長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 (宮城県石巻市真野字萱原 2)
妙桂禅尼三年忌碑で、その本尊 阿弥陀種子が刻まれている。室町時代前期 応永二十九年(1422)の紀年銘がある。
長谷寺 阿弥陀種子石塔婆(室町時代前期 応永二十九年 1422年、粘板岩、高さ 94Cm 幅 28Cm 厚さ 10Cm) |
石塔婆群、前から二列目に立つ。身部は、上方に阿弥陀種子、その下に「観世音菩薩往生浄土本縁経」に出る偈、下方は造立趣旨と紀年銘を刻む。
身部 上方
阿弥陀如来の種子「キリーク」を薬研彫する。
観世音菩薩往生浄土本縁経に出る偈(げ)
本偈は、最初の二句を刻み、次の二句 「現受無比楽、後生清浄土」 を省略している。
偈(げ):「一念弥陀仏(いちねんみだぶつ)、即滅無量罪(そくめつむりょうざい)」、「現受無比楽、後生清浄土」
[ 一たび阿弥陀仏を念ずれば、ただちに無量の罪を滅ぼし、まのあたりに無比の楽を受け、後生には浄土に生まれん。]
石塔婆下部、刻銘 | 刻銘:「應永二十九年(1422)壬寅四月」 |
刻銘は、向って右からに「頓証菩提乃至法界平等利益故」、
「右志趣者為 妙桂禅尼 大将(大祥)忌(三年忌)辰」、「應永二十九年(1422)壬寅四月十六日孝子等」と刻む。
妙桂禅尼 三年忌追善供養の為、子等が応永二十九年(1422)四月十六日に造立した。
長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 (宮城県石巻市真野字萱原 2)
三十三年忌に造立された石塔婆で、その本尊 金剛界大日種子「バーンク」(五点具足)が刻まれている。室町時代前期 応永二十五年(1418)の在銘。
長谷寺 二尊種子石塔婆 (室町時代前期 応永二十五年 1418年、粘板岩、高さ 90Cm 幅 26Cm 厚さ 5Cm) |
石塔婆群、前から二列目に立つ。身部は、上方に薬師種子及び十一面観音種子、下方は造立趣旨と紀年銘を刻む。
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上方、二尊種子 | 身部下方、刻銘 |
上方の二尊種子は、上に金剛界大日如来の種子「バーンク」(五点具足)、下に種子「キャ」(十一面観音)の裏返し、が刻まれている。
下方は、中央に「應永廿五年(1418)、戊戌、三月五日、孝口、敬口」、
向って右に「右志趣者為教智禅門三十三年忌并」、左に「頓証菩提乃至法界平等利益故也」と刻む。
教智禅門 三十三年忌の為、応永二十五年(1418)三月五日に造立した。
長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 (宮城県石巻市真野字萱原 2)
三年忌に造立された石塔婆で、その本尊 阿弥陀種子が刻まれている。室町時代前期 応永二十三年(1416)の紀年銘がある。
長谷寺 阿弥陀種子石塔婆 (室町時代前期 応永二十三年 1416年、粘板岩、高さ 84Cm 幅 23Cm 厚さ 15Cm) |
-石塔婆群、前から二列目に立つ。身部は、上方に阿弥陀種子「キリーク」、下方に造立趣旨と紀年銘を刻む。
身部 上方
阿弥陀如来の種子「キリーク」を薬研彫する。
石塔婆、下部の刻銘 | 刻銘:「應永二十三年(1416)六月」 |
刻銘は、中央に「應永二十三年(1416)六月八日」、
向って両側上部に「右志者為相当覚円禅門之、第三年忌辰極楽正覚禅尼為」、両側下部に「乃至法界平等利益」と刻む。
長谷寺(ちょうこくじ)応永二十五年銘石塔婆(宮城県石巻市真野字萱原 2)
十七年忌に造立された石塔婆で、室町時代前期 応永二十五年(1418)の紀年銘がある。
長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆 (室町時代前期 応永二十五年 1418年、粘板岩、高さ 73Cm 幅 24Cm 厚さ 10Cm) |
-石塔婆群、最前列に立つ。石塔婆は、上部破損のため種子不明、下方は造立趣旨と紀年銘を刻む。
下方は、中央に「右志者為 應永廿五年十一月二日、孝子、敬白」、
向って右に「道妙禅門十七年辰」、左に「乃至法界平等利益故也」と刻む。
道妙禅門 十七年忌の為、応永二十五年(1418)十一月二日に造立された。
十七年忌の石塔婆は、近くの八幡神社 石塔婆や寺崎 石塔婆群に見かけるが、いづれも金剛界大日「バン」を主尊としている。
真野萱原(まののかやはら)、現地案内 | 真野萱原、現地説明板(部分) |
*JR石巻線 陸前稲井駅から北東方向へ 約5.0Km。当地域は、地元住民を対象にした乗合タクシーがあるだけで、バスの便はない。
(撮影:平成26年4月13日)