北境(きたざかい)石塔婆群 (宮城県石巻市北境字舘)
当地の題目石塔婆では珍しい「悲母一百ケ日忌」に造立されたもので、悲母と刻むものはこれ一基と思われる。鎌倉時代後期 元徳二年(1330)の在銘。
北境(きたざかい)題目石塔婆 (鎌倉時代後期 元徳二年 1330年、粘板岩、高さ 113Cm 幅 32Cm 厚さ 7Cm)
題目石塔婆は、中央に大きく「南無妙法蓮華経」の七字題目、下方に造立趣旨と紀年銘を刻む。
刻銘:「南無妙法蓮華経」
石塔婆 下部
刻銘は、半分が地中に埋まっているが中央に「元徳二年(1330)六月四日、敬白」、
両側に「右志為悲母一百ケ日忌、晨出離生死頓証菩提也」と刻む。
悲母 百ケ日忌にあたる鎌倉時代末期 元徳二年(1330)六月四日に造立された。
当地の題目石塔婆は、被葬者が「慈父」と刻まれたもので、「悲母」と刻むものは大変珍しい。
北境(きたざかい)石塔婆群 (宮城県石巻市北境字舘)
「慈父一周忌」に造立されたもので、鎌倉時代後期 北朝年号 元徳四年(1332)十月二十三日の紀年銘がある。
北境(きたざかい)題目石塔婆 (鎌倉時代後期 元徳四年 1332年、粘板岩、高さ 164Cm 幅 37Cm 厚さ 22Cm) |
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石塔婆は、下部の向かって左側に剥落がある。身部は、中央に「南無妙法蓮華経」の題目、下方に造立趣旨と紀年銘を刻む。 |
下方の刻銘は、中央に「元徳四年(1332)十月廿三日、孝子、敬白」、
向かって右に「右志者為相当慈父一周」、左に「忌出離生死頓証菩提也」と刻む。(左側の刻銘は、剥落の為、現在はない)
慈父 一周忌にあたる鎌倉時代末期 北朝年号 元徳四年(1332)十月二十三日に造立された。
当石塔婆群には、六日後の南朝年号 元弘二年(1332)十月二十九日に造立された石塔婆もある。
尚、北朝年号 元徳四年(1332)は四月二十七日迄で、刻銘の十月二十三日は改元され正慶元年(北朝年号)になる。
刻銘:「元徳四年(1332)十月廿三日、孝子、敬白」
北境(きたざかい)石塔婆群 (宮城県石巻市北境字舘)
「慈父」の為に造立されたもので、紀年銘は死亡日とみられている。鎌倉時代後期 南朝年号 元弘二年(1332)十月二十九日の在銘。
北境(きたざかい)題目石塔婆 (鎌倉時代後期 元弘二年 1332年、粘板岩、高さ 109Cm 幅 29Cm 厚さ 10Cm) |
刻銘は、中央に大きく「口口妙法蓮華経」の七字題目、
下方中央に 南朝年号「元弘二年(1332)十月二十九日、敬白」、その左右に「右志為」、「慈父也」と刻む。
慈父の為に造立されたもので、鎌倉時代末期 南朝年号 元弘二年(1332)十月二十九日の紀年銘がある。
前記石塔婆が、本石塔婆の六日前に北朝年号で造立されており、南朝年号と北朝年号が入り乱れて興味深い。
北境(きたざかい)石塔婆群 (宮城県石巻市北境字舘)
題目が「奄(オン)妙法蓮華経」と刻まれている珍しい石塔婆で、南北朝時代初頭 元弘四年(建武元年:1334)の紀年銘がある。
北境 題目石塔婆 〈南北朝時代初期 元弘四年(建武元年) 1334年、粘板岩、高さ 132Cm 幅 40Cm 厚さ 17Cm〉 |
刻銘は、中央にやや大きく「奄(オン)妙法蓮華経」の題目、
下方は、中央に 南朝年号「元弘四年(1334)三月日、敬白」、左右に「右志者為聖霊」、「之奉建立所也」と刻む。
鎌倉時代の終わり、その争いで死んだ人々を慰霊するため建立されたと思われる。
南朝・元弘年号は三年迄で、元弘四年(1334)は改元され南・北朝とも建武元年になる。
題目の上に削られた、線刻五輪塔(五字題目)の痕が残っている。 | 刻銘:「奄(オン)妙法蓮華経」 |
題目は、「奄(オン)妙法蓮華経」と刻まれ「南無」の代わりに「奄(オン)」が使われている。
「オン」:「オーン」とも。唵(おん)と音写する。聖音。陀羅尼を誦するときに、初めに唱えるものである。インドでは、宗教的儀式の前後に唱える神聖な音であった。
オンは、a・u・mの三字による合成であるとし、それぞれが万物の発生・維持・終滅を示すものと解された。真言密教に入って神聖な呪語となり、たとえば『守護国界
主陀羅尼経』第一には、それを法・報・応の三身(さんじん)に配し、三世の五仏(金剛界五仏)は、この字を観じて成仏するという。(「仏教美術辞典」、東京書籍、部分)
石塔婆 下部
刻銘は、中央に「元弘四年(1334)三月日、敬白」、左右に「右志者為聖霊」、「之奉建立所也」と刻む。
刻銘:「元弘四年(1334)三月日」
元弘年号は三年迄で、元弘四年(1334)は改元され建武元年になる。
*JR石巻駅からミヤコ―バス石巻専修大学線 飯野川行きに乗車、「北境バス停」下車、すぐ。石巻駅前のレンタカーの店で、自転車を借りるのが便利。
(撮影:平成26年4月12日)