高木観音堂(たかぎかんのんどう)石塔婆群 (宮城県石巻市高木字竹下)
金剛界大日種子を主尊とする石塔婆で、珍しい偈(げ)を刻んでいる。南北朝時代中期 応安六年(1373)の在銘。
高木観音堂 金剛界大日種子石塔婆(南北朝時代中期 応安六年 1373年、粘板岩、高さ 100Cm 幅 35Cm 厚さ 13Cm)
石塔婆は前から五列目に立つ。身部は、上方に金剛界大日種子、その下に出典不明の偈、下方は造立趣旨と紀年銘を刻む。 |
身部 上方
金剛界大日如来の種子「バン」を薬研彫する。
出典不明の偈(げ)
偈(げ):「是楽無徳法、兼思口口口、為口口口口 、当口口口説」(石巻市発行、「石巻の歴史第八巻」より)
「続々偈頌辞典」(国書刊行会)で著者の加藤政久氏は、「石巻の歴史第八巻」掲載の上記 偈を解説している。それによれば、長い日数をかけ
て調べたが、出典不明とのことで、上記の文中にいくつかの誤読があったのではないかと疑問を呈し、参考になる偈をいくつかあげられている。
今回、当方が撮った写真では、割と鮮明に写っている文字もあるので、参考にして頂きたい。尚、下記の偈は、当方が勝手に読んだもの。
偈(げ):「是口無相口、劣思所不在、為應口尊設、口存有相説」
石塔婆、下部の刻銘
刻銘は、中央に「応安六年(1375)、癸丑、口月一日、施主、 敬白」、向って左に「妙道禅尼為造立也」と刻む。
刻銘:「応安六年(1373)、癸丑、口月」
高木観音堂(たかぎかんのんどう)石塔婆群 (宮城県石巻市高木字竹下)
勢至種子「サク」を主尊とする石塔婆で、願文はなく南北朝時代中期 貞治二年(1363)の紀年銘のみ刻んでいる。
石塔婆は前から三列目に立つ。身部は、上方に勢至菩薩の種子「サク」、下方に「貞治二年(1363)二月日」の紀年銘のみ刻んでいる。
身部 上方
勢至菩薩の種子「サク」を刻む。(「サク」は、一周忌の本尊)
石塔婆、下部の刻銘 | 刻銘:「貞治二年(1363)二月日」 |
下方の刻銘は「貞治二年(1363)二月日」と刻む。
高木観音堂(たかぎかんのんどう)石塔婆群 (宮城県石巻市高木字竹下)
七年忌に造立された石塔婆、南北朝時代後期 応安八年(1375)の紀年銘がある。
高木観音堂 勢至種子石塔婆(南北朝時代後期 応安八年 1375年、粘板岩、高さ 70Cm 幅 15Cm 厚さ 12Cm)
石塔婆は前から二列目に立つ。頭部は主尊種子の上側まで欠損する。残部から勢至菩薩の種子「サク」とわかる。下方は、造立趣旨と紀年銘を刻む。
身部 上方
勢至菩薩の種子「サク」を薬研彫する。
本石塔婆は、七年忌に造立されている為、本来はその本尊 阿閦如来の種子「ウーン」を刻む所だが「サク」が刻まれている。
高木(たかぎ)観音堂 金剛界大日種子石塔婆 石仏と石塔-目次!
石塔婆、下部の刻銘 | 刻銘:「応安八年(1375)」 |
刻銘は、中央に「応安八年(1375)、乙卯、七月十四日、口子、敬白」、
向って右に「右志者為性本幽儀七ヶ年成仏」、左に「得道乃至法界平等利益故也」と刻む。
南北朝時代後期 応安八年(1375)七月十四日 「性本」の七年忌に本石塔婆を造立した。
尚、刻銘の年号「応安」は、応安八年(1375)二月二十六日迄で、七月十四日は永和元年に改元されている。
*JR石巻駅から北東方向へ 約7.7Km。石巻駅前のレンタカーの店で、自転車を借りるのが便利。
(撮影:平成26年4月13日)