北境(きたざかい)石塔婆群 (宮城県石巻市北境字舘)
一周忌に造立された石塔婆で、珍しい偈(げ)を刻んでいる。南北朝時代後期 至徳三年(1386)の紀年銘がある。
北境(きたざかい)勢至種子石塔婆(南北朝時代後期 至徳三年 1386年、粘板岩、高さ 82Cm 幅 28Cm 厚さ 7Cm) |
法華堂の境内に立っている。身部は、上方に一周忌の本尊 勢至種子「サク」、その下に往生礼讃偈に出る偈、下方に造立趣旨と紀年銘を刻む。
下方の刻銘は大部分が地中で、中央に「至徳三年(1386)三月十九日」、
向って右側に二行「右志者為過去聖霊、妙覚禅門一周相当」、左側に二行「出離生死頓證菩提、乃至法界平ホ(等)利益也」と刻む。
南北朝時代後期 至徳三年(1386)三月十九日 妙覚禅門一周忌追善供養として造立された。
身部 上方
一周忌の本尊 勢至菩薩の種子「サク」を刻む。
往生礼讃偈に出る偈(沙門善導記)
偈(げ):「勢至菩薩難思議(せいしぼさつなんじき)、威光普照無辺際(いこうふしょうむへんさい)、
有縁衆生蒙光触(うえんしゅじょうもうこうそく)、増長智慧超三界(ぞうちょうちえちょうさんがい)」
[ 勢至菩薩ぞ不思議なる。たけき光のあまねくて、際もなき辺を照らすなり。えにしを得たる人々の、そのみ光に触れもせば、こよなき智慧ぞいやまさん。]
(お経・浄土宗「三尊礼」にでていたとして「石仏偈頌辞典」(加藤政久 編著)に記載されている訳)
※ 薩難思議(なんじぎ、なんしぎ):心でおしはかることが出来ないこと。不可思議。
勢至菩薩に関する偈(げ)は、下記のものが良く知られている。
偈(げ):「大勢至菩薩(だいせいしぼさつ)、示現月天子(じげんがつてんし)、普照四天下(ふしょうしてんげ)、成就衆生願(じょうじゅしゅじょうがん)」
[ 大勢至菩薩は、姿を変え月天子として示現する。そして、あまねく 四天下を照らし、衆生の願いを成就する。]
北境(きたざかい)石塔婆群 (宮城県石巻市北境字舘)
地蔵菩薩の種子「カ」を主尊とする石塔婆で、室町時代前期 応永六年(1399)の紀年銘がある。
北境 地蔵種子石塔婆 (室町時代前期 応永六年 1399年、粘板岩、高さ 95Cm 幅 28Cm 厚さ 9Cm)
法華堂の長い石段、その入口に近くに立っている。身部は、上方に地蔵種子「カ」、下方に紀年銘を刻む。
身部 上方
地蔵菩薩の種子「カ」を刻む。
身部 下方
北境(きたざかい)石塔婆群 (宮城県石巻市北境字舘)
法華堂の長い石段、その入口に立っている。身部は、上方に金剛界大日種子「バン」、下方に紀年銘を刻む。但し、年号の部分が剥落している。
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身部上方、金剛界大日如来の種子「バン」 | 刻銘:「・・四年十月廿一日」 |
北境(きたざかい)石塔婆群 (宮城県石巻市北境字舘)
北境(きたざかい)不動種子石塔婆 (推定:鎌倉時代、砂岩、高さ 171Cm 幅 42Cm 厚さ 19Cm)
法華堂への登り口、石段の横に立つ。身部は、上方に不動種子「カーン」、下方はなにも刻まれていない。
身部 上方
不動明王の種子「カーン」を薬研彫する。
北境(きたざかい)元徳二年銘 題目石塔婆 石仏と石塔-目次!
不動種子「カーン」を主尊とする石塔婆で、素朴で力強い彫りから鎌倉時代の作品と思われる。 |
*JR石巻駅からミヤコ―バス石巻専修大学線 飯野川行きに乗車、「北境バス停」下車、すぐ。石巻駅前のレンタカーの店で、自転車を借りるのが便利。
(撮影:平成26年4月12日)