一皇子宮(いちおうじぐう)(宮城県石巻市湊字大門崎山 2)
阿閦(あしゅく)種子「ウーン」を主尊とする追善石塔婆で、南北朝時代前期 南朝年号・延元四年(1339)の紀年銘がある。
一皇子宮 阿閦種子石塔婆 (南北朝時代前期 延元四年 1339年、粘板岩、高さ 114Cm 幅 31Cm 厚さ 17Cm) |
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頭部は尖り、背面は舟形に成形されている。身部は、上方に阿閦種子、その下に涅槃経に出る偈、下方は願文と紀年銘を刻む。 |
石塔婆 上部
阿閦(あしゅく)如来の種子「ウーン」を薬研彫する。
涅槃経に出る偈(げ)
偈(げ):「諸行無常(しょぎょうむじょう)、是生滅法(ぜしょうめっぽう)、生滅々已(しょうめつめつい)、寂滅為楽(じゃくめついらく)」
[ 諸行は無常である。これ生滅の法である。生滅を滅しおわりて、生も滅もない寂滅を楽しみとする。]
石塔婆、下方の刻銘 (全文)
下方中央に南朝年号「延元二二(四)年(1339)、己卯、八月十日、施主、敬白」、
その両側に「右志者過去幽儀頓証、菩提乃至口・・・・・・」と刻んでいる。
碑面 紀年銘
刻銘:「延元二二(四)年(1339)、己卯、八月」
一皇子宮(いちおうじぐう)(宮城県石巻市湊字大門崎山 2)
阿弥陀仏号を刻む時宗の名号石塔婆で、南北朝時代後期 至徳元年(1384)の紀年銘がある。
一皇子宮 名号石塔婆 (南北朝時代後期 至徳元年 1384年、粘板岩、高さ 98Cm 幅 33Cm 厚さ 14Cm) |
碑面に大きく「南無阿弥陀佛」の六字名号、両側に「同阿弥陀仏四十九日」、「至徳元年(1384)正月十五日」と刻む。
[ 同阿弥陀仏 四十九日(七七日)忌の供養碑で、南北朝時代後期 至徳元年(1384)正月十五日に造立された。]
碑面 紀年銘
刻銘:「至徳元年(1384)正月十五日」
一皇子宮(いちおうじぐう)の石塔婆
阿閦種子石塔婆は右端から三基目、名号石塔婆は向って左から二基目に立つ。
*JR石巻線・仙石線 「石巻駅」下車、南東方向へ徒歩 約2.3Km。
(撮影:平成26年4月10日)