山口家(やまぐちけ)石塔婆群 (宮城県石巻市東福田字馬場)
山口家石塔婆群で二番目に大きい石塔婆で、三番目に古い南北朝時代中期 貞治四年(1365)の紀年銘がある。
山口家 地蔵種子石塔婆(南北朝時代中期 貞治四年 1365年、粘板岩、高さ 206Cm 幅 55Cm 厚さ 6Cm) |
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頂部左側を少し欠く。身部は、上方に地蔵種子[カ」、その下に延命地蔵経に出る偈(げ)、下方は造立趣旨と紀年銘を刻む。 |
亡き人の供養と地蔵は、深い関連がある。すなわち、地蔵は、釈迦入滅後から弥勒出世迄の無仏世界において六道の衆生を教化し、さらに地獄を
めぐりながら衆生を救済する。地蔵は、地獄の王 閻魔と同体とされる。本石塔婆では、主尊を地蔵種子とし、延命地蔵経に出る偈(げ)まで刻んでいる。
身部 上方
地蔵菩薩の種子「カ」を蓮座上月輪内に薬研彫する。
身部下方、偈と造立趣旨及び紀年銘 | 刻銘:「貞治四年(1365)、乙巳、沽洗(姑洗:三月)」 |
延命地蔵経に出る偈(げ)
偈(げ):「毎日晨朝入諸定(まいにちじんじょうにゅうしょじょう)、入諸地獄令離苦(にゅうしょじごくりょうりく)、
無仏世界度衆生(むぶつせかいどしゅじょう)、今世後世能引導(こんぜごせのういんどう)」
[ (地蔵菩薩は)毎日早朝に諸々の定(じょう)に入り、諸々の地獄に入って衆生の苦を離れさしめ、
仏なき世界(釈迦涅槃から弥勒下生まで)に衆生を済度し、現世も来世もよく引導したもう。 ]
身部 下部
刻銘は、中央に「貞治四年(1365)、乙巳、沽洗(姑洗:三月)十八日遺弟小比丘、全正、敬白」、
向って右側に二行「夫以字義因乗不可得閻王之断罪、還黙本不生隠理修生之勘忽」、
左側に二行「札拱手爰口口伽提済渡有便抜苦、勵力乃至即事而真十界常住而己」と刻む。
山口家(やまぐちけ)石塔婆群 (宮城県石巻市東福田字馬場)
勢至種子を主尊とする石塔婆で、本石塔婆群の中で一番古い紀年銘 南北朝時代中期 延文四年(1359)がある。
山口家(やまぐちけ)勢至種子石塔婆(南北朝時代中期 延文四年 1359年、粘板岩、高さ 85Cm 幅 34Cm 厚さ 4Cm) |
頭部は山形。身部は上方に勢至種子「サク」、下方は造立趣旨と延文四年(1359)の紀年銘を刻む。
身部 上方
勢至菩薩の種子「サク」を薬研彫する。
身部 下方
刻銘は、中央に「延文二二(四)年(1359)・・・」、両側に「右志者・・・・・」、「菩提(異体文字)乃至法界平・・・・・」と刻む。
本石塔婆群は、この石塔婆を最古としている。 | 刻銘:「延文二二(四)年(1359)」 |
山口家(やまぐちけ)石塔婆群 (宮城県石巻市東福田字馬場)
金剛界大日種子を主尊とする石塔婆で、本石塔婆群の中で二番古い紀年銘 南北朝時代中期 延文六年(1361)がある。
山口家 金剛界大日種子石塔婆(南北朝時代中期 延文六年 1361年、粘板岩、高さ 60Cm 幅 37Cm 厚さ 3Cm)
種子「バン」と下方の刻銘
上方に金剛界大日如来の種子「バン」、下方は欠損しているが
、中央に「延文六(1359)・・・」、両側に「梵字光明真言」の一部が残っている。
山口家(やまぐちけ)胎蔵界大日種子石塔婆 石仏と石塔-目次!
山口家(やまぐちけ)石塔婆群
宅地造成の時 出土した石塔婆で、山口家の裏 山際に約68基の石塔婆が安置されている。
石塔婆は、南北朝時代中期 延文四年(1359)を最古として、室町時代中期 応仁元年(1467)を下限とする。
*JR石巻駅からミヤコ―バス石巻専修大学線 飯野川行きに乗車、福田バス停下車、南東方向へ徒歩 約1.2Km。石巻駅前のレンタカーの店で、自転車を借りるのが便利。
(撮影:平成26年4月12日)