山口家(やまぐちけ)観音種子石塔婆

 山口家(やまぐちけ)石塔婆群 (宮城県石巻市東福田字馬場)

   本石塔婆群で一番大きいもので、観音種子「サ」を刻んでいる。南北朝時代後期 康暦二年(1380)の在銘。

山口家(やまぐちけ)観音種子石塔婆 (南北朝時代後期 康暦二年 1380年、粘板岩、高さ 240Cm 幅 70Cm 厚さ 7Cm)

本石塔婆群、最大の石塔婆で後部中央に立つ。身部は上方に観音種子[サ」、下方は長文の造立趣旨と紀年銘を刻む。

身部 上方

観音菩薩の種子「サ」を薬研彫する。

身部 下方、刻銘 刻銘:康暦第二(1380)、庚申、孟冬(十月)

刻銘は右から夫以分順輪廻里似電光難留生死転反、境如霜露易移爰以先師去朱明下旬朋、

無常暴風早世口女女口宅難作口然五、分法身成本口利花哀一徳浮口口為超、

渡汎海基若金口師転岩依作持円明身、功罪饒益有情花酬心犯口口難行於、

善実相萬乃至同利浄界平等利益故也、康暦第二(1380)、庚申、孟冬(十月)上旬日 弟子等敬白」と刻む。

南北朝時代中期 康暦二年(1380)孟冬(十月)上旬、夏の終りに逝去した師の冥福を祈って、弟子達により本石塔婆が造立されたものと思われる。

山口家(やまぐちけ)貞治年銘石塔婆

 山口家(やまぐちけ)石塔婆群 (宮城県石巻市東福田字馬場)

   上部を欠失し、刻銘部が二つに割れている。南北朝時代中期 貞治年間(1362~68)の紀年銘がある。

山口家 石塔婆(残部、右・左に二分割)(南北朝時代中期 貞治年間 1362~68年、粘板岩、高さ 115Cm 幅 40Cm 厚さ 5Cm)

石塔婆は上部を欠失し、刻銘部が二つに割れて夫々立っている。刻銘部は、請観音経に出る偈(げ)及び造立趣旨・紀年銘を刻む。

請観音経に出る偈(げ)

偈(げ):「衆生若聞名(しゅじょうにゃくもんみょう)、離苦得解脱(りくとくげだつ)、或遊戯地獄(わくゆうげじごく)、大悲代受苦(だいひだいじゅく)

[ 衆生もし観音の名を聞けば、苦を離れて解脱するを得ん、或は、地獄に周り、その大悲心で衆生に代わって苦しみを受けん。]

刻銘部・上

刻銘部・下

刻銘は中央に貞治(欠)(1362~68)九月八日、敬白」

左右に「右志者相当口公律師第三回遠忌所」、「順尓者有性無性皆成仏道・・」と刻む。

山口家(やまぐちけ)勢至種子石塔婆

 山口家(やまぐちけ)石塔婆群 (宮城県石巻市東福田字馬場)

   勢至菩薩の種子を主尊とする石塔婆で、南北朝時代後期 康暦三年(1381)の紀年銘がある。

山口家 勢至蔵種子石塔婆(南北朝時代後期 康暦三年 1381年、粘板岩、高さ 147Cm 幅 39Cm 厚さ 7Cm)

石塔婆は、上方に勢至種子[サク」、その下に涅槃経に出る偈(げ)、下方は造立趣旨と紀年銘を刻む。

身部 上方

一周忌碑で、その本尊 勢至菩薩の種子「サク」を薬研彫する。

涅槃経に出る偈(げ)

偈(げ):「一切衆生(いっさいしゅじょう)、悉有佛性(しつうぶっしょう)、如来常住(にょらいじょうじゅう) 、無有変易(むうへんやく)

[ 一切の衆生は、ことごとく仏性あり、如来は常住にして、変わることなし。 ]

身部 下部、刻銘

刻銘は、向かって右から「右志趣者為浄英律師、一周忌菩提然則忽出三、界苦域速至西方浄刹、

乃至法界利益也 康暦三(1381)施主敬白と刻んでいる。

南北朝時代後期 康暦三年(1381)、浄英律師一周忌の追善供養の為造立された。

山口家(やまぐちけ)石塔婆群(部分)

中央は、康暦三年(1381)銘 勢至種子石塔婆。

※ 山口家(やまぐちけ)石塔婆群 一覧

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山口家(やまぐちけ)石塔婆群(部分)

向かって左側、一番大きいのが康暦二年(1380)銘 観音種子石塔婆。

 板碑(いたび)

*JR石巻駅からミヤコ―バス石巻専修大学線 飯野川行きに乗車、福田バス停下車、南東方向へ徒歩 約1.2Km。石巻駅前のレンタカーの店で、自転車を借りるのが便利。

(撮影:平成26年4月12日)