長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 (宮城県石巻市真野字萱原 2)
細長い棒状の井内石に四尊種子を荘厳体で刻んだもので、三十三年忌供養として造立にされた。室町時代前期 応永二十三年(1416)の在銘。
長谷寺 五尊種子石塔婆(室町時代前期 応永二十三年 1416年、粘板岩、高さ 260Cm 幅 20Cm 厚さ 14Cm) |
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石塔婆群、前から三列目に立つ。身部は上方に金剛界大日を始めとした四尊種子、下方は造立趣旨と紀年銘を刻む。 |
本石塔婆群で一番背が高い石塔婆で、後方中心部に立っており、ランドマーク的な役割をはたしている。
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上方、四尊種子 | 身部下方、刻銘 |
下方の刻銘は、中央に「右志口口 應永廿三年(1416)十月廿日、孝ホ(等)、敬白」、
両側に「口口禅門三十三年忌辰」、「乃至法界衆生平等利益故也」と刻む。
三十三年忌の追善供養として 応永二十三年(1416)十月二十日に造立された。
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四尊種子、上から二種子 | 四尊種子、次の二種子 |
四尊種子は、上から「バーンク」(金剛界大日)、「ウーン」(阿閦)、「仏尊不明」、「仏尊不明」が刻まれている。
この時代、三十三年忌の本尊として 金剛界大日如来の種子「バーンク」が刻まれることが多い。
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刻銘:「應永廿年(1416)十月」 | 刻銘:「三十三年忌」 |
長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 (宮城県石巻市真野字萱原 2)
五尊種子を刻む棒状の石塔婆で逆修供養碑として造立されている。室町時代前期 永享六年(1434)の在銘。
長谷寺 五尊種子石塔婆(室町時代前期 永享六年 1434年、粘板岩、高さ 165Cm 幅 20Cm 厚さ 22Cm)
石塔婆群の手前、参道沿いに立つ。身部は上方に五尊種子、下方に造立趣旨と紀年銘を刻む。
身部上方、五尊種子
上から「オン」、「タラーク」(虚空蔵)、「ウーン」(阿閦)、「キリーク」(阿弥陀)、「ウーン」(普賢)と思われる。
「石巻の歴史 第八巻」は、上から「カン」(金剛護)、「タラーク」(虚空蔵)、「ウーン」(阿閦)、「キリーク」(阿弥陀)、「ウン」(阿閦)と読んでいる。
当方の考えでは、種子が忌日供養の本尊を象徴しているとし、五仏種子を上から「オン」(下記 注)、「タラーク」(虚空蔵;三十三年忌)、「ウーン」(阿閦:
七年忌)、「キリーク」(阿弥陀:三年忌)、「ウーン」(普賢:四七日、普賢は通常「アン」をあてるが一皇子宮十三仏種子碑等は「ウーン」をあてている)と読
み、「タラーク」を三十三年忌相当、「ウーン」を七年忌相当、「キリーク」を三年忌相当、「ウーン」を四七日忌相当とした。鹿児島県湧水町の稲葉崎には個人で、
複数の逆修碑.を造立しているものがあるが、本石塔婆は複数の逆修を立てる代わりに一本で代行していると考えた。(「オン」は、大日・胎の種子としても使用)
「オン」:「オーン」とも。唵(おん)と音写する。聖音。陀羅尼を誦するときに、初めに唱えるものである。インドでは、宗教的儀式の前後に唱える神聖な音であった。
オンは、a・u・mの三字による合成であるとし、それぞれが万物の発生・維持・終滅を示すものと解された。真言密教に入って神聖な呪語となり、たとえば『守護国界
主陀羅尼経』第一には、それを法・報・応の三身(さんじん)に配し、三世の五仏(金剛界五仏)は、この字を観じて成仏するという。(「仏教美術辞典」、東京書籍)口
身部下方の刻銘
刻銘は、中央に「右趣者口超比丘 永享六年(1434)、甲寅、卯月念二日(二十二日)、敬白」、
両側に「夫逆修善根是七分全得万徳故也」、「現世安穏後生善処此道受楽」と刻む。
逆修供養として 永享六年(1434)四月二十二日に造立された。
法華経薬草喩品に出る偈(げ):「現世安穏(げんぜあんのん)、後生善処(ごしょうぜんしょ)」 [ 現世は安穏にして、後には弥陀の浄土に生ぜんことを ]
刻銘にある「七分全得」という言葉は、、生前に自分の死後の為の供養(逆修)を積んでおくと、死後におけるすべての功徳は自分が得られる。
死後の追善は、死者が益を受けること極めて少なく、福を七分して、死者が一分を得られ、六分は供養した人が受ける。逆修の功徳は全得と説く。
長谷寺(ちょうこくじ)参道脇石塔婆群
石塔婆群の中央に立つのが 四尊種子石塔婆(応永二十三年銘)。
*JR石巻線 陸前稲井駅から北東方向へ 約5.0Km。当地域は、地元住民を対象にした乗合タクシーがあるだけで、バスの便はない。
(撮影:平成26年4月13日)