長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 (宮城県石巻市真野字萱原 2)
金剛界大日種子を主尊とする石塔婆で、南北朝時代前期 貞和五年(1349)の紀年銘がある。
長谷寺 金剛界大日種子石塔婆(南北朝時代前期 貞和五年 1349年、粘板岩、高さ 90Cm 幅 32Cm 厚さ 12Cm) |
石塔婆群、前から二列目に立つ。身部は、上方に金剛界大日種子、下方は中央に紀年銘、その左右に偈(げ)を刻む。
下方の刻銘は、中央に「貞和五年(1349)、己丑、十一月廿九日、敬白」、
両側に「諸仏念衆生 衆生不念仏」、「父母常念子 子不念父母」と刻む。
身部 上方
金剛界大日如来の種子「バン」を刻む。
覚鑁(かくばん)著、「孝養集」に引用にされている偈(げ)
中央の紀年銘を挟んで左右に刻まれている。
偈(げ):「諸仏念衆生(しょぶつねんしゅじょう)、衆生不念仏(しゅじょうふねんぶつ)」、「父母常念子(ぶもじょうねんし)、子不念父母(しふねんぶつぶも)」
[ もろもろの仏は衆生を念ずるが、衆生は仏を念じない。父母は常に子を念ずるが、子は父母を念じない。]
刻銘:「貞和五年(1349)」
長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 (宮城県石巻市真野字萱原 2)
金・胎 両部大日種子「キャン(ケン)」を主尊とする石塔婆で、南北朝時代前期 貞和五年(1349)の紀年銘がある。
長谷寺 大日種子石塔婆 (南北朝時代前期 貞和五年 1349年、粘板岩、高さ 110Cm 幅 30Cm 厚さ 12Cm) |
仁王門を入り、観音堂への小石段を登った所に立つ。身部は、上方に金・胎 両部大日種子「キャン(ケン)」、下方は造立趣旨と紀年銘を刻む。
身部 上方
金・胎両部大日如来の種子「キャン(ケン)」を刻む。
「石巻の歴史第八巻」は、本種子を「キャ」(金剛界大日)と「ア」(胎蔵界大日)の合成で金・胎 両部大日を表す「キャン」としている。
「種子抄」(望月友善 著)では、本種子を「ケン」と読み、「大日如来(仏教辞典による)」としている。
石塔婆、下方の刻銘 | 刻銘:「貞和五年(1349)、己丑、十一月」 |
刻銘は、中央に「貞和五年(1349)、己丑、十一月十六日、敬白」、
両側に「右為意趣者過去幽霊出離生」、「死往生極楽口口口衆益故也」と刻む。
長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 (宮城県石巻市真野字萱原 2)
頭部が割れ、向って左に一緒に立つ。石塔婆は、勢至種子を主尊とする石塔婆で、南北朝時代中期 貞治二年(1363)の紀年銘がある。
長谷寺 勢至種子石塔婆 下部 (南北朝時代中期 貞治二年 1363年、粘板岩、下:高さ 110Cm 幅 26Cm 厚さ 10Cm) |
石塔婆は頭部と下部に分れ、前から二列目に立つ。身部は、上方に勢至種子、種子の下に浄土教古徳之偈、下方に造立趣旨と紀年銘を刻む。
長谷寺 勢至種子石塔婆 上部 (上:高さ 24Cm 幅 20Cm 厚さ 4Cm)
下側に勢至種子「サク」の一部が残る。
本石塔婆は、百日忌に造立されたもので、その本尊は観音菩薩だが、ここでは勢至菩薩の種子「サク」が刻まれている。
刻銘 部
刻銘は、上方に二行「十方三世仏 一切諸菩薩」、「八万諸聖教 皆是阿弥陀」の浄土教古徳之偈、
その下中央に「貞治二年(1363)七月廿一日、孝子、敬白」、両側に「右志者為、一百ヶ日故也」と刻む。
十方三世佛 → | 一切諸菩薩 → | 八萬諸聖教 → | 皆是阿弥陀 |
浄土教古徳之偈
偈(げ):「十方三世仏(じっぽうさんぜぶつ)、一切諸菩薩(いっさいしょぼさつ)、八萬諸聖教(はちまんしょしょうぎょう)、皆是阿弥陀(かいぜあみだ)」
[ 十方三世の御仏、一切の諸菩薩、八万の諸聖教は、みなこれ阿弥陀 也 ]
造立 趣旨
刻銘:「貞治二年(1363)七月」(中央)、「右志者為、一百ヶ日故也」(両側)。
長谷寺(ちょうこくじ)六地蔵碑
*JR石巻線 陸前稲井駅から北東方向へ 約5.0Km。当地域は、地元住民を対象にした乗合タクシーがあるだけで、バスの便はない。
(撮影:平成26年4月13日)