羽黒十三仏堂(はぐろじゅうさんぶつどう)(千葉県印西市吉高)
羽黒十三仏堂の本尊として祀られている下総型板碑。紀年銘の確かな十三仏板碑としては最古、南北朝時代後期 永和四年(1378)の造立。
羽黒 十三仏種子板碑(市指定文化財、南北朝時代後期 永和四年 1378年、黒雲母片岩、高さ 117Cm 幅 97Cm) |
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身部は、上辺に金・胎 大日種子を併せて三仏、正面に釈迦三尊と阿弥陀三尊の六仏、下辺に残り四仏の種子を月輪内に刻み十三仏とする。 |
十三仏は、死者の追善供養のために①.初七日(不動)、②.二七日(釈迦)、③.三七日(文殊)、④.四七日(普賢)、⑤.五七日(地蔵)、⑥..六七日(弥勒)、⑦.七七日(薬師)、
⑧.百ヶ日(観音)、⑨.一周忌(勢至)、⑩.三回忌(阿弥陀)、⑪.七回忌(阿閦)、⑫.十三回忌(大日)、⑬.三十三回忌(虚空蔵)の十三仏事にわりあてられた仏・菩薩をいう。・
最初の十仏は、閻魔王など十王の本地仏を、初七日(不動)から三回忌(阿弥陀)までに当て、この十仏に七回忌 阿閦、十三回忌 大日、三十三回忌 虚空蔵を加えたのが十三仏。
本板碑は、十王の本地仏の十仏に⑪.胎蔵界大日(七回忌)、⑫.金剛界大日(十三回忌)、⑬.五点具足の胎蔵界大日(三十三回忌)を加え、十三仏としている。
種子の他、上辺に「ナ・ム・ア・ミ・ダ・ブツ」の六字名号、釈迦・阿弥陀 両三尊の間に「ア・ビ・ラ・ウーン・ケン」
の大日如来報身真言(胎蔵大日真言)、左右の枠線に沿って内に各一行「光明真言」が各々梵字で刻まれている。・・
光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ、シャ、ナ、マ、カー、ボ、ダラ」 「マ、ニ、ハン、ドマ、ジンバ、ラ、ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン」
板碑 上辺
頭部山形を線刻し、身部は一重線の輪郭を巻く。身部最上部、右端に胎蔵界大日種子⑪.「ア」、中央に金剛界大日種子⑫.「バン」、
左端に胎蔵界大日種子(五点具足)⑬.「アーンク」、種子間二ヶ所に各三字「ナ・ム・ア」、「ミ・ダ・ブツ」の六字名号を梵字で刻む。
また、種子間には、釈迦三尊と阿弥陀三尊の主尊を荘厳する天蓋(てんがい)が夫々刻まれている。(○内番号は、十三仏の順序)
瓔珞(ようらく)付き天蓋の下、「阿弥陀三尊種子」 | 瓔珞(ようらく)付き天蓋の下、「釈迦三尊種子」 |
釈迦三尊種子は、上に大きく釈迦如来の種子②.「バク」、向かって右下に普賢菩薩の種子④.「アン」、左下に文殊菩薩の種子③.「マン」を蓮座上月輪内に刻む。
阿弥陀三尊種子は、上に阿弥陀如来の種子⑩.「キリーク」、向って右下 に観音菩薩の種子⑧.「サ」、左下に勢至菩薩の種子⑨.「サク」を蓮座上月輪内に刻む。
両三尊の間に「ア・ビ・ラ・ウーン・ケン」の大日如来報身真言(胎蔵大日真言)が刻まれている。(○内番号は、十三仏の順序)
身部 下方
下辺の種子、向って右から⑦.「薬師如来(バイ)」、⑥「弥勒菩薩(ユ)」、⑤.「地蔵菩薩(イ)」
、①「不動明王(カーン)」の四仏が月輪内に梵字で刻まれている。(○内番号は、十三仏の順序)
枠内の刻銘
枠内右から「右意趣者、沙弥道妙、幷妙一尼、為逆修善、根所奉造、立石仏也、依之現必、咸七分全、得之報当、
定生九品、浄土之台、乃至法界、有縁無縁、一切衆生、平等利益、永和四年(1378)、戊午、卯月日」の刻銘がある。
板碑は、在俗出家をした沙弥道妙と妙一尼の夫妻が、生前に自分たちのために死後の法要を行う「逆修供養」のため造立された。
両三尊間の刻銘:「ア・ビ・ラ・ウーン・ケン」 | 刻銘(部分):「咸七分全、得之報当」 |
刻銘にある「七分全得」という言葉は、生前に自分の死後の為の供養(逆修)を積んでおくと、死後におけるすべての功徳は自分が得られる。
死後の追福は、益を受けること極めて少なく、七分の内わずかに一を得られるのみで、六分は供養した人が受ける。逆修の功徳は全得と説く。
①.不動明王(初七日) | ⑤.地蔵菩薩(五七日) | ⑥.弥勒菩薩(六七日) | ⑦.薬師如来(七七日) |
(カーン) | (イ) | (ユ) | (バイ) |
身部の下辺の種子(○内番号は、十三仏の順序)
羽黒 十三仏種子板碑(市指定文化財、南北朝時代後期 永和四年 1378年、黒雲母片岩)
十三仏板碑は、慈光寺十三仏種子板碑(康永四年 1345年)が最古のものとして知られるが、実際には紀年銘
は磨滅し、室町前期の作ともいわれている。紀年銘の確かな十三仏板碑としては、本板碑が最古に当たる。
羽黒十三仏堂
十三仏板碑は、堂内に本尊として祀られている。
*北総鉄道 「印旛日本医大駅」 下車、東方向へ徒歩 約50分。
(撮影:平成25年3月11日)