(No:12-6、長列、右から4基目)
北金ヶ沢(きたかねがさわ)の古碑群(青森県西津軽郡深浦町北金ヶ沢)
法華経 方便品に出る偈(げ)を刻む石塔婆で、南北朝時代中期 康安元年(1361)の紀年銘がある。
北金ヶ沢 胎蔵界大日種子自然石塔婆(町指定史跡、南北朝時代中期 康安元年 1361年、安山岩、高さ 57.5Cm 幅 43Cm)
表面上方 胎蔵界大日種子「アク」を天蓋と蓮座で荘厳し、下方は四行の罫線を引き 内に法華経 方便品に出る偈(げ)と紀年銘を刻む。 |
石塔婆 上部
二重月輪内に種子「アク」を刻み、天蓋(てんがい)と蓮座で荘厳する。
「アク」の仏尊は胎蔵界大日、不空成就如来、釈迦如来、普賢菩薩、金剛薩埵などがある。
石塔婆 下部
五行の罫線を引き、中央に紀年銘、左右に法華経 方便品に出る偈(げ)を刻む。
中央の刻銘:「康安元(1361)、七月、十日」
偈(げ):「十方佛土中(じっぽうぶつどちゅう)唯有一乗法(ゆいういちじょうほう)无二亦无三(むにやくむさん) 除佛方便説(じょぶつほうべんせつ)」
[ 十方の仏土の中には、ただ一乗の法のみあり、二もなく三もなし。仏の方便の説を除く ]
刻銘:「康安元(1361)、七月、十日」 |
関の古碑群の中に、この偈を刻むものが一基あるが紀年銘はない。 |
北金ヶ沢(きたかねがさわ)の古碑群(青森県西津軽郡深浦町北金ヶ沢)
三十五日(五七日)忌の追善供養として造立された石塔婆で、南北朝時代中期 貞治二年(1363)の紀年銘がある。
北金ヶ沢 阿弥陀種子自然石塔婆(町指定史跡、南北朝時代中期 貞治二年 1363年、安山岩、高さ 67Cm 幅 48Cm)
上辺が弧状の天蓋、残る三辺に枠線を入れ、天蓋の下に阿弥陀種子、郭線で区切った下方に造立趣旨と紀年銘を刻む。 |
尚、本石塔婆は国道101号線工事の際発見され、移転の後 当地に安置された。
石塔婆 上部
上辺が弧状で内が菱形の天蓋、その下、月輪の外側を八枚の小蓮弁で飾り、内に阿弥陀如来の種子「キリーク」を刻んでいる。
石塔婆 下部
六行で、願文と紀年銘を刻む。
刻銘:「右造立者現在、過去幽異三十、五日乃為施奉、諸霊乃至法、界平等利益、貞治二(1363)七月廿八日、施主、敬白」
貞治二年(1363)七月二十八日、 三十五日(五七日)忌の追善供養として造立された。
北金ヶ沢(きたかねがさわ)の古碑群(自然石塔婆群) 長列(海側 面、13基)
阿弥陀種子石塔婆(No:69-2)は左から四基目、胎蔵界大日種子石塔婆(No:12-6)は十基目にあたる。
北金ヶ沢の古碑群(自然石塔婆群)現地説明板 [長列:海側面13基(No:69-4~12-9)、短列 9基(No:12-10~12-18)]
No:12-1~12-18の18基は、薬師堂古碑群。No:69-1~69-4の4基は、国道工事の際発見され移転の後、当地に安置された。
*JR五能線 「北金ヶ沢駅」下車、西方向へ 徒歩 約600m。北金ヶ沢駅前の道を左折、最初の大きな道を国道側に左折、国道101号線を横断した先に赤い鳥居が見える。そこが、薬師堂への登り口。
(撮影:平成25年10月15日)