山口家(やまぐちけ)石塔婆群 (宮城県石巻市東福田字馬場)
浄丕律師三十五日忌に造立された石塔婆で、その本尊地蔵種子を刻んでいる。南北朝時代中期 貞治六年(1367)の在銘。
山口家 地蔵種子石塔婆(南北朝時代中期 貞治六年 1367年、粘板岩、高さ 137Cm 幅 37Cm 厚さ 3Cm) |
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頂部水平、身部は上方に地蔵種子[カ」、その下に四句の偈(げ)、下方は造立趣旨と紀年銘を刻む。 |
身部 上方
三十五日(五七日)忌の本尊 地蔵菩薩の種子「カ」を薬研彫する。
偈(げ) (出典未詳)
偈(げ):「造作五逆罪(ぞうさごぎゃくざい)、常念地蔵尊(じょうねんじぞうそん)、遊戯諸地獄(ゆうげしょじごく)、決定代受苦(けつじょうだいじゅく)」
[ 五逆罪をつくるとも、常に地蔵尊を念ずれば、地蔵は諸地獄を周り、必ず代わって苦しみを受けてくれる。]
(五逆罪:父母を殺す、聖人を殺す、仏を傷つける、教団の和合を破る。以上、五つの重い罪)
身部 下部
刻銘は、中央に「貞治六年(1367)、丁未、仲秋(八月)時正中日、施主、敬白」、
向って左右に「右志者為浄丕律師三十五日然者出」、「煩悩証菩提乃至法界利益無辺焉」と刻む。
南北朝時代中期 貞治六年(1367)仲秋(八月)彼岸の中日、浄丕律師三十五日忌のため造立された。
山口家(やまぐちけ)石塔婆群 (宮城県石巻市東福田字馬場)
善阿の逆修碑で、惜しくも上部を欠失する。残部は大日経に出る偈(げ)を刻み、南北朝時代中期 貞治六年(1363)の紀年銘がある。
山口家(やまぐちけ)石塔婆(断碑)(南北朝時代中期 貞治六年 1363年、粘板岩、高さ 140Cm 幅 37Cm 厚さ 6Cm) |
石塔婆は、上部を欠失する。身部の下部が残り、大日経に出る偈(げ)及び造立趣旨・紀年銘を刻む。
大日経に出る偈(げ)
偈(げ)は、右側の部分を欠損している。
偈(げ):「我覚本不生(ががくほんぶしょう)、出過言語道(すいかごんごどう)、緒過得解脱(しょかとくげだつ)、
遠離於因縁(おんりおいんねん)、知空等虚空(ちくうとうこくう)」
[ 我れ本不生(ほんぶしょう)を覚(さと)り、言語の道を出過(すいか)する。諸々の過ちを解脱し、因縁を遠離する。空は虚空と等しきを知れり。]
[ 本不生(ほんぶしょう):生も滅も越えた宇宙の本源。絶対の真実。]
身部 下方、刻銘 | 本石塔婆は、逆修供養のため造立された。 |
刻銘は、中央に「貞治六年(1367)、丁未、姑洗(三月)日 善阿 敬白」、
向って左右に「右志者為善阿七分全得也然者拂三妄」、「玄朔八葉薹乃至無辺異生平等利益矣」と刻む。
南北朝時代中期 貞治六年(1367)姑洗(三月)、善阿の逆修供養のため造立された。
刻銘:「貞治六年(1367)、丁未、姑洗(三月)」 | 刻銘:「七分全得」 |
「七分全得」という言葉は、、生前に自分の死後の為の供養(逆修)を積んでおくと、死後におけるすべての功徳は自分が得られる。死後の
追善供養は、死者が益を受けること極めて少なく、福を七分して、死者が一分を得られ、六分は供養した人が受ける。逆修の功徳は全得と説く。
山口家(やまぐちけ)石塔婆群 (宮城県石巻市東福田字馬場)
虚空蔵菩薩の種子を主尊とする石塔婆で、南北朝時代中期 貞治六年(1367)の紀年銘がある。
山口家 虚空蔵種子石塔婆(南北朝時代中期 貞治六年 1367年、粘板岩、高さ 105Cm 幅 29Cm 厚さ 3Cm) |
身部 上方
虚空蔵菩薩の種子「タラーク」を薬研彫する。
虚空蔵菩薩の種子は、忌日供養として十三仏が定型化すると三十三回忌の本尊として用いられる。
身部、下方の刻銘 | 刻銘:「貞治六年(1367)六月」 |
刻銘は、中央に「貞治六年(1367)六月、施主、敬白」、
左右に「右志者為妙徳禅尼頓証菩提、「乃至無辺衆生平等利益也」と刻んでいる。
山口家(やまぐちけ)石塔婆群(部分)
中央は、貞治六年(1367)銘地蔵種子石塔婆。
*JR石巻駅からミヤコ―バス石巻専修大学線 飯野川行きに乗車、福田バス停下車、南東方向へ徒歩 約1.2Km。石巻駅前のレンタカーの店で、自転車を借りるのが便利。
(撮影:平成26年4月12日)