満福寺(まんぷくじ)(兵庫県養父市十二所724)
参道に立つ江戸時代中期の宝篋印塔で、延享元年(1744)の紀年銘がある。
満福寺(まんぷくじ)参道 宝篋印塔 (江戸時代中期 延享元年 1744年)
宝篋印塔は、仁王門から石段を登った参道の左手に地蔵石仏と共に立っている。江戸時代中期の石塔で、笠の隅飾りを二ヶ所欠損する。。 |
笠
隅飾りは、花弁の様に反りかえり江戸時代の特長を示している。
塔 身
陽刻の蓮座上、同じく陽刻の月輪に金剛界四仏の種子を陰刻する。
(写真向って右:不空成就如来の種子「アク」、左:阿閦如来の種子「ウーン」)
基礎正面、宝篋印陀羅尼経の種子「シッチリヤ」を刻む。 | 基礎、南面の銘文 |
基礎は縦長で上端に単弁の反花(かえりばな)、側面は東面(正面)に宝篋印陀羅尼経の種子「シッチリヤ」、他の三面は銘文を刻んでいる。
基礎南面の銘文:「經日若有人或、見塔形或當典、影或聞其名現、世安穏後世往、生極楽浄土」
基礎 北面
「法華経化城喩品に出る偈(げ)」を刻んでいる。
偈(げ):「願以此功徳(がんにしくどく) 普及於一切(ふぎゅうおいっさい) 我等与衆生(がとうよしゅじょう) 皆共成仏道(かいぐじょうぶつどう」
[ 願わくばこの功徳をもって、あまねく一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜん ]
基礎 背面(西面)
紀年銘、願主・施主名が刻まれている。
紀年銘:「延享改元 甲子(1744)十月日」
台 座
上端は単弁反花、側面は無地。
満福寺(まんぷくじ)参道 宝篋印塔 (江戸時代中期 延享元年 1744年)
基壇は、切石の三段。奥の院も含め、寺域は大変広い。
満福寺(まんぷくじ)本堂(江戸時代後期 嘉永年間 1848~1854年再建)(真言宗)
満福寺(まんぷくじ)仁王門
満福寺は、天平年間(729~749) 行基によって開かれた古刹。
宝篋印塔紀年順 | 時光寺(じこうじ)宝篋印塔(江戸時代後期) | 宝篋印塔-紀年順-目次 |
*JR山陰本線 八鹿駅前から全但バス 八鹿-大谷-明延線に乗車、「十二所バス停」下車、北北西方向へ 徒歩約18分。
(撮影:平成25年8月27日)