弥勒寺(みろくじ)(宮城県登米市中田町上沼字弥勒寺 寺山63)
偈(げ)が珍しい為、「石仏偈頌辞典」(国書刊行会)にも紹介されている石塔婆。南北朝時代前期 暦応三年(1340)の紀年銘がある。
弥勒寺(みろくじ)暦応三年銘 種子石塔婆 (南北朝時代前期 暦応三年 1340年、粘板岩) |
上端を損傷、身部上方に大きく種子、下方に「仏説聖不動経」に出る偈(げ)と紀年銘を刻む。
石塔婆、上方
大きく種子(梵字)を刻む。
「宮城縣史 17 金石史」では、種子を「バ-」(風天)としている。
石塔婆、下方の刻銘 | 刻銘:「暦應三年(1340)二月時正」 |
下方の刻銘は、左右に「仏説聖不動経に出る偈(げ)」、中央に「暦応三年(1340)二月時正一番」と刻む。
是大明王 → | 無其所為 → | 但住衆生 → | 心相之中 |
仏説不動経に出る偈(げ)
偈(げ):「是大明王(ぜだいみょうおう)、無其所為、但住衆生、 心相之中」
[ この大明王は、その住居も無く、ただ衆生の心の中に住みたまう。 ]
弥勒寺(みろくじ)(宮城県登米市中田町上沼字弥勒寺 寺山63)
亡き母の追善供養として造立された石塔婆で、南北朝時代前期 貞和五年(1349)の紀年銘がある。
弥勒寺(みろくじ)釈迦一尊種子石塔婆(中央) (南北朝時代前期 貞和五年 1349年、粘板岩)
上端を損傷、身部上方に大きく釈迦如来の種子「バク」、下方に願文と紀年銘を刻む。
石塔婆、上方
釈迦如来の種子「バク」を大きく薬研彫する。
石塔婆、下方の刻銘
左右に「右志者為悲母廿二年」、「追善乃至法界同利也、中央に「貞和五年(1349)、乙丑」、「三月六日、彼岸、孝子」と刻む。
石塔婆、下方(紀年銘)
刻銘:「貞和五年(1349)、乙丑」、「三月六日、彼岸、孝子」と刻む。
弥勒寺(みろくじ)(宮城県登米市中田町上沼字弥勒寺 寺山63)
亡き父、三十三回忌追善供養として造立された石塔婆で、南北朝時代中期 貞治四年(1365)の紀年銘がある。
弥勒寺(みろくじ)金剛界大日種子石塔婆(中央) (南北朝時代中期 貞治四年 1365年、粘板岩)
身部は、上方に大きく金剛界大日如来の種子「バン」、下方に願文と紀年銘を刻む。
石塔婆、下方の刻銘
左右に「右志者為悲父卅三年追善」、「往生極楽乃至法界同利也」、中央に「貞治二二(四)年(1365)二月一日 孝子敬白」と刻む。
刻銘:「貞治二二(四)年(1365)」 | 刻銘(部分):「為慈父卅三年」 |
弥勒寺(みろくじ)石塔婆群
中央に金剛界大日種子石塔婆、その向って左側に釈迦種子石塔婆がみえる。
弥勒寺(みろくじ)石塔婆群
中央に金剛界大日種子石塔婆がみえる。
弥勒寺(みろくじ)石塔婆群 (鎌倉時代後期~室町時代)
本源寺(ほんげんじ)康永五年銘 題目石塔婆 石仏と石塔-目次!
弥勒寺(みろくじ)石塔婆群 (鎌倉時代後期~室町時代)
*登米市民バス 東和線に乗車、「堀米バス停」下車、北方向へ 約1.6Km。少し遠いが、JR気仙沼線 柳津(やないず)駅で、レンタサイクルを利用できる。
(撮影:平成26年 4月11日)