徳蔵寺(とくぞうじ)(東京都東村山市諏訪町1-26-3)(「元弘の碑」に向かって左面側に展示)
比企郡三保谷村(現、埼玉県川島町)に旧在した板碑で、阿弥陀三尊を線刻した月待板碑。室町時代中期 文明十五年(1483)の紀年銘がある。
徳蔵寺 阿弥陀三尊図像 月待板碑 (室町時代中期 文明十五年 1483年、緑泥片岩、高さ 87Cm 下幅 36Cm) |
- |
阿弥陀三尊像を本尊とする月待板碑 | 脇侍の間に「月待供養」、三具足の左右に「逆修」の銘 |
上半を欠失、身部は一重線の輪郭を巻く。身部上方は、阿弥陀三尊を図像で表すが、主尊の阿弥陀は蓮華座を残すのみで、脇侍の観音・勢至像
が残っている。脇侍の間に「月待供養」の文字、その下中央に前机・三具足(みつぐそく)、紀年銘、左右に交名と光明真言を刻む。・・・・・・・・・・・・
身部、観音・勢至像(脇侍)
脇侍は、向って右に観音菩薩、左に勢至菩薩、両像とも円光背を負い、蓮華座に立ち内側を向いている。
脇侍の間には、「月待供養」の文字が刻まれている。
月待は、十三夜・十六夜・二十三夜などの日に月の出を待ちながら飲食をともにし、月を拝む行事で、二十三夜が最も多く、当板碑も二十三日に造立されている。
前机に敷布をかけ、卓上に三具足(燭台・香炉・花瓶)を配置 | 刻銘:「文明十五天(1483)」 |
身部、下方の刻銘
前机の下、中央に「文明十五天(1483)、十二月廿三日」、左右に「右衛門三郎」など六名の名がある。
尚、「東京都板碑所在目録(多摩分)」(東京都教育委員会、千々和実 遍)では、紀年銘が「文明十三(1481)年十一月廿三日」と記載されている。
(紀年銘の時代に大差はないが、自分なりに刻銘を読むのも、板碑を見る楽しみと思う。)
徳蔵寺(とくぞうじ)(東京都東村山市諏訪町1-26-3)(「元弘の碑」に向かって左側列に展示)
徳蔵寺伝存の板碑で、法華経 安楽行品」に出る偈(げ)を刻む。室町時代後期 天文十六年(1547)の紀年銘がある。
徳蔵寺 阿弥陀一尊種子板碑(室町時代後期 天文十六年 1547年、緑泥片岩、高さ 46.5Cm 下幅 15.5Cm |
頭部山形、下に二条線、身部の輪郭はなく、中央 蓮華座上月輪内に阿弥陀の種子「キリーク」、その両側に「法華経 安楽行品」
に出る偈(げ)、下方中央に「妙心禅尼」、左右に「天文十六年(1547)、三月十六日」の紀年銘を刻む。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
法華経 安楽行品に出る偈
偈(げ):「深入禅定(じんにゅうぜんじょう)、見十方佛(けんじっぽうぶつ)」
[ 深く禅定に入りて、十方の仏を見たてまつる。 ]
徳蔵寺(とくぞうじ)(東京都東村山市諏訪町1-26-3)(「元弘の碑」に向かって右側列に展示)
比企郡八ツ保村(現、埼玉県川島町)に伝存した月待板碑で、室町時代中期 文明十口年(1478~87)の紀年銘がある。
徳蔵寺 阿弥陀三尊種子 月待板碑(室町時代中期 文明十口年 1478~87年、緑泥片岩、高さ 124Cm 下幅 50Cm |
下方を欠損する。身部上端左右に「日・月」、その間に天蓋を配し、下に阿弥陀三尊種子を 蓮華座上月輪内に薬研彫する。
阿弥陀種子の左右に各一行「帰命月天子」の偈(げ)、下方中央に前机・三具足、紀年銘、左右に「月待、供養」の文字と交名を刻む。
板碑 頭部
頭部山形を損傷、下に二条線、身部は一重線の輪郭を巻く。
身部上端 輪郭内の左右に「日・月」、その間に瓔珞(ようらく)のついた天蓋を刻む。
身部上方、阿弥陀三尊種子と「帰命月天子」の偈(げ)。 | 身部下方、前机・三具足の左右に「月待」、「供養」 |
阿弥陀三尊種子は、上方に阿弥陀の種子「キリーク」、向って右下 に観音の種子「サ」、左に勢至の種子「サク」を蓮華座上月輪内に刻む。
主尊の阿弥陀種子の左右に「帰命月天子」の偈(げ)、前机・三具足の左右に「月待」、「供養」、その下に紀年銘と交名を刻む。
皈(帰)命月天子 → | 本地大勢至 → | 為度衆生故 → | 普照四天下 |
偈(げ)(出典未詳)
偈(げ):「皈(帰)命月天子(きみょうがつてんし)、本地大勢至(ほんじだいせいし)」、「為度衆生故(いどしゅじょうこ)、普照四天下(ふしょうしてんげ)」
[ 月天子の本地 大勢至に帰命し奉(たてまつ)る。大勢至は衆生を済度するがための故に、あまねく 四天下を照らす。 ]
尚、大勢至菩薩の偈は、岡山県高梁市の保月六面石幢(ほづきろくめんせきどう)に刻まれている下記の偈もある。
偈(げ):「大勢至菩薩(だいせいしぼさつ)、示現月天子(じげんがつてんし)」「普照四天下(ふしょうしてんげ)、成就衆生願(じょうじゅしゅじょうがん)」
[ 大勢至菩薩は、姿を変え月天子として示現する。そして、あまねく 四天下を照らし、衆生の願いを成就する。]
身部、最下方
中央は、前机に敷布をかけ卓上に三具足(燭台・香炉・花瓶)を配置、左右に「月待」、「供養」、
その下中央に「文明十口年(1478~87)・・」、左右に「貞吉、庸子、妙壽」、「三郎四郎、口口口、孫三郎」と刻む。
「文明 年号」の下は欠失し、十の字が推定できる程度で、その下 左右に交名があったのかもしれない。
「元弘の碑」に向って右側列、展示の一部
向って左から、嘉元元年(1303)銘 断碑、貞治四年(1365)銘結衆板碑、本 文明十口年(1478~87)銘月待板碑、文永七年(1270)銘 阿弥陀三尊種子断碑。
*西武新宿線「東村山駅」下車、北方向へ徒歩 約16分。徳蔵寺板碑保存館の板碑群は、整理が行き届いており、ここを拝観するだけで武蔵型板碑の概観を知ることができる。ぜひ、一見をお勧めしたい。(月曜日休館、拝観料 200円)。このページは、月待板碑と偈頌(げじゅ)を伴う板碑を紹介しています。
(撮影:平成25年3月6日)