つちんど墓地(小原辻堂墓地)笠塔婆・二基

 つちんど墓地(小原辻堂墓地)(奈良県宇陀市室生区小原)

  一基は永仁七年(1299)に死去した母の往生を願い、一基は父の一周忌供養の為、子息の道仏が造立した。

つちんど墓地笠塔婆・二基 (市指定文化財、鎌倉時代後期 永仁七年 1299年、花崗岩、総高 237Cm)

 笠塔婆(為、悲母) (向かって右側の塔婆)

   永仁七年(1299)に死去した母の往生を願い、子息の道仏がこの笠塔婆を造立した。

つちんど墓地笠塔婆 (市指定文化財、鎌倉時代後期 永仁七年 1299年、花崗岩、総高 237Cm)

向かって右側の笠塔婆。正面上方、月輪内に阿弥陀の種子「キリーク」、下方に造立趣旨・紀年銘、左右の側面に偈(げ)を刻む

右側面の偈(げ)(唯識論の偈):「未得真覚(みとくしんかく)恒処夢中(ごうしょむちゅう)故仏説為(こぶつせつい)生死長夜(しょうじちょうや)

[ いまだ真覚(さとり)を得ずして、常に夢の中に処す。故に仏は説いて、生死長夜(生死に迷い苦しむさまを長い夜の夢にたとえる)となす ]

左側面の(偈)「十方三世仏(じっぽうさんぜぶつ)、一切諸菩薩(いっさいしょぼさつ)八万諸聖教(はちまんしょしょうぎょう)、皆是阿弥陀(かいぜあみだ)

[ 十方三世の御仏、一切の諸菩薩、八万の諸聖教は、みなこれ阿弥陀 也 ](浄土教古徳之偈)

笠上の宝珠は欠失する。笠は宝形造で、軒裏に一重の垂木型を作りだす。

塔身正面、上方の種子

月輪内に阿弥陀如来の種子「キリーク」を薬研彫する。

身部上方、大きく「南無阿弥陀仏」の六字名号を刻む 身部下方の刻銘

身部下方の刻銘:「右為悲母往生浄刹口」「永仁七(1299)、才次、己亥、五月 道仏」

永仁七年(1299)に死去した母の往生を願い、子息の道仏がこの笠塔婆を造立した。

 笠塔婆(為、祐盛一周忌) (向かって左側の塔婆)

   永仁七年(1299)、父祐盛の一周忌の供養に、子息の道仏が母の往生を願う笠塔婆とともに、この笠塔婆を造立した。

つちんど墓地笠塔婆 (市指定文化財、鎌倉時代後期 永仁七年 1299年、花崗岩、総高 237Cm)

向かって左側の笠塔婆。正面上方、月輪内に釈迦如来の種子「アク」、下方に造立趣旨・紀年銘、左右の側面に偈(げ)を刻む

右側面の偈(げ)(涅槃経の偈):「諸行無常(しょぎょうむじょう)是生滅法(ぜしょうめっぽう)生滅々已(しょうめつめつい)寂滅為楽(じゃくめついらく)

[ 諸行は無常である。これ生滅の法である。生滅を滅しおわりて、生も滅もない寂滅を楽しみとする。]

左側面の偈(げ)(法華経譬喩品の偈):「三界無安(さんがいむあん)猶如火宅(ゆにょかたく)衆苦充満(しゅくじゅうまん)甚可怖畏(じんかふい)

[ 三界(欲界・色界・無色界)は安きことなし、なお火宅(燃えている家)の如し。衆苦(しゅく)は充満して、甚(はなは)だ畏怖(いふ)すべきものなり ]

笠上の宝珠は欠失する。笠は宝形造で、軒裏に二重の垂木型を作りだす。

塔身正面、上方の種子

月輪内に釈迦如来の種子「アク」を薬研彫する。

種子「アク」は、通常 不空成就(金)、天鼓雷音(胎)等に用いられるが、不空成就と釈迦如来は同体とされることから「釈迦如来」を表している。

身部上方、大きく「南無阿弥陀仏」の六字名号を刻む 身部下方の刻銘

身部下方の刻銘:「右為祐盛一周忌」「永仁七年(1299)五月 日」

永仁七年(1299)、父祐盛の一周忌の供養に、子息の道仏が母の往生を願う笠塔婆とともに、この笠塔婆を造立した。

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つちんど墓地笠塔婆・二基 (市指定文化財、鎌倉時代後期)

父の祐盛が永仁六年に亡くなり、その翌年に母が亡くなった。一基は母の往生を願い、もう一基は父の一周忌供養の為に造立した。

 笠塔婆(かさとうば)

*近鉄 室生口大野駅より徒歩。バスは、平成24年4月1日より廃止された。

(撮影:平成19年8月15日)