金子家(かねこけ)阿弥陀三尊種子板碑(Ⅱ)(埼玉県朝霞市根岸台8丁目)
鎌倉幕府滅亡の約二ヶ月後、元弘三年(1333)七月三十日に造立された板碑で、同形式・同年同月造立の板碑がもう一基ある。
金子家阿弥陀三尊種子板碑(鎌倉時代末期 元弘三年 1333年、緑泥片岩、高さ 109Cm 下幅 36Cm)
身部は上方に阿弥陀三尊の種子、下方中央に「元弘三年(1333)」の紀年銘、その両側に各二行 涅槃経に出る偈(げ)を刻む。 |
板碑 頭部
頭部 山形、下に二条線、身部は一重線の輪郭を巻く。
阿弥陀三尊の種子 | 身部下方、紀年銘と涅槃経に出る偈(げ) |
阿弥陀三尊種子は、上方に阿弥陀如来の種子「キリーク」、向って右下 に観音菩薩の種子「サ」、左に勢至菩薩の種子「サク」を刻む。
三尊とも月輪はなく、主尊の阿弥陀種子「キリーク」のみ蓮華座上に刻まれている。
身部下方は、中央に「元弘三年(1333)、七月、癸酉、卅日」、その両側に各二行「涅槃経に出る偈(げ)」を刻む。
涅槃経に出る偈(げ)
偈(げ):「諸行無常(しょぎょうむじょう)」「是生滅法(ぜしょうめっぽう)」「生滅々已(しょうめつめつい)」「寂滅為楽(じゃくめついらく)」
[ 諸行は無常である。これ生滅の法である。生滅を滅しおわりて、生も滅もない寂滅を楽しみとする。]
刻銘:「元弘三年(1333)、七月、癸酉、卅日」 | 板碑は二分断し、修理が施されている。もう一基と双式。 |
鎌倉時代末期の元弘三年(1333)七月三十日の紀年銘がある。尚、鎌倉幕府は、元弘三年(1333)五月二十二日に滅亡した。
板碑、根部
根部は、薄く突出する。
板碑収蔵庫、四基の板碑
向って左から阿弥陀三尊種子板碑(Ⅱ)、不動曼荼羅板碑(Ⅰ)、不動曼荼羅板碑(Ⅱ)、阿弥陀三尊種子板碑(Ⅰ)
左右両端の阿弥陀三尊板碑は、二基とも元弘三年(1333)銘で双式、中央の不動曼荼羅板碑も二基とも正安三年(1301)銘で双式。
*東武東上線「朝霞駅」下車、北東方向へ徒歩 約18分。
(撮影:平成25年3月5日)