婆  鎌倉時代後期 宮城県石巻市吉野 1-3-15
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「願以此功徳(がんにしくどく)、普及於一切(ふぎゅうおいっさい)、我等与衆生(がとうよしゅじょう)、皆共成仏道(かいぐじょうぶつどう
[ 願わくばこの功徳をもって、あまねく一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜん ]出典:法華経化城喩品)
がんに 普門寺(ふもんじ)阿弥陀一尊種子板碑  正元二年(1260年) 埼玉県加須市南篠崎942
がんに 大福寺(だいふくじ)交名(きょうみょう)板碑  文永四年(1267年) 埼玉県加須市谷田ケ谷1110
がんに みろくの辻弥勒磨崖仏  文永十一年(1274年) 京都府木津川市加茂町岩船三大
がんに 大英寺(だいえいじ)阿弥陀一尊種子板碑  文永十二年(1275年) 埼玉県加須市騎西1404
がんに 盛徳寺(じょうとくじ)地蔵図像板碑  文永年間(1264~75年) 埼玉県行田市埼玉1118
がんに 兼平(かねひら)天満宮 阿弥陀種子石塔婆  永仁四年(1296年) 青森県弘前市大字兼平字山下
がんに 塩船観音寺(しおふねかんのんじ)種子板碑  永仁四年(1296年) 東京都青梅市塩船194
がんに 興禅寺(こうぜんじ)阿弥陀種子板碑 正安二年(1300年) 埼玉県入間郡越生町西和田849
がんに 弥勒寺(みろくじ)胎蔵界大日種子石塔婆  徳治二年(1307年) 宮城県登米市中田町上沼字弥勒寺 寺山63
がんに 中別所(なかべっしょ)金剛界大日三尊種子石塔婆  正和二年(1313年) 青森県弘前市中別所字葛野(石仏)
がんに 中別所(なかべっしょ)金剛界大日種子石塔婆  鎌倉時代後期 青森県弘前市中別所字葛野(石仏)
がんに 仏教寺(ぶっきょうじ)宝篋印塔  文和三年(1354年) 岡山県久米郡久米南町仏教寺84
がんに 野上下郷(のがみしもごう)釈迦一尊種子板碑  応安二年(1369年) 埼玉県秩父郡長瀞町野上下郷39
がんに 上田朝直(うえだともなお)建立 題目板碑 元亀二年(1571年) 埼玉県東松山市神明町1-12
がんに 満福寺(まんぷくじ)参道 宝篋印塔 延享元年(1744年) 兵庫県養父市十二所724

指定 名       称 制  作  年 所    在    地
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「帰命月天子(きみょうがつてんし)、本地大勢至(ほんじだいせいし)」、「為度衆生故(いどしゅじょうこ)、普照四天下(ふしょうしてんげ)
[ 月天子の本地大勢至に帰命し奉(たてまつ)る。大勢至は衆生を済度するがための故に、あまねく 四天下を照らす。 ] (出典未詳)
きみ 浦和(うらわ)博物館 勢至図像月待板碑(Ⅰ)  文明十七年(1485年) 埼玉県さいたま市緑区三室2458
きみ 浦和(うらわ)博物館 勢至図像月待板碑(Ⅱ)  文明十七年(1485年) 埼玉県さいたま市緑区三室2458
きみ 徳蔵寺(とくぞうじ)阿弥陀三尊種子 月待板碑  文明十口年(1478~87年) 東京都東村山市諏訪町1-26-3
きみ 願生寺(がんしょうじ)阿弥陀三尊図像 月待板碑  室町時代 埼玉県さいたま市岩槻区本町3-15-12
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「帰命本覚真(心)法身(きみょうほんがくしんほうしん)、常住妙法心蓮台(じょうじゅうみょうほうしんれんだい)
本来具足三身徳(ほんらいぐそくさんしんとく)、三十七尊住心城(さんじゅうしちそんじゅうしんじょう)(出典:蓮華三昧経)
[ 本覚心の法身(大日如来)に帰命し奉る。常に妙法の心蓮台に住し、もとよりこのかた法身・報身・応身の三身徳をそなえ、三十七尊の心城に住す ]
きみ 東根(ひがしね)石造宝塔  元久元年(1204年) 栃木県下野市東根5-1
きみ 薬王寺(やくおうじ)弘安四年銘 断碑 弘安四年(1281年) 埼玉県比企郡吉見町中新井
きみ 崇徳寺跡 胎蔵界大日種子板碑  延慶三年(1310年) 埼玉県入間郡毛呂山町川角1098
きみ 興禅寺(こうぜんじ)金剛界大日種子板碑 建武元年(1334年) 埼玉県入間郡越生町西和田849
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「行々至円寂(ぎょうぎょうしえんじゃく)、去々入原初(ここにゅうげんしょ)、三界如客舎(さんがいにょかくしゃ)、一心是本居(いっしんぜほんこ)
[ 行き行きて円寂(涅槃)に至り、去去として原初に入る。三界は客舎(仮の住い)のごとく、自心のみが本覚の住いである ](出典:般若心経秘鍵)
ぎょう 山根(やまね)六角塔婆(六面石幢)  貞和二年(1346年) 埼玉県入間郡毛呂山町宿谷39-1
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「孝養父母心(きょうようぶもしん)、功徳最第一(くどくさいだいいち)、是心発起者(ぜしんほっきしゃ)、成就自然智(じょうじゅじねんち)
[ 父母を孝養する心は、功徳最第一なり。この心を起せば、自然に悟りを成就すべし ]
きょう 般若寺(はんにゃじ)笠塔婆  弘長元年(1261年) 奈良県奈良市般若寺町221
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「敬禮虚空蔵( きょうらいこくぞう)、能満諸勝願(のうまんしょしょうがん)、獲得無尽蔵(かくとくむじんぞう)、寿命倶(月弖)(じゅみょうぐちこう)
(出典未詳)、(月弖)は一字で、致とも胝とも書く
[ 虚空蔵菩薩を礼拝すれば、諸々のすぐれた願を満たしてくれ、無尽蔵の福徳をうけることができ、寿命の長きことも限りがない ]
きょう 保月六面石幢(ほづきろくめんせきどう)  嘉元四年(1306年) 岡山県高梁市有漢町上有漢9167

指定 名       称 制  作  年 所    在    地
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「弘誓多聞四十八(ぐぜいたもんしじゅうはち)、偏(遍)標念佛最為真(親)、人能念佛佛還憶(念)、専心想佛佛知人」 ( )は、出典記載の文字。
        [ 法蔵菩薩(阿弥陀)の誓願は多聞にして四十八なれど、偏(ひと)えに念仏を標(ひょう)ずれば最も真(しん)となる。
  人よく仏(阿弥陀仏)を念ずれば、仏また人を憶(おも)う。専心に仏を想(おも)えば、仏は人をよく知りたもう。 ]
( )は、出典記載の文字で、板碑とは三字異なる。〈 出典:転経行道願往生浄土法事賛(てんぎょうぎょうどうがんがんおうじょうじょうどほうじさん) 巻上 〉
ぐぜ 峯薬師堂(みねやくしどう)阿弥陀三尊種子二連板碑  文永十二年(1275年) 宮城県角田市藤田字峯206
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「具足神通力(ぐそくじんづうりき)、広修智方便こうしゅうちほうべん、十方諸国土(じっぽうしょこくど)、無刹不現身(むせつふげんしん)
(出典:法華経 観世音菩薩普門品)
[ (観音菩薩は)神通力を具足し、広く智慧とその発揮の手段を修して、十方の諸国土において、のこらず、その姿が見られる。 ]
ぐそ 長谷寺(ちょうこくじ)観音種子石塔婆   紀年不明 宮城県石巻市真野字萱原2

指定 名       称 制  作  年 所    在    地
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「化一切衆生(けいっさいしゅじょう)、界令入仏道(かいりょうにゅうぶつどう)     (出典:法華経方便品)
[一切の衆生を化(け)して、皆、仏道に入らしむ]
けい 玉蓮寺(ぎょくれんじ)釈迦一尊種子板碑  嘉元二年(1304年) 埼玉県本庄市児玉町児玉203
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「華厳如来(けごんにょらい) 成正覚時  於其身中  普見一切  衆生成正」   出典:華厳経(正式名称:大方広仏華厳経)
[ 華厳如来は、正覚を成ずる時、其の身中に於いて、もれなくすべてに及んで、衆生が正覚を成ずるのを見たもう。 ]
けご 東光寺(とうこうじ)西平場 胎蔵界大日種子石塔婆  嘉暦二年(1327年) 宮城県仙台市宮城野区岩切字入山22
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「見我身者発菩提心(けんがしんしゃほつぼだいしん)、聞我名者断悪修善(もんがみょうしゃだんなくしゅぜん)
聴我説者得大智慧(ちょうがせっしゃとくだいちえ)、知我心者即身成仏(ちがしんしゃそくしんじょうぶつ)(出典:不動経)
[ 我が身(不動明王)を見る者は、菩提心(悟りを求める心)をおこし、我が名を聞くものは、悪を断ち善を修し、
我が説法を聴くものは、大いなる知恵を得、我が心を知るものは、即身に成仏せん。 ]
けんが 西山光照寺跡 不動石仏  天文二年(1533年) 福井県福井市阿波賀町
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「乾坤無卓孤笻地(けんこんむたくこきょうち)、只喜人空法亦空(しきにんくうほうやくくう)、
珎重大元三尺剣(ちんちょうだいげんさんせきけん)、電光影裏析春風(でんこうえいりせきしゅんぷう)(出典:「臨剣頌」(りんけんしょう)の偈)
[ 天地の間一本の杖を立つる地もなし、ただ喜ぶべきは人間本来空、諸法もまた空、大元三尺の剣を珍重するも、電光の瞬時に春風を斬るがごとし]
けんこ 円照寺(えんしょうじ)三尊種子板碑  元弘三年(1333年) 埼玉県入間市野田158
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「現在未来天人衆(げんざいみらいてんにんしゅう)、吾今慇懃付属汝(ごこんいんぎんふしょくにょ)、
以大神通方便力(いだいじんづうほうべんりき)、勿令堕在諸悪趣(もつりょうだざいしょあくしゅ)(出典:地蔵本願経)
[ 現在未来の天界・人界の衆よ、われ今ねんごろに汝に付属し、大神通(だいじんづう)の方便を以てすくわん。諸々の悪趣に(人々)をおとしむるなかれ]
げんざ 向田野浦(むこうたのうら)地蔵磨崖仏(磨崖和霊石地蔵)   正安二年(1300年) 広島県三原市鷺浦町向田野浦
げんざ 有年楢原(うねならばら))地蔵板碑   延文三年(1358年) 兵庫県赤穂市有年楢原379
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「現世安穏(げんぜあんのん)、後生善処(ごしょうぜんしょ)  (出典:法華薬草喩品)
[ 現世は安穏にして、後には弥陀の浄土に生ぜんことを ]
げんぜ 来迎寺(らいこうじ)石造宝塔  応長二年(1312年) 三重県伊賀市上友田3396
げんぜ 国吉(くによし)金剛界大日種子石塔婆 嘉暦四年(1329) 青森県弘前市国吉字村元
げんぜ 関(せき)釈迦三尊種子自然石塔婆  貞和二年(1346年) 青森県西津軽郡深浦町関字栃沢
げんぜ 三世寺(さんせじ) 金剛界大日種子自然石塔婆  文和五年(1356年) 青森県弘前市大字三世寺字色吉39
げんぜ 熊野速玉(くまのはやたま)大社胎蔵界大日種子板碑  応安年間(1368~75年) 和歌山県日新宮市新宮1番地
げんぜ 不動院跡(ふどういんあと)釈迦・十仏 種子板碑   永和五年(1379年) 千葉県香取市山之辺
げんぜ 阿弥陀寺(あみだじ)五輪塔  天授五年(1379年、南朝) 和歌山県橋本市御幸辻12
げんぜ 関(せき)一尊種子種子自然石塔婆  永徳元年(1381年) 青森県西津軽郡深浦町関字栃沢
げんぜ 山口家(やまぐちけ)阿弥陀種子石塔婆  永享五年(1433年) 宮城県石巻市東福田字馬場
げんぜ 長谷寺(ちょうこくじ)五尊種子石塔婆 永享六年(1434年) 宮城県石巻市真野字萱原2
げんぜ 多福院(たふくいん)山門脇 地蔵種子石塔婆  嘉吉三年(1443年) 宮城県石巻市吉野 1-4-9
げんぜ 定善寺(じょうぜんじ)題目板碑  元亀三年(1572年) 宮崎県日向市大字財光寺7295
げんぜ 浄蓮寺(じょうれんじ)七基連刻板碑  文禄四年(1595年) 埼玉県秩父郡東秩父村御堂362
げんぜ 妙顕寺(みょうけんじ) 題目板碑 慶長三年(1598年) 埼玉県戸田市大字新曽1707

指定 名       称 制  作  年 所    在    地
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「光明遍照(こうみょうへんじょう)、十方世界(じっぽうせかい)、念仏衆生(ねんぶつしゅじょう)、摂取不捨(せっしゅふしゃ)
[ 光明はあまねく十方世界を照らし、念仏の衆生をば摂取して捨てたまわず ]   (出典:観無量寿経
こう 香林寺(こうりんじ)仁治二年銘 図像板碑  仁治二年(1241年) 埼玉県東松山市宮鼻144
こう 新井家(あらいけ)阿弥陀種子板碑 仁治二年(1241年) 埼玉県東松山市大字正代832
こう 金乗寺(こんじょうじ)阿弥陀一尊 図像板碑  仁治三年(1242年)(双) 埼玉県鴻巣市小谷1507
こう 国性寺(こくしょうじ)阿弥陀一尊種子板碑  建長元年(1249年) 埼玉県熊谷市中奈良1310-1
こう 来迎寺(らいごうじ)阿弥陀種子板碑 建長八年(1256年) 埼玉県所沢市山口1392
こう 金道院(こんどういん)阿弥陀種子板碑(断碑)  建長八年(1256年) 埼玉県加須市平永101-1
こう 地福寺(じふくじ)金剛界大日一尊種子板碑  正元元年(1259年) 千葉県香取市大戸594
こう 成就院(じょうじゅいん)阿弥陀種子板碑 弘長三年(1263年) 埼玉県加須市道地1570
こう 真福寺(しんぷくじ)文永五年銘 断碑 文永五年(1268年) 埼玉県さいたま市北区今羽町106
こう 宝勝寺(ほうしょうじ)阿弥陀一尊種子板碑  文永五年(1268年) 群馬県甘楽郡甘楽町大字金井375
こう 浄土寺(じょうどじ)阿弥陀一尊種子板碑  文永八年(1271年) 千葉県香取市大戸川35
こう 普門寺(ふもんじ)阿弥陀一尊種子種子板碑  文永九年(1272年) 埼玉県加須市南篠崎942
こう 大英寺(だいえいじ)阿弥陀一尊種子板碑  文永十二年(1275年) 埼玉県加須市騎西1404
こう 専福寺(せんぷくじ)阿弥陀種子板碑  弘安元年(1278年) 宮城県角田市角田字裏林43
こう 大英寺(だいえいじ)阿弥陀三尊種子断碑  弘安元年(1278年) 埼玉県加須市騎西1404
こう 福現寺(ふくげんじ)阿弥陀種子石塔婆  弘安三年(1280年) 宮城県栗原市高清水中町38
こう 川田堂園(かわだどうぞの)角塔婆(榮尊塔)    永仁五年(1297年) 鹿児島県鹿児島市川田町1238
こう 浄土寺(じょうどじ)大日・阿弥陀二尊種子板碑   永仁六年(1298年) 千葉県香取市大戸川35
こう 地蔵院(じぞういん)大日種子二連板碑  乾元二年(1303年) 千葉県香取市新市場87
こう 智福寺(ちふくじ)阿弥陀一尊種子板碑  嘉元三年(1305年) 埼玉県入間郡毛呂山町西大久保148
こう 嘉元(かげん)の板碑 (阿弥陀種子板碑)  嘉元四年(1306年) 埼玉県入間郡毛呂山町葛貫字大石仏
こう 落合(おちあい)観音堂阿弥陀種子石塔婆  延慶三年(1310年) 宮城県仙台市太白区四郎丸字落合59
こう 長福寺(ちょうふくじ)阿弥陀三尊種子板碑  延慶三年(1310年) 埼玉県さいたま市北区別所町98-6
こう 大福寺(だいふくじ)阿弥陀一尊種子断碑  延慶四年(1311年) 埼玉県加須市谷田ケ谷1110
こう 葵(あおい)八幡 阿弥陀図像板碑  鎌倉時代後期(1311年) 群馬県藤岡市本郷字道中郷1369-1
こう 中浅羽墓地(なかあさばぼち)阿弥陀種子板碑 応長二年(1312年) 埼玉県坂戸市浅羽
こう 南貞院(なんていいん)阿弥陀三尊種子自然石塔婆  正和元年(1312年) 青森県弘前市高杉山下208
こう 中別所(なかべっしょ) 金剛界大日種子石塔婆  正和二年(1313年) 青森県弘前市中別所字葛野(公卿塚)
こう 徳蔵寺(とくぞうじ)阿弥陀三尊種子断碑 正和三年(1314年) 東京都東村山市諏訪町1-26-3
こう 四本木(しほんぎ)の板碑 (阿弥陀種子板碑) 正和三年(1314年) 埼玉県日高市大字原宿103
こう 徳蔵寺(とくぞうじ)阿弥陀種子板碑  文保二年(1318年) 東京都東村山市諏訪町1-26-3
こう 塩船(しおふね)観音寺阿弥陀三尊種子板碑  元亨二年(1322年) 東京都青梅市塩船194
こう 地福寺(じふくじ)阿弥陀一尊種子断碑  元亨二年(1322年) 千葉県香取市大戸594
こう 塩船(しおふね)観音寺阿弥陀三尊種子板碑  正中二年(1325年) 東京都青梅市塩船194
こう 青鳥(おおどり)城跡 阿弥陀種子名号複合板碑  正中三年(1326年) 埼玉県東松山市石橋1310
こう 大龍寺(だいりゅうじ)阿弥陀・十仏 種子板碑  嘉暦四年(1329) 千葉県香取市与倉1012
こう 長慶寺(ちょうけいじ)阿弥陀種子板碑 嘉暦年間(1326~29) 埼玉県東松山市神戸1678
こう 金子家(かねこけ) 阿弥陀三尊種子板碑(Ⅰ) 元弘三年(1333年) 埼玉県朝霞市根岸台8丁目
こう 松沢(まつざわ)八幡神社 阿弥陀三尊種子板碑   元弘三年(1333年) 山形県南陽市松沢411
こう 玉洞院(ぎょくどういん)阿弥陀三尊図像板碑.  鎌倉時代 埼玉県熊谷市妻沼2404
こう 向徳寺(こうとくじ)阿弥陀一尊種子板碑  建武四年(1337年) 埼玉県比企郡嵐山町大蔵635
こう 高木(たかぎ)観音堂 阿弥陀三尊種子石塔婆  興国元年(1340年)(南朝) 宮城県石巻市高木字竹下
こう 長泉院(ちょうせんいん)梵字五輪塔石塔婆  興国四年(1343年)(南朝) 宮城県石巻市東福田字沢向55-1
こう 岩屋寺(いわやじ)笠塔婆  貞和三年(1347年) 山口県周南市下上(しもかみ)岩屋2215
こう 知足院(ちそくいん)阿弥陀・十仏 種子板碑  延文三年(1358年) 千葉県香取市本矢作1012-1
こう 徳蔵寺 阿弥陀三尊種子板碑 二基(比翼碑) 延文四年(1359年)(双) 東京都東村山市諏訪町1-26-3
こう 勝願寺(しょうがんじ)六地蔵図像板碑(断碑)  康安二年(1362年) 埼玉県鴻巣市登戸369
こう 徳蔵寺(とくぞうじ)応安七年銘 断碑 応安七年(1374年) 東京都東村山市諏訪町1-26-3
こう 金道院(こんどういん)阿弥陀一尊種子板碑  応安七年(1374年) 埼玉県加須市平永101-1
こう 塩船(しおふね)観音寺阿弥陀一尊種子板碑.  永和二年(1376年) 東京都青梅市塩船194
こう 法願寺(ほうがんじ)阿弥陀一尊種子板碑 康暦三年(1381年) 埼玉県さいたま市西区大字高木446
こう 徳蔵寺(とくぞうじ)阿弥陀一尊種子板碑  永徳元年(1381年) 東京都東村山市諏訪町1-26-3
こう 長福寺(ちょうふくじ)阿弥陀種子板碑  嘉慶三年(1389年) 埼玉県さいたま市北区別所町98-6
こう 願成寺(がんじょうじ)荘厳体阿弥陀種子板碑   南北朝時代 埼玉県飯能市大字川寺688-1
こう 大英寺(だいえいじ)名号板碑残欠  南北朝時代 埼玉県加須市騎西1404
こう 法願寺(ほうがんじ)阿弥陀一尊種子板碑  明徳四年(1393年) 埼玉県さいたま市西区大字高木446
こう 清谷寺(せいこくじ)阿弥陀三尊種子板碑 文明二年(1470年) 東京都中野区沼袋3-21-7
こう 延命寺(えんめいじ)阿弥陀三尊種子板碑 文明十九年(1487年) 東京都板橋区志村1-21-12
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「極重悪人(ごくじゅうあくにん)、無他方便(むたほうべん)、唯称念仏(ゆいしょうねんぶつ)、得生極楽(とくしょうごくらく)
[ 極重悪人には他の方便(てだて)なし、ただ念仏をとなえれば、極楽に生まれることができる ] (出典:往生要集)
ごくじ 乗蔵院(じょうぞういん)阿弥陀一尊種子板碑.  建長五年(1253年) 埼玉県加須市南大桑3342
ごくじ 龍興寺(りゅうこうじ)文永二年銘板碑   文永二年(1265年) 埼玉県加須市上崎1890
ごくじ 鹿嶋(かしま)神社 阿弥陀三尊種子板碑  弘安元年(1278年) 宮城県大崎市古川引田字鹿島89
ごくじ 天寿庵(てんじゅあん)阿弥陀三尊種子板碑  弘安二年(1279年) 宮城県大崎市古川堤根字上屋敷
ごくじ 光明寺(こうみょうじ)阿弥陀三尊種子板碑  暦応四年(1341年) 千葉県印西市小林1841
ごくじ 慈恩院(じおんいん)胎蔵界大日種子石塔婆  応永十四年(1407年) 宮城県石巻市吉野 1-3-15
ごくじ 霊巌院(れいがんいん)阿弥陀三尊石仏  永享二年(1430年) 奈良県奈良市林小路町36
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「極楽不遠(ごくらくふおん)、眼前境界(げんぜんきょうかい)、弥陀在近(みだざいごん)、我性心蓮(がしょうしんれん) (出典:未詳)
[ 極楽は遠くにあるのではなく、眼前の世界にある。阿弥陀も、また近くにいる。これは、すべて我が清淨な心によるのである ]
ごくら 普門寺(ふもんじ)阿弥陀一尊種子板碑  正応五年(1292年) 埼玉県加須市南篠崎942
ごくら 倉ノ迫(くらのはざま)観音種子石塔婆 永徳三年(1383年) 宮城県石巻市東福田字小枝
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「故知弥陀(こちみだ)、極楽世界(ごくらくせかい)濁悪衆生(じょくあくしゅじょう)猶有因縁(ゆういんねん)
[ 故に知る、阿弥陀の極楽世界、濁悪の世の衆生にも、なお因縁あることを ] (出典:未詳)
こち 宝勝寺(ほうしょうじ)阿弥陀一尊種子板碑  文永五年(1268年) 群馬県甘楽郡甘楽町大字金井375
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「其中衆生(ごちゅうしゅじょう)、悉是吾子(しつぜごし)      (出典:法華経 譬喩品)
[ その中の衆生は、悉(ことごと)く これ吾(わ)が子なり。]    
ごち 本善寺(ほんぜんじ)題目板碑 紀年銘なし 宮崎県日向市日知屋1379-1
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「其中諸衆生(ごちゅうしょしゅじょう)、一切皆悉見(いっさいかいしつけん)、雖未得天眼(すいびとくてんげん)、肉眼力如此(にくげんりきにょし)
[ その中の諸々の衆生を、一切皆、悉(ことごと)く見る。まだ天眼(てんげん)を得ずと雖(いえど)も、肉眼の力かくの如し。 ](出典:法華経 法師功徳品)
ごち 仙台大神宮 不動種子石塔婆(蒙古の碑) 弘安四年(1281年) 宮城県仙台市青葉区片平1-3-6
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「其仏本願力(ごぶつほんがんりき)、聞名欲往生(もんみょうよくおうじょう)、皆悉到彼国(かいしつとうひこく)、自致不退転(じちふたいてん)
[ その仏(阿弥陀如来)の本願力により、名を聞いて往生せんと欲すれば、皆ことごとく彼の国(極楽)に到りて、おのずから不退転に致らん ](出典:無量寿経)
ごぶ 観音寺(かんのんじ)阿弥陀種子板碑  建長五年(1253年) 埼玉県戸田市大字新曽1707
ごぶ 光明寺(こうみょうじ)阿弥陀種子板碑  鎌倉時代中期 神奈川県鎌倉市材木座6-17-19
ごぶ 法願寺(ほうがんじ)正安四年銘断碑  正安四年(1302年) 埼玉県さいたま市西区大字高木446
ごぶ 葵(あおい)八幡 阿弥陀図像板碑  鎌倉時代後期(1311年) 群馬県藤岡市本郷字道中郷1369-1
ごぶ 徳蔵寺(とくぞうじ)阿弥陀三尊種子断碑  延文五年(1360年) 東京都東村山市諏訪町1-26-3
ごぶ 高木(たかぎ)観音堂 金剛界大日種子石塔婆  文明十二年(1480年) 宮城県石巻市高木字竹下
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「今此三界(こんしさんがい)、皆是我有(かいぜがう)、其中衆生(ごちゅうしゅじょう)、悉是吾子(しつぜごし) (出典:法華経 譬喩品)
[ 今、この三界(欲界・色界・無色界)はみなこれ我が有するところ、その中の衆生はことごとく我が子なり ]
こんし 高野山(こうやさん)第六十一町石五輪卒塔婆  鎌倉時代中期 和歌山県伊都郡高野町花坂
こんし 徳蔵寺(とくぞうじ)嘉元元年銘 断碑  嘉元元年(1303年) 東京都東村山市諏訪町1-26-3
こんし 国吉(くによし)阿弥陀三尊種子石塔婆  文保元年(1317年) 青森県弘前市国吉字村元
こんし 徳林寺墓地(とくりんじぼち)阿弥陀種子板碑  元応二年(1320年) 埼玉県狭山市入間川2-3-11
こんし 国吉(くによし)金剛界大日種子石塔婆  嘉暦四年(1329) 青森県弘前市国吉字村元
こんし 鳥屋(とや)神社 地蔵種子石塔婆  鎌倉後期~南北朝時代 宮城県石巻市旭町
こんし 三世寺(さんせじ) 金剛界大日種子自然石塔婆  文和五年(1356年) 青森県弘前市大字三世寺字色吉39
こんし 関(せき)金剛界大日種子自然石塔婆  南北朝時代前期 青森県西津軽郡深浦町関字栃沢
こんし 関(せき)胎蔵界大日種子自然石塔婆  南北朝時代 青森県西津軽郡深浦町関字栃沢
こんし 関(せき)阿弥陀種子自然石塔婆  南北朝時代 青森県西津軽郡深浦町関字栃沢
こんし 山口家(やまぐちけ)石塔婆(断碑)  応永八年(1401年) 宮城県石巻市東福田字馬場
こんし 山口家(やまぐちけ)観音種子石塔婆  応永十六年(1409年) 宮城県石巻市東福田字馬場
こんし 山口家(やまぐちけ)虚空蔵種子石塔婆  応永年間(1394~1428年) 宮城県石巻市東福田字馬場
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「今以何因縁(こんにがいんねん)、我等諸宮殿(がとうしょくうでん)、威徳光明曜(いとくこうみょうよう)、厳飾未曾有(ごんじきみぞう)、

如是之妙相(にょぜしみょうそう)、昔所未聞見(しゃくしょみもんけん)、為大徳天生(いだいとくてんしょう)、為仏出世間(いぶつしゅつせけん)

[ 今、何の因縁をもって、我等が諸々の宮殿は、威徳ある光明に輝き、厳かに飾られること未曾有である。かくの如き妙相は、           
昔よりいまだ聞いたことも見たこともない。大徳ある天が生まれたのであろうか、仏が世間に出られたのであろうか ](出典:法華経化城喩品)
こんに 稲葉崎(いなばさき)二尊種子板碑(黄金塔) 暦応二年(1339年) 鹿児島県姶良郡湧水町稲葉崎

法華経 譬喩品に出る偈

偈(げ):其中衆生(ごちゅうしゅじょう)、悉是吾子(しつぜごし)

[ その中の衆生は、悉(ことごと)く これ吾(わ)が子なり。]


青鳥城跡 阿弥陀種子名号複合板碑 (市指定文化財、鎌倉時代後期 正中三年 1326年、埼玉県東松山市

観無量寿経に出る偈(げ)

偈(げ):「光明遍照(こうみょうへんじょう)、十方世界(じっぽうせかい)」「念仏衆生(ねんぶつしゅじょう)、摂取不捨(せっしゅふしゃ)

[ 光明はあまねく十方世界を照らし、念仏の衆生をば摂取して捨てたまわず。]

 偈頌(げじゅ) さ行

                                                           石仏と石塔-目次!     

 

  参考文献と更新履歴!

分類別目次 層   塔 宝塔・多宝塔 宝篋印塔 五 輪 塔 石仏(せきぶつ) 笠塔婆
板碑(いたび) 石燈籠 石  碑 石幢(せきどう) 石鳥居 その他 名品
項  目 伊派 石大工 偈頌(げじゅ) 光明真言(関東板碑) 格狭間の形 - -

写真:Tetsuo Kawai