戸田市立郷土博物館(埼玉県戸田市大字新曽1707)
武蔵型 緑泥片岩製 板碑は、この題目板碑を最後として以後ものは残っていない。安土桃山時代 慶長三年(1598)の紀年銘を有する記念碑的板碑。
妙顕寺 題目板碑(市指定文化財、安土桃山時代 慶長三年 1598年、緑泥片岩、高さ 144Cm 下幅 39Cm) |
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板碑 刻銘 (展示説明文) | 「戸田市立郷土博物館」に展示されている。 |
武蔵型板碑は、上限年が須賀広 嘉禄三年銘(1227)板碑で、下限年は本板碑(慶長三年:1598年銘)を最後として、これ以降のものは残っていない。
本板碑は、残念ながら彫りが浅く、おまけに摩耗も進んでいて、碑面の詳細はほとんど不明。ライトを工夫すれば、いい写真が撮れるかもしれない。
板碑消滅の理由については、いろんな説があるが、墓碑(墓石)や位牌に受け継がれていったということも一つの理由として考えられている。
板碑 頭部
頭部山形、下に二条線、身部は一重線の輪郭を巻く。
輪郭内最上部の左右に日・月、その間に天蓋(てんがい)を刻む。
身部、上方の刻銘 | 身部、下方の刻銘 |
身部上方は、中央に「南無妙法蓮華経」の題目を蓮座上に、左右に「南無多寶如来」、「南無釈迦牟尼佛」を刻み主題両尊(題目三尊)とする。
題目の下方中央に「南無日蓮大聖人」、右に「大日天王」、「現世安穏 後生善処」(法華経 薬草喩品に出る偈)、左に「大月天王」、
「当於今世 得現果報」(法華経普賢菩薩勧発品に出る偈)、題目三尊の右に「毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身」
(法華経 如来寿量品に出る偈)、左に「於我滅度後 應受持斯経 是人於仏道 決定無有疑」(法華経 如来神力品に出る偈)、さらに下方
に「与二郎」他、計十名の交名と「慶長三年(1598)、戊戌、二月時正」の紀年銘が刻まれている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
題目板碑の偈(げ)は、当然のことながら出典はすべて法華経。
薬草喩品に出る偈(げ):「現世安穏(げんぜあんのん)、後生善処(ごしょうぜんしょ)」 [ 現世は安穏にして、後には善い運命に生ぜんことを。 ]
普賢菩薩勧発品に出る偈:「当於今世(とうおこんぜ) 得現果報(とくげんかほう)」 [ 当(まさ)に今世において、現(まのあたり)の果報を得べし ]
如来寿量品に出る偈:「毎自作是念(まいじさぜねん)以何令衆生(いがりょうしゅじょう)得入無上道(とくにゅうむじょうどう)速成就仏身(そくじょうじゅぶっしん)」
[ 常に自らこの念をなす、何をもってか衆生をして無上道に入り、速やかに仏心を成就することを得しめんと ]
如来神力品に出る偈:「於我滅度後(おがめつどご)応受持斯経(おうじゅじしきょう)是人於仏道(ぜにんおぶつどう)決定無有疑(けつじょうむうぎ)」
[ 我が(釈迦)滅度(命終)の後に於いて、まさにこの経を受持すべし、この人仏道(成仏)において決定して、疑あることなし ]
身部、下方
向って右端に「慶長三年(1598)、戊戌」の紀年銘がかすかに見える。
妙顕寺(みょうけんじ)阿弥陀種子板碑(埼玉県戸田市新曽2438)
妙顕寺には板碑は無縁墓に一基、阿弥陀種子板碑があった。
妙顕寺 阿弥陀一尊種子板碑(年代不明、緑泥片岩)
妙顕寺 本堂 (日蓮宗)
日蓮在世中に建立された古刹で、本尊は日蓮上人自筆の題目曼荼羅。
妙顕寺 山門 (入母屋造、本瓦葺)
*戸田市立郷土博物館へは、JR埼京線 「戸田駅西口」下車、西方向へ徒歩 約7分。尚、撮影は許可が必要。係員の方、無理を言ったにもかかわらず、対応して頂いて有難うございました。
(撮影:平成24年11月13日、平成25年3月8日)