八幡神社 金剛界大日種子石塔婆

 八幡神社(はちまんじんじゃ)(宮城県石巻市南境字妙見8)

   三十三回忌の追善供養の為に造立された石塔婆で、室町時代前期 永享十年(1438)の紀年銘がある。

八幡神社 金剛界大日種子石塔婆 (室町時代前期 永享十年 1438年、粘板岩、高さ 95Cm 幅 30Cm 厚さ 10Cm)

頭部及び種子の上方を欠失する。種子は金剛界大日種子で、その下に即身成仏義に出る偈(げ)、下方は造立趣旨と紀年銘を刻む。

石塔婆、上部

種子は、上方を欠くが残部から、金剛界大日如来の種子「バーンク」(五点具足)と推定できる。

十三仏が確定する前では、三十三年忌に金剛界大日種子「バーンク」が使われることはよくある。

即身成仏義に出る偈(げ)

(偈は、三句目と四句目が入れ替っている)

偈(げ):「六大無礙常瑜伽(ろくだいむげじょうゆが)、四種曼荼各不離(ししゅまんだかくふり)

重々帝網名即身(じゅうじゅうたいもうみょうそくしん)、三密加持速疾顕(さんみつかじそくしっけん)

[ 六大(地・水・火・風・空・識)は無礙(むげ)にして常に瑜伽(ゆが)である。四種の曼荼羅は各々

離れず関係を持ち、三密を加持すれば速やかに顕れ、帝網の如く無尽に働く、これを即身と名付ける ]

石塔婆下方、刻銘

下方中央に「右志者 永享十年(1438)卯月十六日の紀年銘、

その両側に各一行「弘禅上人三十三年忌」、「乃至法界平等利益也」と刻んでいる。

[ 弘禅上人 三十三回忌供養の為、室町時代前期の永享十年(1438)四月十六日に本碑を造立した。]

刻銘:永享十年(1438)卯月十六日 刻銘:弘禅上人三十三年忌

八幡神社 金剛界大日種子石塔婆

 八幡神社(はちまんじんじゃ)(宮城県石巻市南境字妙見8)

   「十七年忌」追善供養の為、造立された石塔婆で、室町時代中期 長禄二年(1458)の紀年銘がある。

八幡神社 金剛界大日種子石塔婆 (室町時代中期 長禄二年 1458年、粘板岩、高さ 110Cm 幅 16Cm 厚さ 11Cm)

石塔婆は、角塔婆風。身部は、上方に金剛界大日種子「バン」、下方は珍しい「十七年忌」の造立趣旨と紀年銘を刻む。

石塔婆、上方

金剛界大日如来の種子「バン」を薬研彫する。

(現在では、十七年忌の本尊は胎蔵界大日「ア」とされている。)

石塔婆下方、刻銘(全文) 刻銘:長禄二年(1458)、戊刁(寅)、十二月」

刻銘は、上方に「右志者」、下方に三行 「口大菩提之故也、道空禅門十七年忌長禄二年(1458)、戊刁(寅)、十二月十五日」と刻んでいる。

[ 道空禅門 十七回忌供養の為、室町時代中期の長禄二年(1458)十二月十五日に本碑を造立した。]

石巻市での、十七回忌碑の初出は室町時代前期 応永二十五年(1418)という。

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八幡神社(はちまんじんじゃ)石塔婆群

近世の石塔婆に並んで、中世の石塔婆が立っている。

 板碑(いたび)

*JR石巻線・仙石線 「石巻駅」下車、北方向へ 約3.3Km。駅前のレンタカーの店で、自転車を借りるのが便利。

(撮影:平成26年4月12日)