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写真:河合 哲雄
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偈頌(げじゅ)索引
塩船観音寺 種子板碑(市指定文化財、鎌倉時代後期 文永四年 1296年、東京都青梅市)
法華経化城喩品に出る偈(げ)
偈(げ):「願以此功徳(がんにしくどく) 普及於一切(ふぎゅうおいっさい) 我等与衆生(がとうよしゅじょう) 皆共成仏道(かいぐじょうぶつどう」
[ 願わくばこの功徳をもって、あまねく一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜん ]
凡例 : 国宝 重要文化財 府・県指定文化財・県史跡 市・町指定文化財 史跡 重要美術品 指定なし |
か行
か | 指定 | 名 称 | 制 作 年 | 所 在 地 |
「我覚本不生(ががくほんぶしょう)、出過言語道(すいかごんごどう)、緒過得解脱(しょかとくげだつ)、 | ||||
遠離於因縁(おんりおいんねん)、知空等虚空(ちくうとうこくう)」(出典:大日経) | ||||
[ 我れ本不生(ほんぶしょう)を覚(さと)り、言語の道を出過(すいか)する。諸々の過ちを解脱し、因縁を遠離する。空は虚空と等しきを知れり。] | ||||
[ 本不生(ほんぶしょう):生も滅も越えた宇宙の本源。絶対の真実。] | ||||
がが | 山口家(やまぐちけ)石塔婆(断碑) | 貞治六年(1367年) | 宮城県石巻市東福田字馬場 | |
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「我既往生彼国邑(がきおうじょうひこくゆう)、現前成就次第願(げんぜんじょうじゅしだいがん)、 | ||||
一切円満尽無余(いっさいえんまんじんむよ)、利益一切衆生界(りやくいっさいしゅじょうかい)」(出典:涅槃経) | ||||
[ 我(普賢菩薩)は既に彼国(極楽浄土)に往生して、眼前に此の大願(普賢菩薩の十大願)を成就し、一切円満にして余す所なく、すべての衆生界を利益せん。] | ||||
がき | 永厳寺(えいがんじ)釈迦三尊種子板碑 | 建治元年(1275年) | 宮城県石巻市羽黒町1-1-27 | |
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「我今依於大教主(がこんえおだいきょうしゅ)、遍照如来成道法(へんじょうにょらいじょうどうほう)、 | ||||
若能依此勝義修(にゃくのうえししょうぎしゅ)、現世得成無上覚(げんせとくじょうむじょうがく)」(出典未詳) | ||||
[ 我れ今、大教主(大日如来)により、遍照如来の道法を成ず。もしよく此の勝義を修ずれば、現世に無上覚(悟りをひらくこと)を成じうる ] | ||||
がこ | 丹生都比売(にうつひめ)神社 五輪卒塔婆 | 延元元年(1336年) | 和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230 | |
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「我此土安穏(がしどあんのん)、天人常充満(てんにんじょうじゅうまん)」 (出典:法華経如来寿量品) | ||||
[ わがこの仏国土は安穏にして、天・人、常に充満せり。 ] | ||||
がしど | 定善寺(じょうぜんじ)(偈頌)題目板碑 | 紀年銘なし | 宮崎県日向市大字財光寺7295 | |
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「我之名号(がしみょうごう)、一経其耳(いっきょうごに)、衆病悉除(しゅびょうしつじょ)、心身安楽(しんじんあんらく)」(出典:薬師経) | ||||
[ わが薬師如来の名号が、一たびその耳に経たなれば、諸病ことごとく除かれ、心身安楽なり ] | ||||
がしみ | 円城寺(えんじょうじ)薬師如来図像板碑 | 嘉暦三年(1328年) | 埼玉県比企郡小川町大字青山654 | |
がしみ | 寺崎(てらさき)三尊種子石塔婆 | 至徳二年(1385年) | 宮城県石巻市大瓜字寺崎 | |
がしみ | 多福院(たふくいん)山門脇 薬師種子石塔婆 | 明徳二年(1391年) | 宮城県石巻市吉野 1-4-9 | |
がしみ | 高木(たかぎ)観音堂 薬師種子石塔婆 | 応永五年(1398年) | 宮城県石巻市高木字竹下 | |
がしみ | 寺崎(てらさき)釈迦種子石塔婆 | 永享五年(1433年) | 宮城県石巻市大瓜字寺崎 | |
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「我従久遠来(がじゅうくおんらい)、教化是等衆(きょうけぜとうしゅ)」 (出典:法華経 従地涌出品) | ||||
[ われは久遠(くおん)より来(このかた)、これ等の衆を教化(きょうけ)せしなり ] | ||||
がじゅ | 本善寺(ほんぜんじ)題目板碑 | 寛永十年(1633年) | 宮崎県日向市日知屋1397-1 | |
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「我等諸宮殿(がとうしょくうでん)、光明甚威曜(こうみょうじんいよう)、此非無因縁(しひむいんねん)、是相宜求之(ぜそうぎぐし)、 |
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過於百千劫(かおひゃくせんごう)、未曾見是相(みぞうけんぜそう)、為大徳天生(いだいとくてんしょう)、為仏出世間(いぶつしゅつせけん)」 | ||||
[ 我等が諸々の宮殿は、光明甚だ たけく輝く。此れ因縁無きにあらず、この姿は宜しく之を求むべし。百千劫を過ぎ | ||||
るとも、未だかってこの姿を見ず。之は大徳ある天が生まれたのであろうか、仏が世間に出られたのであろうか ](出典:法華経化城喩品) | ||||
がと | 稲葉崎(いなばさき)二尊種子板碑(黄金塔) | 暦応二年(1339年) | 鹿児島県姶良郡湧水町稲葉崎 | |
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「観我大日(かんがだいにち)、無疑惑者、現在生間、頓断無明」 (出典:五輪九字明秘密釈) | ||||
[ 我は大日と観ず。疑惑無き者は、現在生の間に、すみやかに無明(むみょう)を断ずべし ](読みは「興教大師撰述集」) | ||||
がんが | 多福院(たふくいん)大日堂脇 石塔婆 | 南北朝~室町時代 | 宮城県石巻市吉野 1-3-15 | |
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「願成仏道(がんじょうぶつどう)、令衆亦尓(りょうしゅやくに)」(出典:法華経安楽行品) | ||||
[ 願わくば仏道を成じて、衆生をしてまたしからしめんことを ] | ||||
がんじ | 浄蓮寺(じょうれんじ)七基連刻板碑 | 文禄四年(1595年 | 埼玉県秩父郡東秩父村御堂362 | |
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「願以此功徳(がんにしくどく)、平等施一切(びょうどうせいっさい)、同発菩提心(どうほつぼだいしん)、往生安楽国(おうじょうあんらくこく)」 |
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[ 願わくば此の功徳をもって、あまねく一切に施し、同じく菩提心をおこして、安楽国に往生せん。](出典:観無量寿経疏 四巻) |
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がんに | 普門寺(ふもんじ)阿弥陀一尊種子板碑 | 文永四 年(1267年) | 埼玉県加須市南篠崎942 | |
がんに | 川田堂園(かわだどうぞの)角塔婆(榮尊塔) | 永仁五年(1297年) | 鹿児島県鹿児島市川田町1238 | |
がんに | 長慶寺(ちょうけいじ)阿弥陀種子板碑 | 嘉暦年間(1326~29) | 埼玉県東松山市神戸1678 | |
がんに | 慈恩院(じおんいん)胎蔵界大日種子石塔婆 | 鎌倉時代後期 | 宮城県石巻市吉野 1-3-15 | |
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「願以此功徳(がんにしくどく)、普及於一切(ふぎゅうおいっさい)、我等与衆生(がとうよしゅじょう)、皆共成仏道(かいぐじょうぶつどう」 | ||||
[ 願わくばこの功徳をもって、あまねく一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜん ](出典:法華経化城喩品) | ||||
がんに | 普門寺(ふもんじ)阿弥陀一尊種子板碑 | 正元二年(1260年) | 埼玉県加須市南篠崎942 | |
がんに | 大福寺(だいふくじ)交名(きょうみょう)板碑 | 文永四年(1267年) | 埼玉県加須市谷田ケ谷1110 | |
がんに | みろくの辻弥勒磨崖仏 | 文永十一年(1274年) | 京都府木津川市加茂町岩船三大 | |
がんに | 大英寺(だいえいじ)阿弥陀一尊種子板碑 | 文永十二年(1275年) | 埼玉県加須市騎西1404 | |
がんに | 盛徳寺(じょうとくじ)地蔵図像板碑 | 文永年間(1264~75年) | 埼玉県行田市埼玉1118 | |
がんに | 兼平(かねひら)天満宮 阿弥陀種子石塔婆 | 永仁四年(1296年) | 青森県弘前市大字兼平字山下 | |
がんに | 塩船観音寺(しおふねかんのんじ)種子板碑 | 永仁四年(1296年) | 東京都青梅市塩船194 | |
がんに | 興禅寺(こうぜんじ)阿弥陀種子板碑 | 正安二年(1300年) | 埼玉県入間郡越生町西和田849 | |
がんに | 弥勒寺(みろくじ)胎蔵界大日種子石塔婆 | 徳治二年(1307年) | 宮城県登米市中田町上沼字弥勒寺 寺山63 | |
がんに | 中別所(なかべっしょ)金剛界大日三尊種子石塔婆 | 正和二年(1313年) | 青森県弘前市中別所字葛野(石仏) | |
がんに | 中別所(なかべっしょ)金剛界大日種子石塔婆 | 鎌倉時代後期 | 青森県弘前市中別所字葛野(石仏) | |
がんに | 仏教寺(ぶっきょうじ)宝篋印塔 | 文和三年(1354年) | 岡山県久米郡久米南町仏教寺84 | |
がんに | 野上下郷(のがみしもごう)釈迦一尊種子板碑 | 応安二年(1369年) | 埼玉県秩父郡長瀞町野上下郷39 | |
がんに | 上田朝直(うえだともなお)建立 題目板碑 | 元亀二年(1571年) | 埼玉県東松山市神明町1-12 | |
がんに | 満福寺(まんぷくじ)参道 宝篋印塔 | 延享元年(1744年) | 兵庫県養父市十二所724 |
き | 指定 | 名 称 | 制 作 年 | 所 在 地 |
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「帰命月天子(きみょうがつてんし)、本地大勢至(ほんじだいせいし)」、「為度衆生故(いどしゅじょうこ)、普照四天下(ふしょうしてんげ)」 | ||||
[ 月天子の本地大勢至に帰命し奉(たてまつ)る。大勢至は衆生を済度するがための故に、あまねく 四天下を照らす。 ] (出典未詳) | ||||
きみ | 浦和(うらわ)博物館 勢至図像月待板碑(Ⅰ) | 文明十七年(1485年) | 埼玉県さいたま市緑区三室2458 | |
きみ | 浦和(うらわ)博物館 勢至図像月待板碑(Ⅱ) | 文明十七年(1485年) | 埼玉県さいたま市緑区三室2458 | |
きみ | 徳蔵寺(とくぞうじ)阿弥陀三尊種子 月待板碑 | 文明十口年(1478~87年) | 東京都東村山市諏訪町1-26-3 | |
きみ | 願生寺(がんしょうじ)阿弥陀三尊図像 月待板碑 | 室町時代 | 埼玉県さいたま市岩槻区本町3-15-12 | |
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「帰命本覚真(心)法身(きみょうほんがくしんほうしん)、常住妙法心蓮台(じょうじゅうみょうほうしんれんだい)、 | ||||
本来具足三身徳(ほんらいぐそくさんしんとく)、三十七尊住心城(さんじゅうしちそんじゅうしんじょう)」(出典:蓮華三昧経) | ||||
[ 本覚心の法身(大日如来)に帰命し奉る。常に妙法の心蓮台に住し、もとよりこのかた法身・報身・応身の三身徳をそなえ、三十七尊の心城に住す ] | ||||
きみ | 東根(ひがしね)石造宝塔 | 元久元年(1204年) | 栃木県下野市東根5-1 | |
きみ | 薬王寺(やくおうじ)弘安四年銘 断碑 | 弘安四年(1281年) | 埼玉県比企郡吉見町中新井 | |
きみ | 崇徳寺跡 胎蔵界大日種子板碑 | 延慶三年(1310年) | 埼玉県入間郡毛呂山町川角1098 | |
きみ | 興禅寺(こうぜんじ)金剛界大日種子板碑 | 建武元年(1334年) | 埼玉県入間郡越生町西和田849 | |
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「行々至円寂(ぎょうぎょうしえんじゃく)、去々入原初(ここにゅうげんしょ)、三界如客舎(さんがいにょかくしゃ)、一心是本居(いっしんぜほんこ)」 | ||||
[ 行き行きて円寂(涅槃)に至り、去去として原初に入る。三界は客舎(仮の住い)のごとく、自心のみが本覚の住いである ](出典:般若心経秘鍵) | ||||
ぎょう | 山根(やまね)六角塔婆(六面石幢) | 貞和二年(1346年) | 埼玉県入間郡毛呂山町宿谷39-1 | |
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「孝養父母心(きょうようぶもしん)、功徳最第一(くどくさいだいいち)、是心発起者(ぜしんほっきしゃ)、成就自然智(じょうじゅじねんち)」 | ||||
[ 父母を孝養する心は、功徳最第一なり。この心を起せば、自然に悟りを成就すべし ] | ||||
きょう | 般若寺(はんにゃじ)笠塔婆 | 弘長元年(1261年) | 奈良県奈良市般若寺町221 | |
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「敬禮虚空蔵( きょうらいこくぞう)、能満諸勝願(のうまんしょしょうがん)、獲得無尽蔵(かくとくむじんぞう)、寿命倶(月弖)劫(じゅみょうぐちこう)」 | ||||
(出典未詳)、(月弖)は一字で、致とも胝とも書く | ||||
[ 虚空蔵菩薩を礼拝すれば、諸々のすぐれた願を満たしてくれ、無尽蔵の福徳をうけることができ、寿命の長きことも限りがない ] | ||||
きょう | 保月六面石幢(ほづきろくめんせきどう) | 嘉元四年(1306年) | 岡山県高梁市有漢町上有漢9167 |
く | 指定 | 名 称 | 制 作 年 | 所 在 地 |
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「弘誓多聞四十八(ぐぜいたもんしじゅうはち)、偏(遍)標念佛最為真(親)、人能念佛佛還憶(念)、専心想佛佛知人」 ( )は、出典記載の文字。 | ||||
[ 法蔵菩薩(阿弥陀)の誓願は多聞にして四十八なれど、偏(ひと)えに念仏を標(ひょう)ずれば最も真(しん)となる。 | ||||
人よく仏(阿弥陀仏)を念ずれば、仏また人を憶(おも)う。専心に仏を想(おも)えば、仏は人をよく知りたもう。 ] | ||||
( )は、出典記載の文字で、板碑とは三字異なる。〈 出典:転経行道願往生浄土法事賛(てんぎょうぎょうどうがんがんおうじょうじょうどほうじさん) 巻上 〉 | ||||
ぐぜ | 峯薬師堂(みねやくしどう)阿弥陀三尊種子二連板碑 | 文永十二年(1275年) | 宮城県角田市藤田字峯206 | |
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「具足神通力(ぐそくじんづうりき)、広修智方便(こうしゅうちほうべん)、十方諸国土(じっぽうしょこくど)、無刹不現身(むせつふげんしん)」 | ||||
(出典:法華経 観世音菩薩普門品) | ||||
[ (観音菩薩は)神通力を具足し、広く智慧とその発揮の手段を修して、十方の諸国土において、のこらず、その姿が見られる。 ] | ||||
ぐそ | 長谷寺(ちょうこくじ)観音種子石塔婆 | 紀年不明 | 宮城県石巻市真野字萱原2 |
け | 指定 | 名 称 | 制 作 年 | 所 在 地 |
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「化一切衆生(けいっさいしゅじょう)、界令入仏道(かいりょうにゅうぶつどう)」 (出典:法華経方便品) | ||||
[一切の衆生を化(け)して、皆、仏道に入らしむ] | ||||
けい | 玉蓮寺(ぎょくれんじ)釈迦一尊種子板碑 | 嘉元二年(1304年) | 埼玉県本庄市児玉町児玉203 | |
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「華厳如来(けごんにょらい) 成正覚時 於其身中 普見一切 衆生成正」 出典:華厳経(正式名称:大方広仏華厳経) | ||||
[ 華厳如来は、正覚を成ずる時、其の身中に於いて、もれなくすべてに及んで、衆生が正覚を成ずるのを見たもう。 ] | ||||
けご | 東光寺(とうこうじ)西平場 胎蔵界大日種子石塔婆 | 嘉暦二年(1327年) | 宮城県仙台市宮城野区岩切字入山22 | |
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「見我身者発菩提心(けんがしんしゃほつぼだいしん)、聞我名者断悪修善(もんがみょうしゃだんなくしゅぜん)、 | ||||
聴我説者得大智慧(ちょうがせっしゃとくだいちえ)、知我心者即身成仏(ちがしんしゃそくしんじょうぶつ)」(出典:不動経) | ||||
[ 我が身(不動明王)を見る者は、菩提心(悟りを求める心)をおこし、我が名を聞くものは、悪を断ち善を修し、 | ||||
我が説法を聴くものは、大いなる知恵を得、我が心を知るものは、即身に成仏せん。 ] | ||||
けんが | 西山光照寺跡 不動石仏 | 天文二年(1533年) | 福井県福井市阿波賀町 | |
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「乾坤無卓孤笻地(けんこんむたくこきょうち)、只喜人空法亦空(しきにんくうほうやくくう)、 | ||||
珎重大元三尺剣(ちんちょうだいげんさんせきけん)、電光影裏析春風(でんこうえいりせきしゅんぷう)」(出典:「臨剣頌」(りんけんしょう)の偈) | ||||
[ 天地の間一本の杖を立つる地もなし、ただ喜ぶべきは人間本来空、諸法もまた空、大元三尺の剣を珍重するも、電光の瞬時に春風を斬るがごとし] | ||||
けんこ | 円照寺(えんしょうじ)三尊種子板碑 | 元弘三年(1333年) | 埼玉県入間市野田158 | |
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「現在未来天人衆(げんざいみらいてんにんしゅう)、吾今慇懃付属汝(ごこんいんぎんふしょくにょ)、 | ||||
以大神通方便力(いだいじんづうほうべんりき)、勿令堕在諸悪趣(もつりょうだざいしょあくしゅ)」(出典:地蔵本願経) | ||||
[ 現在未来の天界・人界の衆よ、われ今ねんごろに汝に付属し、大神通(だいじんづう)の方便を以てすくわん。諸々の悪趣に(人々)をおとしむるなかれ] | ||||
げんざ | 向田野浦(むこうたのうら)地蔵磨崖仏(磨崖和霊石地蔵) | 正安二年(1300年) | 広島県三原市鷺浦町向田野浦 | |
げんざ | 有年楢原(うねならばら))地蔵板碑 | 延文三年(1358年) | 兵庫県赤穂市有年楢原379 | |
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「現世安穏(げんぜあんのん)、後生善処(ごしょうぜんしょ)」 (出典:法華薬草喩品) | ||||
[ 現世は安穏にして、後には弥陀の浄土に生ぜんことを ] | ||||
げんぜ | 来迎寺(らいこうじ)石造宝塔 | 応長二年(1312年) | 三重県伊賀市上友田3396 | |
げんぜ | 国吉(くによし)金剛界大日種子石塔婆 | 嘉暦四年(1329) | 青森県弘前市国吉字村元 | |
げんぜ | 関(せき)釈迦三尊種子自然石塔婆 | 貞和二年(1346年) | 青森県西津軽郡深浦町関字栃沢 | |
げんぜ | 三世寺(さんせじ) 金剛界大日種子自然石塔婆 | 文和五年(1356年) | 青森県弘前市大字三世寺字色吉39 | |
げんぜ | 熊野速玉(くまのはやたま)大社胎蔵界大日種子板碑 | 応安年間(1368~75年) | 和歌山県日新宮市新宮1番地 | |
げんぜ | 不動院跡(ふどういんあと)釈迦・十仏 種子板碑 | 永和五年(1379年) | 千葉県香取市山之辺 | |
げんぜ | 阿弥陀寺(あみだじ)五輪塔 | 天授五年(1379年、南朝) | 和歌山県橋本市御幸辻12 | |
げんぜ | 関(せき)一尊種子種子自然石塔婆 | 永徳元年(1381年) | 青森県西津軽郡深浦町関字栃沢 | |
げんぜ | 山口家(やまぐちけ)阿弥陀種子石塔婆 | 永享五年(1433年) | 宮城県石巻市東福田字馬場 | |
げんぜ | 長谷寺(ちょうこくじ)五尊種子石塔婆 | 永享六年(1434年) | 宮城県石巻市真野字萱原2 | |
げんぜ | 多福院(たふくいん)山門脇 地蔵種子石塔婆 | 嘉吉三年(1443年) | 宮城県石巻市吉野 1-4-9 | |
げんぜ | 定善寺(じょうぜんじ)題目板碑 | 元亀三年(1572年) | 宮崎県日向市大字財光寺7295 | |
げんぜ | 浄蓮寺(じょうれんじ)七基連刻板碑 | 文禄四年(1595年) | 埼玉県秩父郡東秩父村御堂362 | |
げんぜ | 妙顕寺(みょうけんじ) 題目板碑 | 慶長三年(1598年) | 埼玉県戸田市大字新曽1707 |
こ | 指定 | 名 称 | 制 作 年 | 所 在 地 |
- | ||||
「光明遍照(こうみょうへんじょう)、十方世界(じっぽうせかい)、念仏衆生(ねんぶつしゅじょう)、摂取不捨(せっしゅふしゃ)」 | ||||
[ 光明はあまねく十方世界を照らし、念仏の衆生をば摂取して捨てたまわず ] (出典:観無量寿経) | ||||
こう | 香林寺(こうりんじ)仁治二年銘 図像板碑 | 仁治二年(1241年) | 埼玉県東松山市宮鼻144 | |
こう | 新井家(あらいけ)阿弥陀種子板碑 | 仁治二年(1241年) | 埼玉県東松山市大字正代832 | |
こう | 金乗寺(こんじょうじ)阿弥陀一尊 図像板碑 | 仁治三年(1242年)(双) | 埼玉県鴻巣市小谷1507 | |
こう | 国性寺(こくしょうじ)阿弥陀一尊種子板碑 | 建長元年(1249年) | 埼玉県熊谷市中奈良1310-1 | |
こう | 来迎寺(らいごうじ)阿弥陀種子板碑 | 建長八年(1256年) | 埼玉県所沢市山口1392 | |
こう | 金道院(こんどういん)阿弥陀種子板碑(断碑) | 建長八年(1256年) | 埼玉県加須市平永101-1 | |
こう | 地福寺(じふくじ)金剛界大日一尊種子板碑 | 正元元年(1259年) | 千葉県香取市大戸594 | |
こう | 成就院(じょうじゅいん)阿弥陀種子板碑 | 弘長三年(1263年) | 埼玉県加須市道地1570 | |
こう | 真福寺(しんぷくじ)文永五年銘 断碑 | 文永五年(1268年) | 埼玉県さいたま市北区今羽町106 | |
こう | 宝勝寺(ほうしょうじ)阿弥陀一尊種子板碑 | 文永五年(1268年) | 群馬県甘楽郡甘楽町大字金井375 | |
こう | 浄土寺(じょうどじ)阿弥陀一尊種子板碑 | 文永八年(1271年) | 千葉県香取市大戸川35 | |
こう | 普門寺(ふもんじ)阿弥陀一尊種子種子板碑 | 文永九年(1272年) | 埼玉県加須市南篠崎942 | |
こう | 大英寺(だいえいじ)阿弥陀一尊種子板碑 | 文永十二年(1275年) | 埼玉県加須市騎西1404 | |
こう | 専福寺(せんぷくじ)阿弥陀種子板碑 | 弘安元年(1278年) | 宮城県角田市角田字裏林43 | |
こう | 大英寺(だいえいじ)阿弥陀三尊種子断碑 | 弘安元年(1278年) | 埼玉県加須市騎西1404 | |
こう | 福現寺(ふくげんじ)阿弥陀種子石塔婆 | 弘安三年(1280年) | 宮城県栗原市高清水中町38 | |
こう | 川田堂園(かわだどうぞの)角塔婆(榮尊塔) | 永仁五年(1297年) | 鹿児島県鹿児島市川田町1238 | |
こう | 浄土寺(じょうどじ)大日・阿弥陀二尊種子板碑 | 永仁六年(1298年) | 千葉県香取市大戸川35 | |
こう | 地蔵院(じぞういん)大日種子二連板碑 | 乾元二年(1303年) | 千葉県香取市新市場87 | |
こう | 智福寺(ちふくじ)阿弥陀一尊種子板碑 | 嘉元三年(1305年) | 埼玉県入間郡毛呂山町西大久保148 | |
こう | 嘉元(かげん)の板碑 (阿弥陀種子板碑) | 嘉元四年(1306年) | 埼玉県入間郡毛呂山町葛貫字大石仏 | |
こう | 落合(おちあい)観音堂阿弥陀種子石塔婆 | 延慶三年(1310年) | 宮城県仙台市太白区四郎丸字落合59 | |
こう | 長福寺(ちょうふくじ)阿弥陀三尊種子板碑 | 延慶三年(1310年) | 埼玉県さいたま市北区別所町98-6 | |
こう | 大福寺(だいふくじ)阿弥陀一尊種子断碑 | 延慶四年(1311年) | 埼玉県加須市谷田ケ谷1110 | |
こう | 葵(あおい)八幡 阿弥陀図像板碑 | 鎌倉時代後期(1311年) | 群馬県藤岡市本郷字道中郷1369-1 | |
こう | 中浅羽墓地(なかあさばぼち)阿弥陀種子板碑 | 応長二年(1312年) | 埼玉県坂戸市浅羽 | |
こう | 南貞院(なんていいん)阿弥陀三尊種子自然石塔婆 | 正和元年(1312年) | 青森県弘前市高杉山下208 | |
こう | 中別所(なかべっしょ) 金剛界大日種子石塔婆 | 正和二年(1313年) | 青森県弘前市中別所字葛野(公卿塚) | |
こう | 徳蔵寺(とくぞうじ)阿弥陀三尊種子断碑 | 正和三年(1314年) | 東京都東村山市諏訪町1-26-3 | |
こう | 四本木(しほんぎ)の板碑 (阿弥陀種子板碑) | 正和三年(1314年) | 埼玉県日高市大字原宿103 | |
こう | 徳蔵寺(とくぞうじ)阿弥陀種子板碑 | 文保二年(1318年) | 東京都東村山市諏訪町1-26-3 | |
こう | 塩船(しおふね)観音寺阿弥陀三尊種子板碑 | 元亨二年(1322年) | 東京都青梅市塩船194 | |
こう | 地福寺(じふくじ)阿弥陀一尊種子断碑 | 元亨二年(1322年) | 千葉県香取市大戸594 | |
こう | 塩船(しおふね)観音寺阿弥陀三尊種子板碑 | 正中二年(1325年) | 東京都青梅市塩船194 | |
こう | 青鳥(おおどり)城跡 阿弥陀種子名号複合板碑 | 正中三年(1326年) | 埼玉県東松山市石橋1310 | |
こう | 大龍寺(だいりゅうじ)阿弥陀・十仏 種子板碑 | 嘉暦四年(1329) | 千葉県香取市与倉1012 | |
こう | 長慶寺(ちょうけいじ)阿弥陀種子板碑 | 嘉暦年間(1326~29) | 埼玉県東松山市神戸1678 | |
こう | 金子家(かねこけ) 阿弥陀三尊種子板碑(Ⅰ) | 元弘三年(1333年) | 埼玉県朝霞市根岸台8丁目 | |
こう | 松沢(まつざわ)八幡神社 阿弥陀三尊種子板碑 | 元弘三年(1333年) | 山形県南陽市松沢411 | |
こう | 玉洞院(ぎょくどういん)阿弥陀三尊図像板碑. | 鎌倉時代 | 埼玉県熊谷市妻沼2404 | |
こう | 向徳寺(こうとくじ)阿弥陀一尊種子板碑 | 建武四年(1337年) | 埼玉県比企郡嵐山町大蔵635 | |
こう | 高木(たかぎ)観音堂 阿弥陀三尊種子石塔婆 | 興国元年(1340年)(南朝) | 宮城県石巻市高木字竹下 | |
こう | 長泉院(ちょうせんいん)梵字五輪塔石塔婆 | 興国四年(1343年)(南朝) | 宮城県石巻市東福田字沢向55-1 | |
こう | 岩屋寺(いわやじ)笠塔婆 | 貞和三年(1347年) | 山口県周南市下上(しもかみ)岩屋2215 | |
こう | 知足院(ちそくいん)阿弥陀・十仏 種子板碑 | 延文三年(1358年) | 千葉県香取市本矢作1012-1 | |
こう | 徳蔵寺 阿弥陀三尊種子板碑 二基(比翼碑) | 延文四年(1359年)(双) | 東京都東村山市諏訪町1-26-3 | |
こう | 勝願寺(しょうがんじ)六地蔵図像板碑(断碑) | 康安二年(1362年) | 埼玉県鴻巣市登戸369 | |
こう | 徳蔵寺(とくぞうじ)応安七年銘 断碑 | 応安七年(1374年) | 東京都東村山市諏訪町1-26-3 | |
こう | 金道院(こんどういん)阿弥陀一尊種子板碑 | 応安七年(1374年) | 埼玉県加須市平永101-1 | |
こう | 塩船(しおふね)観音寺阿弥陀一尊種子板碑. | 永和二年(1376年) | 東京都青梅市塩船194 | |
こう | 法願寺(ほうがんじ)阿弥陀一尊種子板碑 | 康暦三年(1381年) | 埼玉県さいたま市西区大字高木446 | |
こう | 徳蔵寺(とくぞうじ)阿弥陀一尊種子板碑 | 永徳元年(1381年) | 東京都東村山市諏訪町1-26-3 | |
こう | 長福寺(ちょうふくじ)阿弥陀種子板碑 | 嘉慶三年(1389年) | 埼玉県さいたま市北区別所町98-6 | |
こう | 願成寺(がんじょうじ)荘厳体阿弥陀種子板碑 | 南北朝時代 | 埼玉県飯能市大字川寺688-1 | |
こう | 大英寺(だいえいじ)名号板碑残欠 | 南北朝時代 | 埼玉県加須市騎西1404 | |
こう | 法願寺(ほうがんじ)阿弥陀一尊種子板碑 | 明徳四年(1393年) | 埼玉県さいたま市西区大字高木446 | |
こう | 清谷寺(せいこくじ)阿弥陀三尊種子板碑 | 文明二年(1470年) | 東京都中野区沼袋3-21-7 | |
こう | 延命寺(えんめいじ)阿弥陀三尊種子板碑 | 文明十九年(1487年) | 東京都板橋区志村1-21-12 | |
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「極重悪人(ごくじゅうあくにん)、無他方便(むたほうべん)、唯称念仏(ゆいしょうねんぶつ)、得生極楽(とくしょうごくらく)」 | ||||
[ 極重悪人には他の方便(てだて)なし、ただ念仏をとなえれば、極楽に生まれることができる ] (出典:往生要集) | ||||
ごくじ | 乗蔵院(じょうぞういん)阿弥陀一尊種子板碑. | 建長五年(1253年) | 埼玉県加須市南大桑3342 | |
ごくじ | 龍興寺(りゅうこうじ)文永二年銘板碑 | 文永二年(1265年) | 埼玉県加須市上崎1890 | |
ごくじ | 鹿嶋(かしま)神社 阿弥陀三尊種子板碑 | 弘安元年(1278年) | 宮城県大崎市古川引田字鹿島89 | |
ごくじ | 天寿庵(てんじゅあん)阿弥陀三尊種子板碑 | 弘安二年(1279年) | 宮城県大崎市古川堤根字上屋敷 | |
ごくじ | 光明寺(こうみょうじ)阿弥陀三尊種子板碑 | 暦応四年(1341年) | 千葉県印西市小林1841 | |
ごくじ | 慈恩院(じおんいん)胎蔵界大日種子石塔婆 | 応永十四年(1407年) | 宮城県石巻市吉野 1-3-15 | |
ごくじ | 霊巌院(れいがんいん)阿弥陀三尊石仏 | 永享二年(1430年) | 奈良県奈良市林小路町36 | |
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「極楽不遠(ごくらくふおん)、眼前境界(げんぜんきょうかい)、弥陀在近(みだざいごん)、我性心蓮(がしょうしんれん)」 (出典:未詳) | ||||
[ 極楽は遠くにあるのではなく、眼前の世界にある。阿弥陀も、また近くにいる。これは、すべて我が清淨な心によるのである ] | ||||
ごくら | 普門寺(ふもんじ)阿弥陀一尊種子板碑 | 正応五年(1292年) | 埼玉県加須市南篠崎942 | |
ごくら | 倉ノ迫(くらのはざま)観音種子石塔婆 | 永徳三年(1383年) | 宮城県石巻市東福田字小枝 | |
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「故知弥陀(こちみだ)、極楽世界(ごくらくせかい)、濁悪衆生(じょくあくしゅじょう)、猶有因縁(ゆういんねん)」 | ||||
[ 故に知る、阿弥陀の極楽世界、濁悪の世の衆生にも、なお因縁あることを ] (出典:未詳) | ||||
こち | 宝勝寺(ほうしょうじ)阿弥陀一尊種子板碑 | 文永五年(1268年) | 群馬県甘楽郡甘楽町大字金井375 | |
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「其中衆生(ごちゅうしゅじょう)、悉是吾子(しつぜごし)」 (出典:法華経 譬喩品) | ||||
[ その中の衆生は、悉(ことごと)く これ吾(わ)が子なり。] | ||||
ごち | 本善寺(ほんぜんじ)題目板碑 | 紀年銘なし | 宮崎県日向市日知屋1379-1 | |
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「其中諸衆生(ごちゅうしょしゅじょう)、一切皆悉見(いっさいかいしつけん)、雖未得天眼(すいびとくてんげん)、肉眼力如此(にくげんりきにょし)」 | ||||
[ その中の諸々の衆生を、一切皆、悉(ことごと)く見る。まだ天眼(てんげん)を得ずと雖(いえど)も、肉眼の力かくの如し。 ](出典:法華経 法師功徳品) | ||||
ごち | 仙台大神宮 不動種子石塔婆(蒙古の碑) | 弘安四年(1281年) | 宮城県仙台市青葉区片平1-3-6 | |
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「其仏本願力(ごぶつほんがんりき)、聞名欲往生(もんみょうよくおうじょう)、皆悉到彼国(かいしつとうひこく)、自致不退転(じちふたいてん)」 | ||||
[ その仏(阿弥陀如来)の本願力により、名を聞いて往生せんと欲すれば、皆ことごとく彼の国(極楽)に到りて、おのずから不退転に致らん ](出典:無量寿経) | ||||
ごぶ | 観音寺(かんのんじ)阿弥陀種子板碑 | 建長五年(1253年) | 埼玉県戸田市大字新曽1707 | |
ごぶ | 光明寺(こうみょうじ)阿弥陀種子板碑 | 鎌倉時代中期 | 神奈川県鎌倉市材木座6-17-19 | |
ごぶ | 法願寺(ほうがんじ)正安四年銘断碑 | 正安四年(1302年) | 埼玉県さいたま市西区大字高木446 | |
ごぶ | 葵(あおい)八幡 阿弥陀図像板碑 | 鎌倉時代後期(1311年) | 群馬県藤岡市本郷字道中郷1369-1 | |
ごぶ | 徳蔵寺(とくぞうじ)阿弥陀三尊種子断碑 | 延文五年(1360年) | 東京都東村山市諏訪町1-26-3 | |
ごぶ | 高木(たかぎ)観音堂 金剛界大日種子石塔婆 | 文明十二年(1480年) | 宮城県石巻市高木字竹下 | |
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「今此三界(こんしさんがい)、皆是我有(かいぜがう)、其中衆生(ごちゅうしゅじょう)、悉是吾子(しつぜごし)」 (出典:法華経 譬喩品) | ||||
[ 今、この三界(欲界・色界・無色界)はみなこれ我が有するところ、その中の衆生はことごとく我が子なり ] | ||||
こんし | 高野山(こうやさん)第六十一町石五輪卒塔婆 | 鎌倉時代中期 | 和歌山県伊都郡高野町花坂 | |
こんし | 徳蔵寺(とくぞうじ)嘉元元年銘 断碑 | 嘉元元年(1303年) | 東京都東村山市諏訪町1-26-3 | |
こんし | 国吉(くによし)阿弥陀三尊種子石塔婆 | 文保元年(1317年) | 青森県弘前市国吉字村元 | |
こんし | 徳林寺墓地(とくりんじぼち)阿弥陀種子板碑 | 元応二年(1320年) | 埼玉県狭山市入間川2-3-11 | |
こんし | 国吉(くによし)金剛界大日種子石塔婆 | 嘉暦四年(1329) | 青森県弘前市国吉字村元 | |
こんし | 鳥屋(とや)神社 地蔵種子石塔婆 | 鎌倉後期~南北朝時代 | 宮城県石巻市旭町 | |
こんし | 三世寺(さんせじ) 金剛界大日種子自然石塔婆 | 文和五年(1356年) | 青森県弘前市大字三世寺字色吉39 | |
こんし | 関(せき)金剛界大日種子自然石塔婆 | 南北朝時代前期 | 青森県西津軽郡深浦町関字栃沢 | |
こんし | 関(せき)胎蔵界大日種子自然石塔婆 | 南北朝時代 | 青森県西津軽郡深浦町関字栃沢 | |
こんし | 関(せき)阿弥陀種子自然石塔婆 | 南北朝時代 | 青森県西津軽郡深浦町関字栃沢 | |
こんし | 山口家(やまぐちけ)石塔婆(断碑) | 応永八年(1401年) | 宮城県石巻市東福田字馬場 | |
こんし | 山口家(やまぐちけ)観音種子石塔婆 | 応永十六年(1409年) | 宮城県石巻市東福田字馬場 | |
こんし | 山口家(やまぐちけ)虚空蔵種子石塔婆 | 応永年間(1394~1428年) | 宮城県石巻市東福田字馬場 | |
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「今以何因縁(こんにがいんねん)、我等諸宮殿(がとうしょくうでん)、威徳光明曜(いとくこうみょうよう)、厳飾未曾有(ごんじきみぞう)、 | ||||
如是之妙相(にょぜしみょうそう)、昔所未聞見(しゃくしょみもんけん)、為大徳天生(いだいとくてんしょう)、為仏出世間(いぶつしゅつせけん)」 |
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[ 今、何の因縁をもって、我等が諸々の宮殿は、威徳ある光明に輝き、厳かに飾られること未曾有である。かくの如き妙相は、 | ||||
昔よりいまだ聞いたことも見たこともない。大徳ある天が生まれたのであろうか、仏が世間に出られたのであろうか ](出典:法華経化城喩品) | ||||
こんに | 稲葉崎(いなばさき)二尊種子板碑(黄金塔) | 暦応二年(1339年) | 鹿児島県姶良郡湧水町稲葉崎 |
法華経 譬喩品に出る偈
偈(げ):「其中衆生(ごちゅうしゅじょう)、悉是吾子(しつぜごし)」
[ その中の衆生は、悉(ことごと)く これ吾(わ)が子なり。]
青鳥城跡 阿弥陀種子名号複合板碑 (市指定文化財、鎌倉時代後期 正中三年 1326年、埼玉県東松山市)
観無量寿経に出る偈(げ)
偈(げ):「光明遍照(こうみょうへんじょう)、十方世界(じっぽうせかい)」「念仏衆生(ねんぶつしゅじょう)、摂取不捨(せっしゅふしゃ)」
[ 光明はあまねく十方世界を照らし、念仏の衆生をば摂取して捨てたまわず。]
分類別目次 | 層 塔 | 宝塔・多宝塔 | 宝篋印塔 | 五 輪 塔 | 石仏(せきぶつ) | 笠塔婆 |
板碑(いたび) | 石燈籠 | 石 碑 | 石幢(せきどう) | 石鳥居 | その他 名品 | |
項 目 | 伊派 石大工 | 偈頌(げじゅ) | 光明真言(関東板碑) | 格狭間の形 | - | - |
写真:Tetsuo Kawai