高木観音堂(たかぎかんのんどう)石塔婆群 (宮城県石巻市高木字竹下)
四十九日忌の為、造立された石塔婆で、その本尊薬師如来の種子「バイ」、さらに薬師経の偈(げ)を刻んでいる。
石塔婆は前から二列目に立つ。身部は、上方に薬師如来の種子「バイ」、下方は造立趣旨と紀年銘を刻む。
身部 上方
四十九日忌の本尊 薬師如来の種子「バイ」を刻む。
薬師経 第七願 の偈(げ)
偈(げ):「我之名号(がしみょうごう)、一経其耳(いっきょうごに)、衆病悉除(しゅびょうしつじょ)、心身安楽(しんじんあんらく)」
[ わが薬師如来の名号が、一たびその耳に経たなれば、諸病ことごとく除かれ、心身安楽なり。 ]
石塔婆、下部の刻銘
刻銘は、中央に「應永五年(1398)三月十一日、施主、 敬白」、
向って右に「右志者為聖見禅尼四十九日之」、左に「追善乃至法界衆生平等利益故也」と刻む。
室町時代前期 応永五年(1398)三月十一日、聖見禅尼の四十九日(七七日)忌にあたり本石塔婆を造立した。
尚、聖見禅尼 一百ケ日忌の追善碑も本石塔婆群にある。
刻銘:「應永五年(1398)三月」
高木観音堂(たかぎかんのんどう)石塔婆群 (宮城県石巻市高木字竹下)
前記 聖見禅尼の百ケ日忌追善供養のため造立された石塔婆で、室町時代前期 応永五年(1398)の紀年銘を刻んでいる。
石塔婆は前から四列目に立つ。身部は、上方に観音種子「サ」、下方は願文と紀年銘を刻んでいる。
身部 上方
百ケ日忌の本尊 観音菩薩の種子「サ」を薬研彫する。
石塔婆、下部の刻銘
刻銘は、中央に「右志者為 應永五年(1398)閏四月二日、施主、敬白」、
向って右に「聖見禅尼一百ケ日佛果菩提」、左に「乃至法界衆生平等利益故也」と刻む。
聖見禅尼 百ケ日忌の応永五年(1398)閏四月二日に本石塔婆が造立された。
尚、聖見禅尼 四十九日忌の追善碑も本石塔婆群にある。
刻銘:「應永五年(1398)閏四月二日、施主、敬白」 | 刻銘:「聖見禅尼一百ケ日」 |
高木観音堂(たかぎかんのんどう)石塔婆群 (宮城県石巻市高木字竹下)
金剛界大日種子を主尊とする石塔婆で、室町時代前期 応永三年(1396)の紀年銘がある。
高木観音堂 金剛界大日種子石塔婆(室町時代前期 応永三年 1396年、粘板岩、高さ 91Cm 幅 39Cm 厚さ 10Cm)
石塔婆は前から三列目に立つ。上方は金剛界大日種子「バン」、下方は出典不明の偈と造立趣旨・紀年銘を刻む。
身部 上方
金剛界大日如来の種子「バン」を刻む。
出典不明の偈(げ)(紀年銘の左右各一行)
偈(げ):「当位即妙(とういそくみょう)、不改本佛(ふかいほんぶつ)」
[ 当位即妙にして、改めまじき本門の仏(如来)。 ]
当位即妙:その時その時に応じて適切の用をなす。 本仏:無数の仏のなかで、根本となる仏(如来)
石塔婆、下部の刻銘
亡き聖霊の極楽浄土を願って造立された。
石塔婆の刻銘 | 刻銘:「應永三年(1396)十月」 |
刻銘は、中央に「應永三年(1396)十月廿九日、施主、敬白」、
上方、左右に「当位即妙、不改本佛」、下方 左右に「右志者過去聖霊、往生極楽故也」と刻む。
*JR石巻駅から北東方向へ 約7.7Km。石巻駅前のレンタカーの店で、自転車を借りるのが便利。
(撮影:平成26年4月13日)