向徳寺 応永十六年銘 阿弥陀三尊種子板碑

 向徳寺(こうとくじ)(埼玉県比企郡嵐山町大蔵 635)

   前から二列目の板碑で、主尊 「キリーク」の月輪を光明真言で刻む室町時代前期 応永十六年(1409)の在銘板碑。

向徳寺阿弥陀三尊種子板碑(室町時代前期 応永十六年 1409年、緑泥片岩、高さ 86Cm 下幅 31Cm)

頭部山形を損傷、身部は一重の輪郭を巻き、上方に阿弥陀三尊の種子、下方に涅槃経に出る偈、造立者名、紀年銘を刻む。

阿弥陀如来の種子「キリーク」(主尊)

蓮華座上に刻まれた月輪は、梵字で光明真言を刻んでいる。

光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ、シャ、ナ、マ、カー、ボ、ダラ、マ、ニ、ハン、ドマ、ジンバ、ラ、ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン」

身部上方、蓮華座上月輪内に阿弥陀三尊の種子を刻む。 身部、下方の刻銘

阿弥陀三尊種子は、上方に阿弥陀如来の種子「キリーク」、向って右下 に観音菩薩の種子「サ」、左に勢至菩薩の種子「サク」を刻み阿弥陀三尊とする。

身部下方の刻銘は、中央に「応永十六年(1409)六月二日」、下方左右に「願阿、禅門、敬白」、上の左右に各一行 「涅槃経」に出る偈を刻む。

涅槃経に出る偈(げ)

偈(げ):「諸行無常(しょぎょうむじょう)是生滅法(ぜしょうめっぽう)」「生滅々已(しょうめつめつい)寂滅為楽(じゃくめついらく)

[ 諸行は無常である。これ生滅の法である。生滅を滅しおわりて、生も滅もない寂滅を楽しみとする。]

向徳寺 貞治七年銘 阿弥陀種子板碑

 向徳寺(こうとくじ)(埼玉比企郡嵐山町大蔵 635)

   最前列、向って右端の板碑で、南北朝時代中期 貞治七年(1368)の紀年銘がある。

向徳寺阿弥陀一尊種子板碑(南北朝時代中期 貞治七年 1368年、緑泥片岩、高さ 75Cm 下幅 24Cm)

頭部山形、下に二条線、身部は一重の輪郭を巻き、上方に阿弥陀の種子「キリーク」を蓮華座上に、下方に紀年銘を刻む。

身部、阿弥陀の種子「キリーク」を蓮華座上に薬研彫する 刻銘:「貞治七年(1368)正月、十二、日」

尚、貞治七年(1368)は、この年 二月十八日に「応安元年」に改元する。

向徳寺(こうとくじ)六字名号板碑

 向徳寺(こうとくじ)(埼玉比企郡嵐山町大蔵 635)

   前から二列目、向って右端の板碑で、南北朝時代初期 建武四年(1337)の紀年銘がある。

向徳寺六字名号板碑(室町時代後期 永禄年間 1558~70年、緑泥片岩、高さ 69Cm 下幅 38Cm)

身部は一重の輪郭を巻き、最上部に日・月、中央に南無阿弥陀佛の六字名号を蓮華座上に、左右に往生本縁経に出る偈、下方に紀年銘を刻む。

板碑、下方の刻銘

中央に「南無阿弥陀佛」、下方に「永禄(1558~70)・・・」、名号の左右に「往生本縁経」に出る偈(げ)を刻む。

偈(げ):一念弥陀仏(いちねんみだぶつ)即滅無量罪(そくめつむりょうざい)」「現受無比楽(げんじゅむひらく)後生清浄土(ごしょうしょうじょうど)

[ 一たび阿弥陀仏を念ずれば、ただちに無量の罪を滅ぼし、まのあたりに無比の楽を受け、後生には浄土に生まれん。]

向徳寺 貞治年銘 阿弥陀三尊種子板碑

 向徳寺(こうとくじ)(埼玉比企郡嵐山町大蔵 635)

   最前列、中央の板碑で、南北朝時代中期 貞治年(1362~68)の年号を刻む。

向徳寺阿弥陀三尊種子板碑(南北朝時代中期 貞治年間 1362~68年、緑泥片岩、高さ 75Cm 下幅 24Cm)

頭部山形、下に二条線、身部は一重の輪郭を巻き、内に阿弥陀三尊の種を蓮華座上に、下方に「往生本縁経」に出る偈と「貞治(1362~68)・・・」の紀年銘を刻む。

偈(げ):「若有重業障(にゃくうじゅうごうしょう)、無生浄土因(むしょうじょうどいん)乗弥陀願力(じょうみだがんりき)必生安楽国(ひっしょうあんらくこく)

[ 若し重き業障ありて、浄土に生まれる因がなくても、弥陀の願力(誓願の力)に乗ずれば、必ず安楽国(浄土)に生まれることができる]

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向徳寺 板碑群 配置図 (現地説明板)

 板碑(いたび)

*東武東上線 「武蔵嵐山駅」下車、南方向へ徒歩 約25分。

(撮影:平成24年11月10日)