安楽寺跡(あんらくじあと)石塔婆群 (宮城県石巻市水沼字寺内)
十三仏忌日供養にはない 十七年忌碑で、主尊に金剛界大日種子「バーンク」を刻んでいる。室町時代前期 永享三年(1431)の在銘。
安楽寺跡 金剛界大日種子石塔婆 (室町時代前期 永享三年 1431年、粘板岩、高さ 112Cm 幅 30Cm 厚さ 17Cm)
身部 上方
金剛界大日如来の種子「バーンク」(五点具足)を薬研彫する。
十七年忌の供養として造立されている。
法華経 方便品に出る偈(げ)
偈(げ):「十方仏土中(じっぽうぶつどちゅう)、唯有一乗法(ゆいういちじょうほう)、無二亦無三(むにやくむさん)、除仏方便説(じょぶつほうべんせつ)」
[ 十方の仏土の中には、ただ一乗の法のみあり、二もなく三もなし、仏の方便の説を除く ]
石塔婆、下部の刻銘 | 刻銘:「永享三年(1431)七月」 |
刻銘は、中央に右意趣者 永享三年(1431)七月五日、敬白」、
向って右に「過去相当道誉菴主十七ヶ年」、左に「・・・・・・・衆生平等・・・・」と刻む。
道誉菴主の十七年忌として造立された。室町時代前期 永享三年(1431)七月五日の紀年銘がある。
安楽寺跡 金剛界大日種子石塔婆 (室町時代前期 永享三年 1431年)
安楽寺跡(あんらくじあと)石塔婆群 (宮城県石巻市水沼字寺内)
上方を欠失する断碑で、道法禅門十三年忌供養のため造立された。室町時代前期 応永二十年(1413)の在銘。
安楽寺跡 石塔婆(断碑) (室町時代前期 応永二十年 1413年、粘板岩、高さ 45Cm 幅 36Cm 厚さ 3.5Cm)
石塔婆群、向って左から四基目に立つ。上方を欠失する断碑で、下方の銘文部が残り、造立趣旨と紀年銘を刻んでいる。
刻銘は、中央に「応永廿年(1413)七月廿四日、孝子、敬白」、
向って右に「・・・当道法禅門十三年忌辰」、左に「・・・界衆生平等利益故也」と刻む。
室町時代前期 応永二十年(1413)七月二十四日 道法禅門の十三年忌に造立された。
刻銘:「応永廿年(1413)七月」 | 刻銘:「道法禅門十三年忌」 |
安楽寺跡(あんらくじあと)石塔婆群 (宮城県石巻市水沼字寺内)
平成17年(2005)の合併まで、石巻市で一番若い年号の石塔婆であった桃山時代 文禄五年(1596)の在銘。
安楽寺跡 金剛界大日種子石塔婆(安土桃山時代 文禄五年 1596年、粘板岩、高さ 93Cm 幅 39Cm 厚さ 11Cm) |
中央の祠の左側に立つ。この一基のみ百五十年近く年号が若い。身部は、上方に金剛界大日種子「バク」、下方に願文と紀年銘を刻む。
身部 上方
金剛界大日如来の種子「バン」を刻む。
下方の刻銘を含めて、彫りが浅く肉眼ではほとんど読めない。
石塔婆、下部の刻銘刻銘は、中央下方に「文禄五年(1596)八月」、
向って右に「右口志口口者為口聖口霊霊」、左に「三十三年忌辰也」と刻む。
三十三年忌 追善供養のため造立された石塔婆で、桃山時代 文禄五年(1596)八月の紀年銘がある。
安楽寺跡(あんらくじあと)線刻五輪塔石塔婆 石仏と石塔-目次!
安楽寺跡(あんらくじあと) 石塔婆群 (向って左側群)
向って右端が文禄五年銘 金剛界大日種子石塔婆、一基おいて永享三年銘 金剛界大日種子石塔婆
*JR石巻駅から北東方向へ 約10.7Km。石巻駅前のレンタカーの店で、自転車を借りるのが便利。
(撮影:平成26年4月13日)