山口家(やまぐちけ)石塔婆群 (宮城県石巻市東福田字馬場)
一周忌に造立された石塔婆で、その本尊 勢至種子及び法華経方便品に出る偈(げ)を刻んでいる。室町時代前期 応永七年(1400)の在銘。
山口家 勢至種子石塔婆 (室町時代前期 応永七年 1400年、粘板岩、高さ 107Cm 幅 31Cm 厚さ 5Cm) |
石塔婆は、上方月輪内に勢至種子[サク」、その下に法華経方便品に出る偈(げ)、下方は造立趣旨と紀年銘を刻む。
身部 上方
一周忌の本尊 勢至菩薩の種子「サク」を月輪内に薬研彫する。
法華経 方便品に出る偈(げ)
偈は、前の二句だけ刻まれている。
偈(げ):「十方佛土中(じっぽうぶつどちゅう)、唯有一乗法(ゆいういちじょうほう)、無二亦無三(むにやくむさん)、除仏方便説(じょぶつほうべんせつ)」
[ 十方の仏土の中には、ただ一乗の法のみあり、二もなく三もなし、仏の方便の説を除く ]
身部 下方、刻銘
刻銘は、中央に「右為志者 應永七年(1400)八月日」、
左右に「相当過去性教禅門」、「一周忌成佛得道也」と刻む。
室町時代前期 応永七年(1400)八月、性教禅門 一周忌の追善碑として造立された。
刻銘:「一周忌」 | 刻銘:「應永七年(1400)」 |
山口家(やまぐちけ)石塔婆群 (宮城県石巻市東福田字馬場)
上部を欠失する断碑で、法華経 譬喩品に出る偈(げ)が刻まれている。室町時代前期 応永八年(1401)の在銘。
山口家(やまぐちけ)石塔婆(断碑)(室町時代前期 応永八年 1401年、粘板岩、高さ 131Cm 幅 31Cm 厚さ 8Cm) |
石塔婆は、上部を欠失する。身部の下部が残り、法華経 譬喩品に出る偈(げ)及び造立趣旨・紀年銘を刻む。
法華経 譬喩品に出る偈(げ)
偈(げ):「今此三界(こんしさんがい)皆是我有(かいぜがう)其中衆生(ごちゅうしゅじょう)悉是吾子(しつぜごし)」
[ 今、この三界(欲界・色界・無色界)はみなこれ我が有するところ、その中の衆生はことごとく我が子なり ]
身部 下方、刻銘刻銘は、中央に「右志趣者為 應永第八(1401)、辛巳、仲春(二月)日、敬白」、
左右に「覚真大徳七分全得然則不駐、中有之生速至西方浄口乃至同利益也」と刻む。
「七分全得」という言葉は、、生前に自分の死後の為の供養(逆修)を積んでおくと、死後におけるすべての功徳は自分が得られる。死後の
追善供養は、死者が益を受けること極めて少なく、福を七分して、死者が一分を得られ、六分は供養した人が受ける。逆修の功徳は全得と説く。
山口家(やまぐちけ)石塔婆群 (宮城県石巻市東福田字馬場)
地蔵種子を主尊とする三十五日(五七日)忌の石塔婆で、室町時代前期 応永八年(1401)の紀年銘がある。
山口家 地蔵種子石塔婆(室町時代前期 応永八年 1401年、粘板岩、高さ 118Cm 幅 28Cm 厚さ 6Cm) |
頂部山形。身部は、上方に地蔵種子、下方は三十五日(五七日)忌の造立趣旨と紀年銘を刻む。
身部 上方
三十五(五七日)忌の本尊 地蔵菩薩の種子「カ」を薬研彫する。
身部 下方、刻銘 | 刻銘:「广永八年(1401)三月九日」 |
刻銘は、中央に「右志趣者為 广永八年(1401)三月九日、孝子、敬白」、
左右に「法圓禅尼三十五日忌辰、乃至法界平等利益故也」と刻む。
室町時代前期 応永八年(1401)三月九日、法円禅尼三十五日忌の為、造立された。
刻銘:「法圓禅尼三十五日忌」
山口家(やまぐちけ)石塔婆群(部分)
中央は、応永七年(1400)銘 勢至種子石塔婆。
*JR石巻駅からミヤコ―バス石巻専修大学線 飯野川行きに乗車、福田バス停下車、南東方向へ徒歩 約1.2Km。石巻駅前のレンタカーの店で、自転車を借りるのが便利。
(撮影:平成26年4月12日)