長谷寺(ちょうこくじ)地蔵種子石塔婆

 長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 (宮城県石巻市真野字萱原 2)

   五七日忌の本尊 地蔵種子と延命地蔵経に出る偈(げ)を刻む石塔婆で、室町時代前期 応永十八年(1411)の紀年銘がある。

長谷寺 地蔵種子石塔婆(室町時代前期 応永十八年 1411年、粘板岩、高さ 87Cm 幅 27Cm 厚さ 8Cm)

石塔婆群、前から二列目に立つ。身部は上方に地蔵種子、その下に「延命地蔵経」に出る偈、下方は造立趣旨と紀年銘を刻む。

身部 上方

五七日忌の本尊 地蔵菩薩の種子「カ」を薬研彫する。

延命地蔵経に出る偈(げ)

偈(げ):「毎日晨朝入諸定(まいにちじんじょうにゅうしょじょう)、入諸地獄令離苦(にゅうしょじごくりょうりく)、           

                無仏世界度衆生(むぶつせかいどしゅじょう)、今世後世能引導(こんぜごせのういんどう)

(地蔵菩薩は)毎日早朝に諸々の定(じょう)に入り、諸々の地獄に入って衆生の苦を離れさしめ、              

                            仏なき世界(釈迦涅槃から弥勒下生まで)に衆生を済度し、現世も来世もよく引導したもう。 ]

石塔婆、下方の刻銘

刻銘は、中央に「右志為者 應永十八年(1411)六月十二日、施主、敬白

両側に「妙秀禅尼五七日忌辰」、「乃至法界平等利益故也」と刻む。

妙秀禅尼 五七日(三十五日)忌の追善供養として 応永十八年(1411)に造立された。

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刻銘:應永十八年(1411)六月」 刻銘:妙秀禅尼五七日忌」

長谷寺(ちょうこくじ)観音種子石塔婆

 長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 (宮城県石巻市真野字萱原 2)

   観音種子「サ」を主尊とする石塔婆で、室町時代前期 応永二十年(1413)の紀年銘がある。

長谷寺 観音種子石塔婆(室町時代前期 応永二十年 1413年、粘板岩、高さ 110Cm 幅 27Cm 厚さ 14Cm)

石塔婆群、最前列に立つ。身部は上方に観音菩薩の種子「サ」、下方に紀年銘のみを刻む。

身部 上方

百ヶ日忌の本尊 観音菩薩の種子「サ」を薬研彫する。

刻銘:「應永廿年(1413)、癸巳、霜月(十一月)廿一日」

長谷寺(ちょうこくじ)観音種子石塔婆

 長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 (宮城県石巻市真野字萱原 2)

   百ケ日忌の追善碑で、その本尊 観音種子「サ」及び請観音経に出る偈(げ)を刻む。室町時代前期 応永二十二年(1415)の在銘。

長谷寺 観音種子石塔婆 (室町時代前期 応永二十二年 1415年、粘板岩、高さ 85Cm 幅 27Cm 厚さ 10Cm)

石塔婆群、最前列に立つ。身部は、上方に観音種子、その下に請観音経に出る偈(げ)、下方に造立趣旨と紀年銘を刻む。

身部 上方

百ヶ日忌の本尊 観音菩薩の種子「サ」を薬研彫する。

請観音経に出る偈(げ)

偈(げ):「衆生若聞名(しゅじょうにゃくもんみょう)、離苦得解脱(りくとくげだつ)、亦遊戯地獄(またゆうげじごく)、大悲代受苦(だいひだいじゅく)

[ 衆生もし観音の名を聞けば、苦を離れて解脱するを得ん、または地獄に周り、その大悲心で衆生に代わって苦しみを受けん。]

三句目の初め「亦(また)」が「或(わく)」の場合もある。

石塔婆、下方の刻銘 刻銘:應永廿二年(1415)五月」

下方の刻銘は、中央に「右志者為 應永廿二年(1415)五月廿・・、孝子、敬白」

両側に「口円禅門百ケ日忌辰也」、「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・也」と刻む。

※ 長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 一覧

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長谷寺(ちょうこくじ)参道脇石塔婆群

 板碑(いたび)

*JR石巻線 陸前稲井駅から北東方向へ 約5.0Km。当地域は、地元住民を対象にした乗合タクシーがあるだけで、バスの便はない。

(撮影:平成26年4月13日)