安楽寺跡(あんらくじあと)釈迦種子石塔婆

 安楽寺跡(あんらくじあと)石塔婆群 (宮城県石巻市水沼字寺内)

  仏門に入った男女二人の逆修碑で、釈迦種子と法華経方便品に出る偈を刻んでいる。南北朝時代後期 至徳三年(1386)の在銘。

安楽寺跡 釈迦種子石塔婆 (南北朝時代後期 至徳三年 1386年、粘板岩、高さ 110Cm 幅 42Cm 厚さ 21Cm)

石塔婆群、向って右から二基目。身部は、上方に釈迦種子、その下に法華経方便品に出る偈、下方に願文と紀年銘を刻む。

身部 上方

釈迦如来の種子「バク」を薬研彫する。

法華経 方便品に出る偈(げ)

偈(げ):「十方仏土中(じっぽうぶつどちゅう)、唯有一乗法(ゆいういちじょうほう)、無二亦無三(むにやくむさん)、除仏方便説(じょぶつほうべんせつ)

[ 十方の仏土の中には、ただ一乗の法のみあり、二もなく三もなし、仏の方便の説を除く ]

石塔婆、下部の刻銘 刻銘:至徳三年(1386)二月廿一日」

刻銘は、中央に至徳三年(1386)二月廿一日」

向って右に「右志者為観阿禅門聖阿禅尼」、左に「逆修善根乃至法界平等利益故也」と刻む。

観阿禅門と聖阿禅尼の逆修碑として造立された。南北朝時代後期 至徳三年(1386)二月二十一日の紀年銘がある。

安楽寺跡(あんらくじあと)応安四年銘 石塔婆

 安楽寺跡(あんらくじあと)石塔婆群 (宮城県石巻市水沼字寺内)

   種子部を欠失する断碑で、逆修供養の為造立された。干支と願文の形式から南北朝時代中期 応安四年(1371)の造立と推定されている。

安楽寺跡 石塔婆(断碑) (南北朝時代中期 応安四年 1371年、粘板岩、高さ 56Cm 幅 43Cm 厚さ 6Cm)

刻銘は、中央に「・・口四年(1371)、辛亥、三月十五日

向って右に「・・・口逆修追善奉造立」、左に「・・・衆生平等利益、施主、敬と刻む。

刻銘:・・口四年(1371)、辛亥、三月

安楽寺跡(あんらくじあと)阿弥陀種子石塔婆

 安楽寺跡(あんらくじあと)石塔婆群 (宮城県石巻市水沼字寺内)

   逆修供養のため造立された石塔婆で、阿弥陀種子「キリーク」を主尊とする。南北朝時代前期 文和三年(1354)の在銘。

安楽寺跡 阿弥陀種子石塔婆 (南北朝時代前期 文和三年 1354年、粘板岩、高さ 112Cm 幅 47Cm 厚さ 20Cm)

石塔婆群、向って右端に立つ。身部は、上方に阿弥陀如来の種子「キリーク」、下方に造立趣旨と紀年銘を刻む。

身部 上方

阿弥陀如来の種子「キリーク」を薬研彫する。

石塔婆、下部の刻銘 刻銘:正和元年(1312)

刻銘は、中央に「文和三年(1354)七月十五日、敬白

向って右に「右志者為逆修善根」、左に「・・・・・・・界・・利益故也」と刻む。

逆修供養のため造立された石塔婆で、南北朝時代前期 文和三年(1354)七月十五日の紀年銘がある。

※ 安楽寺跡(あんらくじあと)石塔婆群 一覧

 安楽寺跡 金剛界大日種子石塔婆                         石仏と石塔-目次!

安楽寺跡(あんらくじあと) 石塔婆群 (向って右側群)

右端が文和三年銘 阿弥陀種子石塔婆、続いて至徳三年銘 釈迦種子石塔婆

 板碑(いたび)

*JR石巻駅から北東方向へ 約10.7Km。石巻駅前のレンタカーの店で、自転車を借りるのが便利。

(撮影:平成26年4月13日)