石造美術の偈頌(げじゅ)   

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写真:河合 哲雄

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偈頌(げじゅ)索引

青鳥城跡 胎蔵界大日種子板碑 (市指定文化財、南北朝時代中期 応安二年 1369年、埼玉県東松山市)

般若心経秘鍵に出る偈(げ)

偈(げ):「真言不思議(しんごんふしぎ)、観誦無明除(かんじゅむみょうじょ)、一字含千里(いちじがんせんり)、即身証法如(そくしんしょうほうにょ)

[ 真言は不思議なり、観誦すれば無明を除き、一字に千里を含み、この身ながらに真理を証す ]

  石仏と石塔-更新履歴と参考文献!

凡例 :  国宝   重要文化財   府・県指定文化財・県史跡   市・町指定文化財  史跡  重要美術品  指定なし

さ行

指定 名       称 制  作  年 所    在    地
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「妻子珍宝及王位(さいしちんぽうぎゅうおうい)、臨命終時不随者(りんみょうしゅうじふずいしゃ)、
「唯戒及施不放逸」(ゆいかいぎゅうせふほういつ)、今世後世為伴侶(こんぜごせいはんりょ)(出典:大集経)
[ 妻子や財産・王位は、臨終した後、ついてこない。唯(ただ)、戒・施・不放逸の三つは、今世の後、共に伴侶となる。]
さい 甚日寺 曼荼羅自然石塔婆 (護摩堂跡供養塔)  嘉暦二年(1327年) 福島県郡山市御代田字北町13
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「坐宝蓮華(ざほうれんげ)」、「成等正覚(じょうとうしょうがく)

[ 宝蓮華に坐して、等正覚を成就せん。] (等正覚:完全な悟り) (出典:法華経 提婆達多品

ざほう 大法寺(だいほうじ)題目板碑  慶長十七年(1612年) 千葉県香取市森戸438
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「三界無安(さんがいむあん)、猶如火宅(ゆにょかたく)、衆苦充満(しゅくじゅうまん)、甚可怖畏(じんかふい)(出典:法華経譬喩品)
[ 三界(欲界・色界・無色界)は安きことなし、なお火宅(燃えている家)の如し。衆苦(しゅく)は充満して、甚(はなは)だ畏怖(いふ)すべきものなり ]
さんが つちんど墓地(小原辻堂墓地)笠塔婆  永仁七年(1299年) 奈良県宇陀市室生区小原
さんが 国吉(くによし)阿弥陀三尊種子石塔婆  元応三年(1321年) 青森県弘前市国吉字村元
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「三界唯一心(さんがいゆいつしん)、心外無別法(しんげむべっぽう)、心佛及衆生(しんぶつぎゅうしゅじょう)、是三無差別(ぜさんむしゃべつ)
[ 三界は唯(ただ)一心にあり、心の外に別の法なく、心と仏と衆生、この三つに差別なし ] (出典:華厳経)
(この偈は、おそらく源信が華厳経の句を集めて作ったと推測されている。)
さんが 高木(たかぎ)観音堂 釈迦種子石塔婆  正安四年(1302年) 宮城県石巻市高木字竹下
さんが 大英寺(だいえいじ)阿弥陀種子板碑  嘉元元年(1303年) 埼玉県加須市騎西1404
さんが 多福院(さふくいん) 草刈山 釈迦種子石塔婆  徳治三年(1308年) 宮城県石巻市吉野 1-4-9
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「三世常住(さんぜじょうじゅう)、大日如来(だいにちにょらい)  ※ 出典は、「『覚禅鈔』などによれば、『中堂薬叉供』という」(「石仏偈頌辞典」:加藤政久 編著)
[ 三世(前世・現世・来世)に住みたもう大日如来がおわします。 ]
さんぜ 高木(たかぎ)観音堂 観音種子石塔婆  文明十年(1478年) 宮城県石巻市高木字竹下

指定 名       称 制  作  年 所    在    地
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「始見我身(しけんがしん)、聞我所説(もんがしょせつ)、即皆信受(そくかいしんじゅ)、入如来慧(にゅうにょらいえ) (出典:法華経 従地涌出品)
[ 始めわが身を見、わが所説を聞きて、即ち皆、信受して慧(え)に入れり。] (仏を見るだけで、また教えを聴いただけで、仏の智慧を理解し、それに没頭するのである。)
しけ 小友館(おともだて)跡 金剛界大日種子板碑 正中四年(1327年) 青森県弘前市小友字宇田野199-1
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「地獄天宮(じごくてんぐう)、皆為浄土(かいいじょうど)、有性無性(うしょうむしょう)、斉成仏道(さいじょうぶつどう)
[ 地獄も天宮(てんぐう)も皆浄土なり、仏性あるも無きも、ひとしく仏道を成ずる ] (出典:円覚経)
じご 宗清寺(そうせいじ)阿弥陀三尊図像板碑.  応安六年(1373年) 埼玉県児玉郡美里町白石1953
じご 多福院(たふくいん) 草刈山 勢至種子石塔婆  紀年銘なし 宮城県石巻市吉野 1-4-9
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「至心帰命(ししんきみょう)、周遍法界(しゅうへんほうかい)、三世常住(さんぜじょうじゅう)、大日如来(だいにちにょらい) (出典:未詳)
[ 至心に帰命(帰依)せば、法界(世の中)にあまねき、三世(前世・現世・来世)に住みたもう大日如来がおわします。 ]
※ 三句と四句は、「『覚禅鈔』などによれば、『中堂薬叉供』という」(「石仏偈頌辞典」:加藤政久 編著)
しし 寺崎(てらさき)金剛界大日種子石塔婆  文明三年(1470年) 宮城県石巻市大瓜字寺崎
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「始知衆生(しちしゅじょう)、本来成仏(ほんらいじょうぶつ)、生死涅槃(しょうじねはん)、猶如作夢(ゆにょさむ)   (出典:円覚経)
[ 初めて知る。衆生は本来成仏することを。生死・涅槃は、なお昨日の夢の如し。]
しち 中別所(なかべっしょ)金剛界大日種子石塔婆  元亨三年(1323年) 青森県弘前市中別所字葛野(石仏)
しち 高木(たかぎ)観音堂 勢至種子石塔婆  永享年間(1429~41年) 宮城県石巻市高木字竹下
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「十方恒沙仏(じっぽうごうしゃぶつ)、六通照知我(ろくつうしょうちが)、今乗二尊教(こんじょうにそんきょう)、広開浄土門(こうかいじょうどもん)
[ 十方無数におられる仏は、六通力により我を照知している。今、二尊(釈迦・阿弥陀)の教えに導かれて、広く浄土の門を開く ](出典:観無量寿経疏)
じっぽ 大英寺(だいえいじ)二尊種子板碑  弘安九年(1286年) 埼玉県加須市騎西1404
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「十方三世仏(じっぽうさんぜぶつ)、一切諸菩薩(いっさいしょぼさつ)、八万諸聖教(はちまんしょしょうぎょう)、皆是阿弥陀(かいぜあみだ)
[ 十方三世の御仏、一切の諸菩薩、八万の諸聖教は、みなこれ阿弥陀 也 ] (出典:浄土教古徳之偈)
じっぽ 善応寺(ぜんのうじ)阿弥陀一尊種子板碑.  仁治三年(1242年) 埼玉県加須市騎西1156
じっぽ 観照寺(かんしょうじ)阿弥陀一尊種子板碑  弘長二年(1262年) 群馬県佐波郡玉村町上之手1282
じっぽ 紅巌寺跡(こうがんじあと)笠塔婆  文永五年(1268年) 群馬県伊勢崎市宮子町1416
じっぽ つちんど墓地(小原辻堂墓地)笠塔婆  永仁七年(1299年) 奈良県宇陀市室生区小原
じっぽ 医光寺(いこうじ) 阿弥陀三尊種子板碑  延慶三年(1310年) 群馬県藤岡市牛田399
じっぽ 高木(たかぎ)観音堂 勢至種子石塔婆  貞治二年(1363年) 宮城県石巻市高木字竹下
じっぽ 長谷寺(ちょうこくじ)勢至種子石塔婆  貞治二年(1363年) 宮城県石巻市真野字萱原2
じっぽ 北金ヶ沢 観音種子自然石塔婆  南北朝時代 青森県西津軽郡深浦町北金ヶ沢
じっぽ 多福院(たふくいん)山門脇 阿弥陀種子石塔婆  応永五年(1398年) 宮城県石巻市吉野 1-4-9
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「十方世界(じっぽうせかい)、無一有情、如来大悲、所不能照」  (出典:往生要集、源信が「勝天王般若波羅密経」の部分からつくった偈。
[ 十方世界には、一の有情(うじょう)に対して、如来の大悲を、能(よ)く照らさない所はない。]
じっぽ 多福院(たふくいん) 山門脇 胎蔵界大日種子石塔婆  永享十一年(1439年) 宮城県石巻市吉野 1-4-9
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「十方仏土中(じっぽうぶつどちゅう)、唯有一乗法(ゆいういちじょうほう)、無二亦無三(むにやくむさん)、 除仏方便説(じょぶつほうべんせつ
[ 十方の仏土の中には、ただ一乗の法のみあり、二もなく三もなし。仏の方便の説を除く ](出典:法華経 方便品)
じっぽ 西蔵院(さいぞういん)二尊種子板碑  鎌倉時代中期 千葉県香取市大根1151
じっぽ 最勝院(さいしょういん)阿閦種子断碑  正応二年(1289年) 埼玉県川口市飯塚1-5-24
じっぽ 落合(おちあい)観音堂阿弥陀種子石塔婆  正安年間(1299~1302年) 宮城県仙台市太白区四郎丸字落合59
じっぽ 東光寺(とうこうじ)山上 胎蔵界大日種子石塔婆  嘉元二年(1304年) 宮城県仙台市宮城野区岩切字入山22
じっぽ 西福寺(さいふくじ)阿弥陀三尊種子板碑  嘉元三年(1305年) 兵庫県加西市北条町東高室222-1
じっぽ 居神(いがみ)神社大日種子自然石塔婆  文保元年(1317年) 神奈川県小田原市城山4-23-29
じっぽ 阿弥陀堂跡 金剛界大日種子石塔婆  鎌倉時代後期 青森県南津軽郡大鰐町三ツ目内字富岡
じっぽ 中別所(なかべっしょ)金剛界大日種子石塔婆  鎌倉後期~南北朝時代 青森県弘前市中別所字葛野(石仏)
じっぽ 稲葉崎(いなばさき) 角塔婆  建武二年(1335年) 鹿児島県姶良郡湧水町稲葉崎
じっぽ 藤崎八幡宮 金剛界大日種子石塔婆  暦応三年(1340年) 青森県南津軽郡藤崎町藤崎四本松105
じっぽ 長谷寺(ちょうこくじ)地蔵種子石塔婆  康永三年(1344年) 宮城県石巻市真野字萱原2
じっぽ 妙昌寺(みょうしょうじ)日蓮供養題目板碑  貞和二年(1346年) 埼玉県東松山市神戸1121
じっぽ 弥勒寺(みろくじ)金剛界大日種子石塔婆  文和三年(1354年) 宮城県登米市中田町上沼字弥勒寺 寺山63
じっぽ 北金ヶ沢 胎蔵界大日種子自然石塔婆  康安元年(1361年) 青森県西津軽郡深浦町北金ヶ沢
じっぽ 寺崎(てらさき)地蔵種子石塔婆  応安元年(1368年) 宮城県石巻市大瓜字寺崎
じっぽ 山口家(やまぐちけ)石塔婆(断碑)  永徳三年(1383年) 宮城県石巻市東福田字馬場
じっぽ 安楽寺跡(あんらくじあと) 釈迦種子石塔婆  至徳三年(1386年) 宮城県石巻市水沼字寺内
じっぽ 関(せき)阿弥陀種子自然石塔婆.  南北朝時代 青森県西津軽郡深浦町関字栃沢
じっぽ 山口家(やまぐちけ)勢至種子石塔婆  応永七年(1400年) 宮城県石巻市東福田字馬場
じっぽ 高木(たかぎ)観音堂 金剛界大日種子石塔婆  応永二十六年(1419年) 宮城県石巻市高木字竹下
じっぽ 山口家(やまぐちけ)虚空蔵種子石塔婆  応永三十三年(1426年) 宮城県石巻市東福田字馬場
じっぽ 安楽寺跡 金剛界大日種子石塔婆  永享三年(1431年) 宮城県石巻市水沼字寺内
じっぽ 山口家(やまぐちけ)虚空蔵種子石塔婆  永享三年(1431年) 宮城県石巻市東福田字馬場
じっぽ 高木(たかぎ)観音堂 金剛界大日種子石塔婆 南北朝~室町時代中期 宮城県石巻市高木字竹下
じっぽ 山口家(やまぐちけ)石塔婆(断碑)  南北朝~室町時代中期 宮城県石巻市東福田字馬場
じっぽ 高木(たかぎ)観音堂 一尊種子石塔婆  室町時代中期 宮城県石巻市高木字竹下
じっぽ 本善寺(ほんぜんじ)題目板碑  享禄四年(1531年) 宮崎県日向市日知屋1397-1
じっぽ 阿弥陀堂(あみだどう)釈迦三尊種子板碑  寛文二年(1662年) 兵庫県加西市坂元町531
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「慈悲於一切(じひおいっさい)、不生懈怠心(ふしょうけたいしん)、十方大菩薩(じっぽうだいぼさつ)、愍衆故行道(みんしゅうえぎょうどう)
[ 一切を慈(いつく)しみ、懈怠の心を生ぜざれ。十方の大菩薩にして、衆を愍(あわ)れむが故に道を行ずる。 ] (出典:法華経 安楽行品)
じひ 般若寺(はんにゃじ)笠塔婆  弘長元年(1261年) 奈良県奈良市般若寺町221
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「十念成就(じゅうねんじょうじゅ)、順次決定(じゅんじけつじょう)、臨終正念(りんじゅうしょうねん)、往生極楽(おうじょうごくらく)
[ 十念(十声の念仏)成就すれば、順次に決定(けつじょう)し、臨終にあたり邪念を抱かず正念すれば、極楽に往生せん。]  (出典未詳)
じゅう 童子川(どうしがわ)稲荷社両部曼荼羅種子石塔婆  延慶四年(1311年) 宮城県大崎市古川休塚字童子川
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「衆生受仏戒(しゅじょうじゅぶつかい)、即入諸仏位(そくにゅうしょぶつい)、位同大覚位(いどうだいかくい)、真是諸仏子(しんぜしょぶつし)
[ 衆生は仏戒を受けて、ただちに諸仏の位に入る。その位は大覚(大いなる悟り)と同じであり、まことにこれ諸仏子なり ](出典:梵網経)
しゅじ 山根(やまね)六角塔婆(六面石幢)  貞和二年(1346年) 埼玉県入間郡毛呂山町宿谷39-1
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「衆生若聞名(しゅじょうにゃくもんみょう)、離苦得解脱(りくとくげだつ)、或遊戯地獄(わくゆうげじごく)、大悲代受苦(だいひだいじゅく)
[ 衆生もし観音の名を聞けば、苦を離れて解脱することができよう。或は、観音は地獄に周り、その大悲心で衆生に代わって苦しみを受ける ](出典:請観音経)
しゅじ 保月六面石幢(ほづきろくめんせきどう)  嘉元四年(1306年) 岡山県高梁市有漢町上有漢9167
しゅじ 山口家(やまぐちけ)石塔婆(断碑)  貞治年間(1362~68年) 宮城県石巻市東福田字馬場
しゅじ 長谷寺(ちょうこくじ)観音種子石塔婆  応永二十二年(1415年) 宮城県石巻市真野字萱原2
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「諸悪莫作(しょあくまくさ)、諸(衆)善奉行(しょぜんぶぎょう)、自浄其意(じじょうごい)、是諸仏教(ぜしょぶっきょう)

[ 諸々の悪を作(な)すこと莫(なか)れ。諸々の善を行い、自ら其の意(こころ)を浄(きよ)らかにせよ。是れ諸仏の教えなり。] (出典:「法華玄義巻二の上」ほか)
しょあ 真福寺(しんぷくじ)阿弥陀三尊種子板碑  正和三年(1314年) 埼玉県さいたま市南区別所 2-5-14
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「常在霊鷲山(じょうざいりょうじゅせん)及余諸住処(ぎゅうよしょじゅうしょ)我此土安穏(がしどあんのん)天人常充満(てんにんじょうじゅうまん)
[ (釈迦は)常に霊鷲山及び諸々の住み家にあり、我がこの土地は安穏にして、天人常に充満せり ](出典:法華経如来寿量品)
じょう 山根(やまね)六角塔婆(六面石幢)  貞和二年(1346年) 埼玉県入間郡毛呂山町宿谷39-1
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「正直捨方便(しょうじきしゃほうべん)、但説無上道(たんぜつむじょうどう)      (出典:法華経方便品)
[ 正直に方便を捨てて、ただ無上道のみを説く ]   (無上道:この上なくすぐれた道。さとり。)
しょう 定善寺(じょうぜんじ)題目板碑  元亀三年(1572年) 宮崎県日向市大字財光寺7295
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「常説法教化(じょうせつぽうきょうけ)、無数億衆生(むしゆおくしゅじょう)
[ 常に法を説きて、無数億の衆生を教化する ] (出典:法華経如来寿量品)
じょう 浄蓮寺(じょうれんじ)七基連刻板碑  文禄四年(1595年) 埼玉県秩父郡東秩父村御堂362
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「情存妙法故(じょうぞんみょうほうこ)身心無懈倦(しんじんむけげん)        (出典:法華経提婆達多品)
[ 情(こころ)に妙法をたもてる故に、身心は懈倦(ものうき)ことなし。(懈倦:あらゆる不幸なこと) ]
じょう 定善寺(じょうぜんじ)題目板碑  天文十一年(1542年) 宮崎県日向市大字財光寺7295
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「聖霊決定生極楽(しょうりょうけつじょうしょうごくらく)、上品蓮台成正覚(じょうぽんれんだいじょうしょうがく)、
菩提行願不退転(ぼだいぎょうがんふたいてん)、引導三途及法界(いんどうさんずぎゅうほうかい)(出典:般若理趣教)
[ 聖霊は必ず極楽に生まれ、上品の蓮台に正覚を成ず。菩提の行願は退転することなく、三界及び法界に導かれん。]
しょう 長泉院墓地(ちょうせんいんぼち)釈迦種子板碑  正元元年(1259年) 千葉県香取市羽根川38
しょう 瑠璃光寺(るりこうじ)建治二年銘 種子板碑  建治二年(1276年) 埼玉県深谷市稲荷町北9-25
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「諸教所讃(しょぎょうしょさん)、多在弥陀(たざいみだ)、故以西方(こいさいほう)、而為一准(にいいちじゅん)
[ 諸教(経)のたたえる所は、多く弥陀にあり、故に西方をもって、一准(一つの目安)となす ] (出典:麻訶止観補行)
しょぎ 須賀広(すがひろ)阿弥陀三尊図像板碑.  嘉禄三年(1227年) 埼玉県熊谷市千代329
しょぎ 金乗寺(こんじょうじ)仁治三年銘 図像板碑  仁治三年(1242年) 埼玉県鴻巣市小谷1507
しょぎ 正代(しょうだい)阿弥陀一尊 図像板碑 鎌倉時代中期 埼玉県東松山市大字正代832
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「諸行無常(しょぎょうむじょう)、是生滅法(ぜしょうめっぽう)、生滅滅已(しょうめつめつい)、寂滅為楽(じゃくめついらく)
[ 諸行は無常である。これ生滅の法である。生滅を滅しおわりて、生も滅もない寂滅を楽しみとする ] (出典:涅槃経)
しょぎ 宇智川(うちがわ)磨崖碑  宝亀九年(778年) 奈良県五條市小島町
しょぎ 王子権現社(おうじごんげんしゃ)石造宝塔(総願寺跡)  建仁三年(1203年) 岡山県倉敷市児島下之町田和
しょぎ 般若寺(はんにゃじ)笠塔婆  弘長元年(1261年) 奈良県奈良市般若寺町221
しょぎ 瑞林寺(ずいりんじ)文永八年銘 断碑  文永八年(1271年) 埼玉県熊谷市妻沼2485
しょぎ 寿命院(じゅみょういん)阿弥陀一尊種子板碑   建治二年(1276年) 埼玉県北本市深井4-55
しょぎ 龍澤寺(りゅうたくじ)金剛界大日三尊種子石塔婆  弘安四年(1281年) 岩手県一関市中里字沢田17
しょぎ 地福寺 弘安五年銘 金剛界大日種子板碑   弘安五年(1282年) 千葉県香取市大戸594
しょぎ 慈眼寺(じげんじ)五重石塔   弘安六年(1283年) 兵庫県加西市吸谷町観音堂内
しょぎ 慈光寺(じこうじ)阿弥陀種子板碑(断碑)  弘安七年(1284年) 埼玉県比企郡ときがわ町西平386 
しょぎ 地福寺(じふくじ)阿弥陀一尊種子板碑.   正応四年(1291年) 千葉県香取市大戸594
しょぎ 徳蔵寺(とくぞうじ)阿弥陀一尊種子板碑  永仁六年(1298年) 東京都東村山市諏訪町1-26-3
しょぎ つちんど墓地(小原辻堂墓地)笠塔婆  永仁七年(1299年) 奈良県宇陀市室生区小原
しょぎ 興禅寺(こうぜんじ)阿弥陀種子板碑 正安二年(1300年) 埼玉県入間郡越生町西和田849
しょぎ 地蔵院(じぞういん)大日種子二連板碑  乾元二年(1303年) 千葉県香取市新市場87
しょぎ 国吉(くによし)阿弥陀三尊種子石塔婆  正和五年(1316年) 青森県弘前市国吉字村元
しょぎ 金ヶ瀬(かながせ)薬師堂 曼荼羅自然石塔婆.  元亨元年(1321年 宮城県柴田郡大河原町金ヶ瀬字薬師
しょぎ 金子家(かねこけ)阿弥陀三尊種子板碑(Ⅱ)  元弘三年(1333年) 埼玉県朝霞市根岸台8丁目
しょぎ 中別所(なかべっしょ)阿弥陀種子石塔婆  鎌倉時代 青森県弘前市中別所字葛野(公卿塚)
しょぎ 乳井神社墓地(にゅういじんじゃぼち)石塔婆  鎌倉後期~南北朝時代 青森県弘前市乳井字外ノ沢
しょぎ 善光寺(ぜんこうじ)阿弥陀種子板碑  建武四年(1337年) 大分県宇佐市大字下時枝237
しょぎ 長谷寺(ちょうこくじ)阿閦種子石塔婆  延元二年(1337年)(南朝) 宮城県石巻市真野字萱原2
しょぎ 高木(たかぎ)観音堂 阿弥陀三尊種子石塔婆  延元二年(1337年)(南朝) 宮城県石巻市高木字竹下
しょぎ 一皇子宮(いちおうじぐう)阿閦種子石塔婆  延元四年(1339年)(南朝) 宮城県石巻市湊字大門崎山2
しょぎ 小僧丸(こぞうまる)地蔵種子石塔婆  貞和五年(1349年) 宮城県石巻市大森字新町頭辻堂
しょぎ 稲葉崎(いなばさき)種子二連板碑  文和四年(1355年) 鹿児島県姶良郡湧水町稲葉崎
しょぎ 中別所(なかべっしょ)一尊種子石塔婆  応永四年(1397年) 青森県弘前市中別所字葛野(石仏)
しょぎ 向徳寺(こうとくじ)阿弥陀三尊種子板碑  応永十六年(1409年) 埼玉県比企郡嵐山町大蔵635
しょぎ 山口家(やまぐちけ)勢至種子石塔婆  応永二十二年(1415年) 宮城県石巻市東福田字馬場
しょぎ 慈光寺(じこうじ)胎蔵界大日種子板碑.  寛正五年(1464年) 埼玉県比企郡ときがわ町西平386
しょぎ 多福院(たふくいん) 草刈山 石塔婆  紀年銘不詳 宮城県石巻市吉野 1-4-9
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「諸仏念衆生(しょぶつねんしゅじょう)、衆生不念仏(しゅじょうふねんぶつ)、父母常念子(ぶもじょうねんし)、子不念父母(しふねんぶつぶも)
[ もろもろの仏は衆生を念ずるが、衆生は仏を念じない。父母は常に子を念ずるが、子は父母を念じない。] (出典:覚鑁(かくばん)著「孝養集」の引用
しょぶ 長谷寺(ちょうこくじ)金剛界大日種子石塔婆  貞和五年(1349年) 宮城県石巻市真野字萱原2
しょぶ 多福院(たふくいん)山門脇 阿弥陀種子石塔婆  応永八年(1401年) 宮城県石巻市吉野 1-4-9
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「諸法従本来(しょほうじゅうほんらい)、常自寂滅相(じょうじじゃくめつそう)、仏子行道已(ぶっしぎょうどうい)、来世得作仏(らいせいとくさぶつ
[ 諸法はもとよりこのかた、常に自ら寂滅の相なり、仏子(仏弟子)は道を行じ終われば、来世に仏となることを得ん ](出典:法華経 方便品)
しょほ 稲葉崎(いなばさき) 角塔婆.  建武二年(1335年) 鹿児島県姶良郡湧水町稲葉崎
しょほ 稲葉崎(いなばさき)一尊種子自然石塔婆  建武三年(1336年) 鹿児島県姶良郡湧水町稲葉崎
しょほ 水貫山(みずぬきやま)三尊種子石塔婆  康永三年(1344年) 宮城県石巻市南境字水貫山
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「心王念法(しんおうねんぽう)、不可破壊(ふかはえ) 
【大日如来(心王)の念ずる法は、壊れるということがない】 (出典:大悲空智教
しんお 保月三尊板碑(ほづきさんぞんいたび)   嘉元三年(1305年) 岡山県高梁市有漢町上有漢
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「真言不思議(しんごんふしぎ)、観誦無明除(かんじゅむみょうじょ)、一字含千里(いちじがんせんり)、即身証法如(そくしんしょうほうにょ)
[ 真言は不思議なり、観誦すれば無明を除き、一字に千里を含み、この身ながらに真理を証す ](出典:般若心経秘鍵)
しんご 山根(やまね)六角塔婆(六面石幢)  貞和二年(1346年) 埼玉県入間郡毛呂山町宿谷39-1
しんご 稲葉崎(いなばさき)種子二連板碑  文和四年(1355年) 鹿児島県姶良郡湧水町稲葉崎
しんご 阿弥陀堂(あみだどう)墓地 胎蔵界大日種子板碑.  応安元年(1368年) 埼玉県東松山市岩殿
しんご 青鳥(おおどり)城跡 胎蔵界大日種子板碑.  応安二年(1369年) 埼玉県東松山市石橋1335
しんご 多福院(たふくいん) 山門脇 種子石塔婆  応永九年(1402年) 宮城県石巻市吉野 1-4-9
しんご 多福院(たふくいん)虚空蔵種子石塔婆 応永十九年(1412年) 宮城県石巻市吉野 1-4-9
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「心生大歓喜(しんしょうだいかんき)、自知当作仏(じちとうさぶつ)
[ 心に大歓喜を生ぜよ、自らまさに仏となるべしと知れ ] (出典:法華経方便品)
しんし 浄蓮寺(じょうれんじ)七基連刻板碑  文禄四年(1595年) 埼玉県秩父郡東秩父村御堂362
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「深入禅定(じんにゅうぜんじょう)、見十方佛(けんじっぽうぶつ)
[ 深く禅定に入りて、十方の仏を見たてまつる。 ] (出典:法華経 安楽行品)
じんに 山口家(やまぐちけ)地蔵種子石塔婆  南北朝~室町時代中期 宮城県石巻市東福田字馬場
じんに 徳蔵寺(とくぞうじ)阿弥陀種子板碑  天文十六年(1547年) 東京都東村山市諏訪町1-26-3
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「信力堅固者(しんりきけんごしゃ)諸仏弟子衆(しょぶつでししゅう)
[ 信力(しんりき)堅固なる者は、諸仏の弟子衆である」  (出典:法華経方便品)
しんり 定善寺(じょうぜんじ)題目板碑   永正十二年(1515年) 宮崎県日向市大字財光寺7295

指定 名       称 制  作  年 所    在    地
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「随縁赴感(ずいえんふかん)、弗舎方便(ふっしゃほうべん)、檀徒衆生(だんとしゅじょう)、勿令断報(もつりょうだんほう)
[ 縁に随(したが)い感に赴(おもむ)きて、方便を捨てず。檀徒衆生に、果報を断ぜしむることなかれ ] (出典:未詳)
ずいえ 滝尻王子社(たきじりおうじしゃ)宝篋印塔  応永六年(1399年) 和歌山県田辺市中辺路町栗栖川859
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「雖示種種道(すいじしゅじゅどう)」、「其実為仏乗(ごじついぶつじょう)          (出典:法華経方便品)
[ 種種の道を示すといえども、その実は仏乗のためなり。 ] (仏乗:一切衆生をことごとく成仏させる教え)
すいじ 定善寺(じょうぜんじ)題目板碑  天文七年(1538年) 宮崎県日向市大字財光寺7295
すいじ 定善寺(じょうぜんじ)題目板碑  永禄十一年(1568年) 宮崎県日向市大字財光寺7295
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「遂致得成仏(すいちとくじょうぶつ)、今故為汝説(こんこいにょせつ)              (出典:法華経提婆達多品)
[ 遂に悟りを開いて仏(ぶつ)に成るに到った。故に、今 汝(なんじ)のために説くなり。]
すいち 定善寺(じょうぜんじ)題目板碑   天文十一年(1542年) 宮崎県日向市大字財光寺7295

指定 名       称 制  作  年 所    在    地
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「誓願不思議(せいがんふしぎ)、西方無量壽(さいほうむりょうじゅ)、極重罪衆生(ごくじゅうざいしゅじょう)、往生安楽国(おうじょうあんらくこく)
[ 誓願は不思議なり、西方の無量寿仏(阿弥陀如来)は、極重罪の衆生さえ、極楽浄土に往生せしむ。] (出典:未詳)
せいが 大塩 澗洞院(かんどういん)阿弥陀三尊種子板碑  建治元年(1275年) 宮城県東松島市大塩字寺沢42
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「勢至菩薩難思議(せいしぼさつなんじき)、威光普照無辺際(いこうふしょうむへんさい)、
有縁衆生蒙光触(うえんしゅじょうもうこうそく)、増長智慧超三界(ぞうちょうちえちょうさんがい)(出典:往生礼讃偈、沙門善導記)
[ 勢至菩薩ぞ不思議なる。たけき光のあまねくて、際もなき辺を照らすなり。えにしを得たる人々の、そのみ光に触れもせば、こよなき智慧ぞいやまさん。]
                             (お経・浄土宗「三尊礼」にでていたとして「石仏偈頌辞典」(加藤政久 編著)に記載されている訳)
せいし 北境(きたざかい)勢至種子石塔婆  至徳三年(1386年) 宮城県石巻市北境字舘(たて)
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「是楽無徳法、兼思口口口、為口口口口 、当口口口説」  (出典:不明)
ぜぎ 高木(たかぎ)観音堂 金剛界大日種子石塔婆   応安六年(1373年) 宮城県石巻市高木字竹下
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「是大明王(ぜだいみょうおう)、無其所為、但住衆生、 心相之中」   (出典:仏説不動経)
[ この大明王は、その住居も無く、ただ衆生の心の中に住みたまう。 ]
ぜだ 弥勒寺(みろくじ)暦応三年銘 種子石塔婆  暦応三年(1340年) 宮城県登米市中田町上沼字弥勒寺 寺山63
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「設我得佛(せつがとくぶつ)、十方衆生(じっぽうしゅじょう)、至心信楽(ししんしんぎょう)、欲生我国(よくしょうがこく)、
乃至十念(ないしじゅうねん)若不生者(にゃくふしょうじゃ)不取正覚(ふしゅしょうがく)(出典:無量寿経)
[ たとえわれ仏となるをえんとき、十方の衆生、至心に信楽して、わが国に生まれんと欲し、乃至十念せん。もしわが国に生まれることができなかったら、我は仏にならない。]
せつ 来迎寺(らいごうじ)阿弥陀種子板碑 建長八年(1256年) 埼玉県所沢市山口1392
せつ 肥塚氏(こいづかし)供養 阿弥陀種子板碑 康元二年(1257年 埼玉県熊谷市肥塚1丁目
せつ 徳蔵寺(とくぞうじ)嘉暦二年銘 断碑 嘉暦二年(1327年) 東京都東村山市諏訪町1-26-3
せつ 光禅寺(こうぜんじ)阿弥陀一尊種子自然石塔婆  永和二年(1376年) 山形県山形市鉄砲町2-5-7
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「是人於仏道(ぜにんおぶつどう)、決定無有疑(けつじょうむうぎ)   (出典:法華経 如来神力品
[ この人仏道(成仏)において決定して、疑あることなし ]
ぜに 定善寺(じょうぜんじ)題目板碑  永正十四年(1517年) 宮崎県日向市大字財光寺7295
ぜに 妙昌寺(みょうしょうじ)大永五年銘 題目板碑  大永五年(1525年) 埼玉県東松山市神戸1121
ぜに 定善寺(じょうぜんじ)題目板碑  享禄三年(1530年) 宮崎県日向市大字財光寺7295
ぜに 定善寺(じょうぜんじ)題目板碑   元亀三年(1572年) 宮崎県日向市大字財光寺7295
ぜに 定善寺(じょうぜんじ)題目板碑  元亀三年(1572年) 宮崎県日向市大字財光寺7295
ぜに 浄蓮寺(じょうれんじ)七基連刻板碑  文禄四年(1595年) 埼玉県秩父郡東秩父村御堂362
ぜに 大法寺(だいほうじ)題目板碑  慶長五年(1600年) 千葉県香取市森戸438
ぜに 大法寺(だいほうじ)題目板碑  慶長五年(1600年) 千葉県香取市森戸438
ぜに 本源寺(ほんげんじ)延享四年銘 題目石塔婆  延享四年(1747年) 宮城県登米市中田町宝江新井田字上待井88
ぜに 本善寺(ほんぜんじ)(偈頌)題目板碑  紀年銘なし  宮崎県日向市日知屋1379-1
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「是法平等(ぜほうびょうどう)」、「無有高下(むうこうげ)    (出典:金剛般若経

[ この法は平等にして、高下あることなし。 ] (法のもとに如来も衆生もない。)
ぜほ 長谷寺(ちょうこくじ)金剛界大日種子石塔婆  宝徳四年(1452年) 宮城県石巻市真野字萱原2
ぜほ 山口家(やまぐちけ)福寿元年(私年号)石塔婆  福寿元年(私年号・1462年) 宮城県石巻市東福田字馬場
ぜほ 高木(たかぎ)観音堂 金剛界大日種子石塔婆  文明五年(1473年) 宮城県石巻市高木字竹下
ぜほ 安楽寺跡(あんらくじあと)観音種子石塔婆  紀年不詳 宮城県石巻市水沼字寺内
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「善哉〃〃(ぜんざいぜんざい)、釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)、能以平等大慧(のういびょうどうだいえ)
教菩薩法(きょうぼさつほう)、佛所護念(ぶっしょごねん)、妙法華経(みょうほうげきょう)、為大衆説(いだいしゅせつ)
如是〃〃(にょぜにょぜ)、釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)、如所説者(にょしょせつしゃ)、皆是真実(かいぜしんじつ)(出典:法華経見宝塔品)
[ よきかな、よきかな。釈迦牟尼世尊は、よく平等の大慧(だいえ)、菩薩を教える法にして、仏に護念せられたる、
妙法華経をもって、大衆の為に説く。かくの如し、かくの如し。釈迦牟尼世尊の説く所の如きは、皆これ真実也 ]
ぜんざ 山田毘沙門(やまだびしゃもん)脇 石造宝塔.  建長四年(1252年) 熊本県玉名市山田
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「善哉灯爐(ぜんざいとうろ)、帰功於本(きくおほん)、無間湮滅(むげんえんめつ)、願我一念(がんがいちねん) (出典:未詳)
[ 善きかな、灯籠。功徳は、縁による一切の業を、ただちに消さんことを、我が一念に願う ]
ぜんざ 東大谷日女(ひがしおおたにひめ)神社 石燈籠  永和元年(1375年) 奈良県桜井市山田989
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「千枝万霊(せんしばんれい)、一根不異、三世同證、毘廬那佛」    (出典:未詳)
[ 千枝も万霊も、一根にして異ならず、三世(前世・現世・来世)は同じであることを明らかにする。毘廬舎那仏(大日如来)よ。 ]
せんし 地蔵堂(じぞうどう)金剛界大日種子石塔婆  寛正年間(1460~66年) 宮城県石巻市大瓜字瀬戸山

指定 名       称 制  作  年 所    在    地
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「造作五逆罪(ぞうさごぎゃくざい)、常念地蔵尊(じょうねんじぞうそん)」「遊戯諸地獄(ゆうげしょじごく)、決定代受苦(けつじょうだいじゅく)
[ 五逆罪をつくるとも、常に地蔵尊を念ずれば、地蔵は諸地獄を周り、必ず代わって苦しみを受けてくれる ] (出典:未詳)
(五逆罪:父母を殺す、聖人を殺す、仏を傷つける、教団の和合を破る。以上、五つの重い罪)
ぞう 保月(ほづき)板碑(断碑).  嘉元三年(1305年) 岡山県高梁市有漢町上有漢9167
ぞう 山口家(やまぐちけ)地蔵種子石塔婆  貞治六年(1367年) 宮城県石巻市東福田字馬場

 偈頌(げじゅ) た行

                                                           石仏と石塔-目次!     

 

  参考文献と更新履歴!

分類別目次 層   塔 宝塔・多宝塔 宝篋印塔 五 輪 塔 石仏(せきぶつ) 笠塔婆
板碑(いたび) 石燈籠 石  碑 石幢(せきどう) 石鳥居 その他 名品
項  目 伊派 石大工 偈頌(げじゅ) 光明真言(関東板碑) 格狭間の形 - -

写真:Tetsuo Kawai