寺崎(てらさき)石塔婆群 (宮城県石巻市大瓜字寺崎)
「栄海阿闍梨」七年忌に造立された石塔婆で金剛界大日種子「アーンク」(五点具足)を刻む。室町時代中期 文明二年(1470)の在銘。
寺崎 金剛界大日種子石塔婆(室町時代中期 文明二年 1470年、粘板岩、高さ 100Cm 幅 20.5Cm 厚さ 11Cm) |
- |
大日信仰が顕れている石塔婆。身部は、上方に金剛界大日種子、その下に大日信仰の偈(げ)、下方に願文と紀年銘を刻む。 |
忌日供養が十三仏として定型化すると七回忌の本尊は阿閦如来(ウーン)となる。また、それ以前は胎蔵界大日(アーク)が刻まれることが多い。
身部上方、「バーンク」(五点具足)
金剛界大日如来の種子「バーンク」を薬研彫する。
「バーンク」は、発心(命点)・修行・菩提(空点)・涅槃・方便究竟の五点を備えた形。
忌日供養が定型化する前、五点具足の金剛界大日如来(バーンク)は三十三回忌の本尊として刻まれることが多い。
本碑の場合は、偈(げ)に詠まれる様に大日信仰があるものと思われる。
偈(げ)(出典未詳)
偈(げ):「至心帰命(ししんきみょう)、周遍法界(しゅうへんほうかい)、三世常住(さんぜじょうじゅう)、大日如来(だいにちにょらい)」
[ 至心に帰命(帰依)せば、法界(世の中)にあまねき、三世(前世・現世・来世)に住みたもう大日如来がおわします。 ]
※ 三句と四句は、「『覚禅鈔』などによれば、『中堂薬叉供』という」(「石仏偈頌辞典」:加藤政久 編著)
石塔婆 下部(刻銘全文) | 刻銘:「文明二天(1470)、庚寅、六」 |
下部の刻銘は、中央に「右志趣者為 榮海阿闍梨」、
向って右側に「七年忌辰故也」、左側に「文明二天(1470)、庚寅、六月十四日」、「孝子等、敬白」と刻む。
文明二年(1470)六月十四日 栄海阿闍梨七年忌にあたり、子等により本石塔婆が造立された。
寺崎(てらさき)石塔婆群 (宮城県石巻市大瓜字寺崎)
釈迦如来の種子「バク」と薬師経に出る偈(げ)を刻む石塔婆で、室町時代前期 永享五年(1433)の紀年銘がある。
寺崎(てらさき)釈迦種子石塔婆 (室町時代前期 永享五年 1433年、粘板岩、高さ 64Cm 幅 29Cm 厚さ 5.5Cm)
全体に摩耗が進んでいる。身部は、上方に釈迦如来の種子「バク」、その下に薬師経に出る偈(げ)、下方に被供養者名と紀年銘を刻む。
身部 上方
釈迦如来の種子「バク」を薬研彫する。忌日供養では、釈迦如来は二七日忌の本尊。
薬師経 第七願 の偈(げ)
偈(げ):「我之号一経(がしごういっきょう)、其耳衆病(ごにしゅびょう)、悉除心身安楽(しつじょしんじんあんらく)」
[ わが薬師如来の名号が、一たびその耳に経たなれば、諸病ことごとく除かれ、心身安楽なり。 ]
※ 本来は「我之名号、一経其耳、衆病悉除、心身安楽」で四句だが、本碑は三句にして一句目の「名」を省いている。
下部の刻銘は、中央に「右意趣者 口和大姉」、
向って右側に「永享五年(1433)」、左側に「廿九日」と刻む。
寺崎(てらさき)石塔婆群 (宮城県石巻市大瓜字寺崎)
道全禅門 五七日忌供養碑。室町時代中期 文明三年(1471)の紀年銘がある。
寺崎(てらさき)地蔵種子石塔婆(室町時代中期 文明三年 1471年、粘板岩、高さ 47Cm 幅 18Cm 厚さ 6Cm) |
石塔婆は頭部を損傷する。身部は、上方に地蔵菩薩の種子「カ」、下方は造立趣旨と紀年銘を刻む。
身部上方、五七日忌の本尊「カ(地蔵)」
地蔵菩薩の種子「カ」を薬研彫するが、かなり傷んでいる。
石塔婆 下部、刻銘 | 刻銘:「道全禅門五七日忌」 |
下部の刻銘は「道全禅門五七日忌辰」、「文明三年(1471)、辛口、卯月廿八日」と刻む。
文明三年(1471) 道全禅門五七日(三十五日)忌の追善供養にあたり、本石塔婆が造立された。
*JR石巻駅から北東方向へ 約3.7Km。石巻駅前のレンタカーの店で、自転車を借りるのが便利。住所でいえば、石巻市大瓜字寺崎90くらいの所で、道路沿いに立っている。当地域は、地元住民を対象にした乗合タクシーがあるだけで、バスの便はない。
(撮影:平成26年4月12日)