山口家(やまぐちけ)石塔婆群 (宮城県石巻市東福田字馬場)
密教系の逆修石塔婆で、「ア」字(胎蔵界大日)を主尊とする。南北朝時代中期 貞治六年(1366)の紀年銘がある。
山口家 胎蔵界大日種子石塔婆(南北朝時代中期 貞治五年 1366年、粘板岩、高さ 154Cm 幅 36Cm 厚さ 5Cm) |
頂部の右側を少し欠損する。身部は、上方に胎蔵界大日種子[ア」、下方は造立趣旨と紀年銘を刻む。
身部 上方
胎蔵界大日如来の種子「ア」を薬研彫する。
身部下方、刻銘 | 刻銘:「貞治五年(1366)十一月」 |
刻銘は、中央に「貞治五年(1366)十一月日、施主、敬白」、
向って右側に「右造立塔婆志趣者為浄通尼公七分全得也然越三大」、
左側に「僧祇一念阿字無量福恵果三密金剛乃至法界平等普利」と刻む。
密教系の石塔婆で、浄通尼公の逆修供養の為、南北朝時代中期 貞治五年(1366)十一月に造立された。
山口家(やまぐちけ)石塔婆群 (宮城県石巻市東福田字馬場)
釈迦種子の部分が割れて別にある。ここでは下部の刻銘部だけを掲載した。南北朝時代中期 貞治四年(1365)の在銘の双式石塔婆。
山口家釈迦種子石塔婆(断碑)(南北朝時代中期 貞治四年 1365年、粘板岩、高さ 83Cm 幅 31Cm 厚さ 5Cm) |
上記寸法は、上部の釈迦種子部を入れた寸法。刻銘は、中央に「貞治四年(1365)、乙巳、六月日、敬白」、
両側に「右志趣者相当過去念阿禅門」、「・・辰所修也乃至法界平等普利」と刻む。
本石塔婆群には、上記石塔婆と同文の願文で、同年同月の弥勒種子「ユ」を主尊とする「念阿尼公幷息女」の石塔婆があり
、本石塔婆と双式石塔婆とみられている。主尊とする釈迦種子「バク」と弥勒種子「ユ」は、釈迦涅槃から弥勒下生を暗示している。
刻銘:「貞治四年(1365)」
山口家(やまぐちけ)石塔婆群 (宮城県石巻市東福田字馬場)
無量寿(阿弥陀)種子「アン」を主尊とする石塔婆で、浄以禅門の百ケ日忌に造立された。南北朝時代中期 貞治六年(1367)の在銘。
山口家(やまぐちけ)一尊種子石塔婆(南北朝時代中期 貞治六年 1367年、粘板岩、高さ 117Cm 幅 38Cm 厚さ 6Cm) |
頭部はドーム形。身部は上方に無量寿(阿弥陀)種子「アン」、下方は造立趣旨と紀年銘を刻む。
身部 上方
無量寿(阿弥陀)如来の種子「アン」を薬研彫する。
種子「アン」は無量寿の他、普賢・大日などの仏尊を示すが、願文に「極楽往生」の文言があるので、無量寿(阿弥陀)とした。
下方の刻銘
中央に「貞治六年(1367)二月日、敬白」、
向かって右側に「右趣志者相当過去浄以禅門一百ケ日」、左側に「為出離生死往生浄土乃至法界利口也」と刻む。
山口家(やまぐちけ)石塔婆群
宅地造成の時 出土した石塔婆で、山口家の裏 山際に約68基の石塔婆が安置されている。
*JR石巻駅からミヤコ―バス石巻専修大学線 飯野川行きに乗車、福田バス停下車、南東方向へ徒歩 約1.2Km。石巻駅前のレンタカーの店で、自転車を借りるのが便利。
(撮影:平成26年4月12日)