徳蔵寺 文永七年銘 阿弥陀種子板碑

 徳蔵寺(とくぞうじ)(東京都東村山市諏訪町1-26-3)(「元弘の碑」に向かって右側列に展示)

  比企郡中山村(現、埼玉県川島町)に伝存した板碑で阿弥陀種子を主尊とする。 鎌倉時代中期 文永七年(1270)の紀年銘がある。身部の輪郭はない。

徳蔵寺(とくぞうじ)阿弥陀種子板碑 (鎌倉時代中期 文永七年 1270年、緑泥片岩、高さ 70.5Cm 下幅 30.5Cm)

頭部山形を損傷する、下に二条線。身部は、上方 蓮華座上に阿弥陀の種子「キリーク」、下方に「文永七年(1270)、庚午の紀年銘を刻む。

徳蔵寺 文永七年銘 阿弥陀三尊種子断碑

 徳蔵寺(とくぞうじ)(東京都東村山市諏訪町1-26-3)(「元弘の碑」に向かって右側列に展示)

  比企郡小見野村(現、埼玉県川島町)に伝存した板碑で、阿弥陀三尊種子を刻む。館内で二番目に古い 鎌倉時代中期 文永七年(1270)の紀年銘がある。

徳蔵寺 阿弥陀三尊種子板碑(鎌倉時代中期 文永七年 1270年、緑泥片岩、高さ 109Cm 下幅 47Cm)

身部上半を欠失する。阿弥陀三尊を刻んだ板碑で、主尊の阿弥陀は蓮華座のみで、その下に観音・勢至の種子「サ」・「サク」を薬研彫する。

身部の輪郭はなく、中央に「文永七年(1270)、庚午、閏九月日」と刻む。文永七年銘は、館内で二番目に古い。

旧暦(大陰暦)では一年を354日とし、季節と暦月を調整するため、十二か月の他、適宜に閏月を設けた。本板碑の閏の文字は、異体文字。

徳蔵寺 文永九年銘 阿弥陀種子板碑

 徳蔵寺(とくぞうじ)(東京都東村山市諏訪町1-26-3)(「元弘の碑」に向かって左側列に展示)

  比企郡八ツ保村(現、埼玉県川島町)に伝存した板碑で、阿弥陀種子を主尊とする。 鎌倉時代中期 文永九年(1272)の紀年銘がある。

徳蔵寺 阿弥陀種子板碑(鎌倉時代中期 文永九年 1272年、緑泥片岩、高さ 82Cm 下幅 31Cm)

頭部山形、下に二条線、身部は、輪郭がなく、阿弥陀如来の種子を蓮華座上に薬研彫し、下方に「文永九年、壬申、十一月」の紀年銘を刻む。

蓮華座上に阿弥陀の種子「キリーク」刻む。 刻銘:「文永九年(1272)

阿弥陀如来の種子「キリーク」は美しく刻まれ、涅槃点に十字が鮮やかに残る。

徳蔵寺 永仁六年銘 阿弥陀種子断碑

 徳蔵寺(とくぞうじ)(東京都東村山市諏訪町1-26-3)(「元弘の碑」に向かって右側列に展示)

  比企郡小見野村(現、埼玉県川島町)に旧在した板碑で、上半を欠失しているが阿弥陀種子を主尊とする。 鎌倉時代後期 永仁六年(1298)の紀年銘がある。

徳蔵寺 阿弥陀一尊種子断碑(鎌倉時代後期 永仁六年 1298年、緑泥片岩、高さ 76Cm 下幅 32Cm)

板碑は上半を欠失し、蓮華座上に阿弥陀如来の種子「キリーク」がわずかに残る。身部は一重線の輪郭を巻き、下方中央に紀年銘、左右に「涅槃経」に出る偈を刻む。

身部下方の刻銘 刻銘:「永仁六年(1298)、戊戌、六月」

下方の刻銘は、中央に「永仁六年(1298)、戊戌、六月十五日」左右側に涅槃経に出る偈(げ)が美しく刻まれている。

諸行無常   是生滅法   生滅々已   寂滅為楽

涅槃経に出る偈(げ)

偈(げ):「諸行無常(しょぎょうむじょう)、是生滅法(ぜしょうめっぽう)」「生滅々已(しょうめつめつい)、寂滅為楽(じゃくめついらく)

[ 諸行は無常である。これ生滅の法である。生滅を滅しおわりて、生も滅もない寂滅を楽しみとする。]

 徳蔵寺(とくぞうじ)嘉元元年銘 断碑                         石仏と石塔-目次!

徳蔵寺(とくぞうじ)板碑館

昭和43年(1968)に完成、平成15年(2003年)に屋根を載せ内外装の改修工事が行われた。

 板碑(いたび)

*西武新宿線「東村山駅」下車、北方向へ徒歩 約16分。館内の板碑群は、整理が行き届いており、ここを拝観するだけで武蔵型板碑の概観を知ることができる。ぜひ、一見をお勧めしたい。(月曜日休館、拝観料 200円)。尚、当方URLの最後の数字は、徳蔵寺板碑の通し番号に合わせています。

(撮影:平成25年3月6日)