光明寺(こうみょうじ)阿弥陀三尊種子板碑

 光明寺(こうみょうじ)(千葉県印西市小林1841)

   印旛地域に少ない下総型板碑で、碑面に阿弥陀三尊種子を刻んでいる。南北朝時代中期 暦応四年(1341)の紀年銘がある。

光明寺 阿弥陀三尊種子板碑(市指定文化財、南北朝時代前期 暦応四年 1341年、黒雲母片岩、高さ 110Cm 幅 48Cm)

身部の輪郭外、上辺に大日真言、右辺に金剛界五仏種子、左辺に大日報身真言、下辺に偈・紀年銘、輪郭内は阿弥陀三尊種子を刻む。

板碑 頭部

頭部 山形、下に二条線、身部は阿弥陀三尊種子を一重線の輪郭で囲む。

輪郭の外、上辺に「ア・バ・ラ・カ・キャ」の大日如来真言が梵字で刻まれている。

身部中央「阿弥陀三尊」の種子を刻む 現地説明板(部分)

阿弥陀三尊種子は、上方に阿弥陀如来の種子「キリーク」、向って右下 に観音菩薩の種子「サ」、左に勢至菩薩の種子「サク」を刻む。

主尊の「キリーク」は、瓔珞(ようらく)を垂らした天蓋(てんがい)と蓮台で荘厳し、月輪内に刻まれている。脇侍の観音・勢至は、種子のみ小さく刻む。

輪郭外左辺、ア・ビ・ラ・ウーン・ケン」 輪郭外右辺、「金剛界五仏の種子」

身部 向って左側、輪郭の外側に沿って「ア・ビ・ラ・ウーン・ケン」の大日報身真言、

右側、輪郭の外側に「バン(金剛界大日)・ウーン(阿閦)・タラーク(宝生)・キリーク(阿弥陀)・アク(不空成就)の金剛界五仏種子を刻む。

身部下方の刻銘

刻銘は、向って右から左に「往生要集」に出る偈(げ)「極重悪人、無他方便、唯称念佛、得生極楽」

、と紀年銘「暦応四年(1341)四月、十日」を刻む。

板碑、側・背面 (厚さ 14Cm) 印西市には、数基あるのみで少ない下総型板碑

「板碑の総合研究(2)地域編」(坂詰秀一 編、柏書房)の千葉県 地域別分布表によると印西市を含む印旛地域の板碑は、武蔵型板碑が212基を数え、下総

型板碑は22基となり、西側 東葛地域の1基からやや増えている。また、同表による東側 香取地域は武蔵型板碑がわずか1基で、下総型板碑が607基を数え、

西から東へ武蔵型板碑から下総型板碑への変化が明確に見て取れる。いいかえれば、千葉県で武蔵型板碑の影響が及ぶ地域は本地域を東限としている。

往生要集に出る偈(げ)

偈(げ):「極重悪人(ごくじゅうあくにん)無他方便(むたほうべん)、唯称念佛(ゆいしょうねんぶつ)得生極楽(とくしょうひこく)

[ 極重悪人には他の方便(てだて)なし、ただ念仏をとなえれば、極楽に生まれることができる ]

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光明寺(こうみょうじ)本堂 (天台宗)

光明寺は、安土桃山時代が始まった年 天正元年(1537)の創建と伝える。

 板碑(いたび)

*JR成田線 「小林駅」 下車、南西方向へ徒歩 約8分。

(撮影:平成25年3月11日)