高木(たかぎ)観音堂金剛界大日種子石塔婆

 高木観音堂(たかぎかんのんどう)石塔婆群 (宮城県石巻市高木字竹下)

   金剛界大日種子を主尊とする石塔婆で、大日如来報身・法身真言を刻んでいる。南北朝時代後期 応安八年(1375)の在銘。

高木観音堂 金剛界大日種子石塔婆(南北朝時代後期 応安八年 1375年、粘板岩、高さ 80Cm 幅 35Cm 厚さ 10Cm)

石塔婆は前から二列目に立つ。身部は、上方に金剛界大日種子、下方は大日如来 報身・法身真言及び紀年銘を刻む。

身部 上方

金剛界大日如来の種子「バン」を薬研彫する。

石塔婆、下部の刻銘

刻銘は、中央に「广安八年(1375)十月十九日、教子、 敬白」、向って右に「ア・ビ・ラ・ウン・ケン」の大日報身真言、

左に「ア・バン・ラン・カン・ケン」の大日法身真言を刻む。紀年銘と法身真言の間に「六郎二口」と追刻と思われる名が刻まれている。

刻銘:「广安八年(1375)十月」

尚、刻銘の年号「応安」は、応安八年(1375)二月二十六日迄で、刻銘にある十月は永和元年に改元されている。

高木(たかぎ)観音堂永徳二年銘石塔婆

 高木観音堂(たかぎかんのんどう)石塔婆群 (宮城県石巻市高木字竹下)

   上部の種子部を欠失する石塔婆で、下方に三周忌の願文と南北朝時代後期 永徳二年(1372)の紀年銘を刻んでいる。

高木観音堂 石塔婆(南北朝時代後期 永徳二年 1382年、粘板岩、高さ 25Cm 幅 15Cm 厚さ 3.5Cm)

石塔婆は最前列に立つ。身部は、上方の種子部を欠失し、下方の刻銘部に願文と紀年銘を刻んでいる。

刻銘は、中央に「永徳二年(1382)向って右に「・・通禅尼第三年・・」、左に「・・至法界平等利・・」と刻む。

三周忌の本尊は阿弥陀如来なので、上部に種子「キリーク」が刻まれていた可能性が高い。

刻銘:「永徳二年(1382)

高木(たかぎ)観音堂明徳二年銘石塔婆

 高木観音堂(たかぎかんのんどう)石塔婆群 (宮城県石巻市高木字竹下)

   上部の種子部を損傷する石塔婆で、下方に一周忌の文言と南北朝時代後期 明徳二年(1391)の紀年銘を刻んでいる。

高木観音堂 石塔婆(南北朝時代後期 明徳二年 1391年、粘板岩、高さ 57Cm 幅 28Cm 厚さ 5Cm)

石塔婆は最前列に立つ。身部は、上方を損傷して種子は不明、下方に下記刻銘がある。

刻銘は、向って右から「右志口口禅門一周忌」、「明徳二年(1391)正月廿三日」と刻む。

一周忌の本尊は勢至菩薩なので、種子「サク」が刻まれていた可能性が高い。

刻銘:「明徳二年(1391)正月」

高木(たかぎ)観音堂阿弥陀種子石塔婆

 高木観音堂(たかぎかんのんどう)石塔婆群 (宮城県石巻市高木字竹下)

   三年忌供養に造立されたと思われる石塔婆で、室町時代前期 応永三年(1396)の紀年銘がある。

高木観音堂 阿弥陀種子石塔婆(室町時代前期 応永三年 1396年、粘板岩、高さ 45Cm 幅 22Cm 厚さ 5Cm)

石塔婆は最前列に立つ。上方は阿弥陀如来の種子「キリーク」、下方は造立趣旨と紀年銘を刻む。

身部 上方

阿弥陀如来の種子「キリーク」を刻む。

石塔婆、下部の刻銘

刻銘は、中央に「應永三年(1396)四月日」

向って右に「右志者為妙善禅尼第・・」、左に「追善乃至法界平等利益故・」と刻む。

※ 高木観音堂(たかぎかんのんどう)石塔婆群 一覧

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刻銘:「應永三年(1396)四月」

 板碑(いたび)

*JR石巻駅から北東方向へ 約7.7Km。石巻駅前のレンタカーの店で、自転車を借りるのが便利。

(撮影:平成26年4月13日)