(弘前市史No:弘前42 )
国吉板碑群(くによしいたびぐん)(青森県弘前市国吉字村元)
上方に阿弥陀三尊種子、下方に法華経 譬喩品に出る偈(げ)を刻む石塔婆で、鎌倉時代後期 正和五年(1316)の紀年銘がある。
阿弥陀三尊種子石塔婆 (市指定文化財、鎌倉時代後期 文保元年 1317年、安山岩、高さ 108Cm 幅 98Cm 厚さ 30Cm)
石塔婆群、正面三基の中央に立つ。外観を六角形に荒成形、石面は上方 横一列に阿弥陀三尊種子、下方に六行の銘文を刻む。 |
尚尚、石面には輪郭線が巻かれ、三尊種子と銘文の間に郭線が引かれている。
石塔婆 上方
脇侍の観音・勢至種子は少し下気味だが、ほぼ横一線に阿弥陀三尊種子を刻む。
三尊種子は、中央に阿弥陀如来の種子「キリーク」、向って右 に観音菩薩の種子「サ」、左に勢至菩薩の種子「サク」を月輪なしに刻む。
主尊の阿弥陀種子と脇侍の観音・勢至種子の大きさがあまり変わらない。
石塔婆 下方
六行の銘文で、右から二行が法華経 譬喩品に出る偈(げ)、次の三行が願文、最終行は紀年銘を刻む。
刻銘:「今此三界 皆是我有、其中衆生 悉是吾子、
右志者口口口、幽儀三十五日、所修善根也、文保元(1317)九 十五、敬白」
三十五日(五七日)忌の供養塔として、文保元年(1317)九月十五日に本石塔婆を造立した。
刻銘:「文保元(1317)九 十五、敬白」 | 法華経 比喩品に出る偈(げ) |
偈(げ):「今此三界(こんしさんがい)皆是我有(かいぜがう)、其中衆生(ごちゅうしゅじょう)悉是吾子(しつぜごし)」
[ 今、この三界(欲界・色界・無色界)はみなこれ我が有するところ、その中の衆生はことごとく我が子なり ]
石塔婆、側・背面 | 主尊と偈文からみて、天台浄土系の石塔婆と思われる。 |
国吉石塔婆群、正面の三基
本 阿弥陀三尊種子石塔婆は、中央。
国吉板碑群 現地説明板 配置図
国吉板碑群は、(1)~(12)の12基が市の文化財に指定されている。
本 阿弥陀三尊種子石塔婆は(2)の位置に立つ。
国吉(くによし)板碑群
石塔婆は、岩木川が蛇行する阿弥陀ヶ淵付近の田の中に埋まっていたものを一ヶ所に集めたもので、近郷の小領主関係のものと考えられている。
東目谷地区と呼ばれるこの地域には、規模が小さいが数多くの中世城館跡が残っており、国吉板碑群の東側には古屋敷と呼ばれる中世城館跡があった。
*JR弘前駅前から弘南バス 弘前~大秋・川原線に乗車、「高野バス停」下車、南西方向へ 約800m。「弘前駅観光案内所」で、レンタサイクルを利用するのも便利。
(撮影:平成25年10月14日)