長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 (宮城県石巻市真野字萱原 2)
金剛界大日種子「バーンク」を主尊とする石塔婆で、偈(げ)が二つ刻まれている。室町時代中期 宝徳四年(1452)の在銘。
長谷寺 金剛界大日種子石塔婆(室町時代中期 宝徳四年 1452年、粘板岩、高さ 88Cm 幅 23Cm 厚さ 13Cm) |
観音堂へ上る石段、右側中程に立つ。身部は、上方に(金)大日種子、その下に源信作の偈、下方は金剛般若経に出る偈と紀年銘を刻む。
身部 上方
金剛界大日如来の種子「バーンク」(五点具足)を刻む。
源信作の偈(げ)
偈(げ):「一佛成道(いちぶつじょうどう)、観見法界(かんけんほうかい)、草木国土(そうもくこくど)、悉皆成仏(しつかいじょうぶつ)」
[ 一仏成道して、法界(世の中)を観見せば、草木も国土も、ことごとく皆成仏せん。 ]
※ 「石仏偈頌辞典」(加藤政久 編著)によると、源信が中陰経の意を取ってつくった偈(げ)という。
石塔婆下部、刻銘
刻銘は、中央に「道高、口口」、「宝徳四年(1452)卯月日、孝子、敬白」、
左右に金剛般若経に出る偈(げ)「是法平等」、「無有高下」を刻む。
偈(げ):「是法平等(ぜほうびょうどう)」、「無有高下(むうこうげ)」
[ この法は平等にして、高下あることなし。 ] (法のもとに如来も衆生もない。)
長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 (宮城県石巻市真野字萱原 2)
浄空禅門 十三回忌に造立された石塔婆で、その本尊 (金)大日種子を刻む。室町時代前期 永享四年(1432)の在銘。
長谷寺 金剛界大日種子石塔婆(室町時代前期 永享四年 1432年、粘板岩、高さ 47Cm 幅 10Cm 厚さ 13Cm) |
浄空禅門 十三回忌碑で、石塔婆群、最前列に立つ。身部は、上方に(金)大日種子、下方は造立趣旨と紀年銘を刻む。
浄空禅門の供養碑は、百日忌、三年忌、十三年忌(本碑)、三十三年忌が立っている。
身部 上方
十三回忌の本尊 金剛界大日如来の種子「バーンク」(五点具足)を刻む。
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石塔婆下部、刻銘 |
刻銘:「永享二二(四)年(1432)五月」 |
刻銘は、中央に「右志者為 永享二二(四)年(1432)五月・・・」、両側に「浄空禅門 十三年追善」、「乃至法界平等利益也」と刻む。
浄空禅門 十三年忌追善供養の為、永享四年(1432)五月に造立した。
長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 (宮城県石巻市真野字萱原 2)
観音菩薩の種子「サ」を本尊とする石塔婆で、室町時代前期 永享十二年(1440)の紀年銘がある。
長谷寺 観音種子石塔婆 (室町時代前期 永享十二年 1440年、粘板岩、高さ 85Cm 幅 23Cm 厚さ 6Cm) |
-参道の入口あたりに立つ。身部は、上方に観音菩薩の種子「サ」、
下方に「右志者 永享十二年(1440)三月十六日、敬白」、「・・・・・・・・・・・・」、「・・・乃至法界故也」と刻む。
身部 上方
観音菩薩の種子「サ」を刻む。
刻銘:「永享十二年(1440.)」
長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆 (宮城県石巻市真野字萱原 2)
上方の種子部を欠損、年号も摩耗するが、妙桂禅尼三十三回忌と刻まれており、前記 妙桂禅尼三年忌の石塔婆から宝徳四年(1452)の紀年が推定できる。
長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆 (室町時代中期 宝徳四年 1452年、粘板岩、高さ 76Cm 幅 14Cm 厚さ 15Cm) |
上部の種子部を欠損する。下方は、「・・・・年卯月十六日敬白」、「口妙桂禅尼三十三年忌辰」、
「・・・法界平等利益故也」と刻む。
妙桂禅尼三年忌の阿弥陀種子石塔婆(応永二十九年銘)から、本石塔婆(三十三回忌)の紀年銘が推定できる。
長谷寺(ちょうこくじ)金剛界大日種子石塔婆 石仏と石塔-目次!
長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 一列目 (部分)
*JR石巻線 陸前稲井駅から北東方向へ 約5.0Km。当地域は、地元住民を対象にした乗合タクシーがあるだけで、バスの便はない。
(撮影:平成26年4月13日)