東光寺西平場 金剛界大日種子石塔婆(仙台市史 No:B1-11)

 東光寺(とうこうじ)(宮城県仙台市宮城野区岩切字入山22)

   西平場にそびえ立つ二基の嘉暦二年(1327)銘大型石塔婆、その高い方で金剛界大日種子を主尊とする。

金剛界大日種子石塔婆 (市指定史跡、鎌倉時代後期 嘉暦二年 1327年、粘板岩、高さ 261.6Cm 幅 95.6Cm 厚さ 11.3Cm)

石塔婆 上方

金剛界大日如来の種子「バン」雄渾に薬研彫する。石材は、井内石(粘板岩)。

東光寺代表する二基の大型石塔婆、その右側の石塔婆で、上方に胎蔵界大日種子、下方に「光明真言」、その下に紀年銘を刻む。

光明 真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ」、「ロ、シャ、ナ、マ、カー」、「ボ、ダラ、マ、ニ、ハン」、「ドマ、ジンバ、ラ、ハラ、バ」、「リタ、ヤ、ウーン、 ダ」

この真言で加持した土砂を死体の上にかけると、その加持力により諸々の罪障を除いて極楽浄土に往生できると説かれている。光明 真言は、通常、

二行か四行で刻まれているが、ここでは五行で刻まれてる。光明真言の下、中央にやや小さく「嘉暦二年(1327)、丁卯、六月 日、敬白の紀年銘を刻む。

東光寺西平場 金剛界大日種子石塔婆(仙台市史 No:B1-10)

 東光寺(とうこうじ)(宮城県仙台市宮城野区岩切字入山22)

   二基の嘉暦二年(1327)銘の大型石塔婆、その向って左側の砂岩製石塔婆で、胎蔵界大日種子を主尊とする。

胎蔵界大日種子石塔婆(中央)(市指定史跡、鎌倉時代後期 嘉暦二年 1327年、花崗質砂岩、高さ 212Cm 幅 110Cm 厚さ 50.6Cm)

本石塔婆は、向って左側 半分が切り取られ、矢穴の痕も残っている。正面、上方に胎蔵界大日種子「ア」、下方に華厳経に出る「偈(げ)」と紀年銘を刻む。

華厳経に出る「偈頌(げじゅ)」と紀年銘 砂岩製石塔婆で、かなり背が高い。

華厳経(正式名称:大方広仏華厳経)に出る偈(げ)

偈(げ):「華厳如来(けごんにょらい) 成正覚時  於其身中  普見一切  衆生成正」(但し、『華厳』のところが、華厳経では『仏子』となる。)

[ 華厳如来は、正覚を成ずる時、其の身中に於いて、もれなくすべてに及んで、衆生が正覚を成ずるのを見たもう。 ] 正覚(しょうがく):完全なる悟り

紀年銘:「嘉暦弐(二)(1327)、丁卯、四月 日、敬白

石塔婆 上方

胎蔵界大日如来の種子「ア」を薬研彫する。

本石塔婆は「信田(しだ)小太郎の碑」と呼ばれているが、実際には、この地域を納めていた留守氏一族が造立したとされる。

西平場の石塔婆 二基は、同じ嘉暦二年(1327)銘であるが、本 砂岩製石塔婆が四月で、光明真言を刻んだ井内石製石塔婆が六月で、若干はなれている。

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東光寺 西平場 二基の石塔婆

二基の大型石塔婆を囲む土塁の壁側からは、地元の人々が納めた約80基もの小型石塔婆

出土しており、この西平場は、墓地とそれに伴う供養的機能を備えていたと考えられている。

 板碑(いたび)

*東北本線「岩切駅」下車、北西方向へ徒歩 約15分。現在、西平場は崖側が崩落危険の為、立入禁止となっている。写真は、墓側から望遠レンズで撮った。

(撮影:平成26年4月9日)