甚日寺 曼荼羅自然石塔婆(護摩堂跡供養塔)

 甚日寺(じんにちじ)(福島県郡山市御代田字北町13)

   もと阿武隈川河畔の護摩堂跡地内にあったが、昭和四十年(1965)の畑地造成開発で、甚日寺に移された。

甚日寺 曼荼羅自然石塔婆(市指定文化財、鎌倉時代後期 嘉暦二年 1327年、凝灰岩、高さ 189Cm 幅 111Cm

自然石の表面に幅のある縦長の輪郭を巻き、上部に阿弥陀如来の種子「キリーク」と七個の梵字、左右に願文と紀年銘、下部に偈を刻む

石塔婆 上部

蓮華座上に二重円の月輪、内の円内に阿弥陀如来の種子「キリーク」、それを取り巻く七個の月輪内に聖観音の真言「オン・ア・ロ・リ・キヤ・ソワー・カ」を刻む

左端刻銘:「旹嘉暦二年(1327)丁卯(四)月二十八日」 右端刻銘:「右為法橋性公禅者頓成無上正覚」

自然石塔婆、阿弥陀の種子「キリーク」の左右に紀年銘と法橋性公の無上正覚を祈念した刻銘が入る。

「大集経」の偈(げ)

蓮華座の下、中央に二行「四十八日称名忌、仏結衆百人」、左右に各二行「大集教」 四句の偈(げ)を刻む

偈:「妻子珍宝及王位(さいしちんぽうぎゅうおうい)、臨命終時不随者(りんみょうしゅうじふずいしゃ)

「唯戒及施不放逸」(ゆいかいぎゅうせふほういつ)、今世後世為伴侶(こんぜごせいはんりょ)

[ 妻子や財産・王位は、臨終した後、ついてこない。唯(ただ)、戒・施・不放逸の三つは、今世の後、共に伴侶となる。]

紀年銘の拡大写真:「嘉暦二年(1327)丁卯 自然石塔婆の側面

石塔婆 下部

嘉暦二年(1327)四月二十八日に、法橋性公の四十八日追善供養に百人が結集し、無上正覚を祈念した。

 甚日寺(じんにちじ)種子自然石塔婆                       石仏と石塔-目次!

甚日寺(じんにちじ)本堂

真言宗智山派の寺院だが、現在は無住の寺院

 板碑(いたび)

*JR東北線 「安積永盛駅」下車、南東方向へ 徒歩 約23分。

(撮影:平成22年11月17日)