長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 (宮城県石巻市真野字萱原 2)
地位(五位以上)のある婦人の逆修碑で、南北朝時代中期 応安二年(1369)の造立になる。
長谷寺 観音種子石塔婆(南北朝時代中期 応安二年 1369年、粘板岩、高さ 60Cm 幅 24Cm 厚さ 7Cm) |
石塔婆群、最前列に立つ。頭部は平行、身部は上方に観音種子、下方は造立趣旨と紀年銘を刻む。
下方の刻銘は、中央に「應安二年(1369)、己酉、二月廿八日、施主、敬白」、
両側に「右意趣者為命婦逆修善根」、「乃至法界平等利益故也」と刻む。
身部 上方
観音菩薩の種子「サ」を刻む。
刻銘:「應安二年(1369)、己酉、二月」
長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 (宮城県石巻市真野字萱原 2)
亡き母の三十三回忌供養の石塔婆で、南北朝時代中期 応安二年(1369)の紀年銘がある。
長谷寺 阿弥陀種子石塔婆(南北朝時代中期 応安二年 1369年、粘板岩、高さ 56Cm 幅 28Cm 厚さ 7Cm) |
石塔婆群、最前列に立つ。頭部は平行、身部は上方に阿弥陀種子、下方は造立趣旨と紀年銘を刻む。
身部 上方
阿弥陀如来の種子「キリーク」を刻む。
石塔婆、下方の刻銘
刻銘は、中央に「應安二年(1369)二月廿八日、孝子、敬白」、
両側に「右志者為先妣悲儀三十三年」、「成仏得道乃至法利益故也」と刻む。
刻銘:「應安二年(1369)二月」
長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 (宮城県石巻市真野字萱原 2)
勢至種子を主尊とする一周忌供養の石塔婆で、南北朝時代後期 永和三年(1377)の紀年銘がある。
長谷寺 勢至種子石塔婆 (南北朝時代後期 永和三年 1377年、粘板岩、高さ 100Cm 幅 25Cm 厚さ 10Cm) |
石塔婆群、最前列に立つ。身部は、上方に勢至種子、下方に造立趣旨と紀年銘を刻む。
下方の刻銘は、中央に「右意趣者 永和三季(1377)、丁巳、三月九、孝子、敬白」、
両側に「過去道應禅門相当一周忌」、「頓証菩提乃至法・・・・・・・・」と刻む。
身部 上方
一周忌供養の本尊 勢至菩薩の種子「サク」を刻む。
長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 (宮城県石巻市真野字萱原 2)
薬師種子を主尊とする石塔婆で、南北朝時代後期 至徳元年(1384)の紀年銘がある。
長谷寺 薬師種子石塔婆 (南北朝時代後期 至徳元年 1384年、粘板岩、高さ 84Cm 幅 30Cm 厚さ 3Cm) |
石塔婆群、最前列に立つ。。身部は、上方に薬師種子、下方に造立趣旨と紀年銘を刻む。
下方の刻銘は、中央に「至徳元年(1384)十一月日」、両側に「右志者為・・・・・・」、「忌辰乃至・・・・・・・」と刻む。
薬師如来は七七日(四十九日)忌の本尊。
長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 (宮城県石巻市真野字萱原 2)
勢至種子を主尊とする一年忌の石塔婆で、南北朝時代後期 康応元年(1389)の紀年銘がある。
長谷寺 勢至種子石塔婆 (南北朝時代後期 康応元年 1389年、粘板岩、高さ 76Cm 幅 27Cm 厚さ 5Cm) |
石塔婆群の前から二列目に立つ。身部は、上方に一年忌の本尊 勢至種子「サク」、下方に造立趣旨と紀年銘を刻む。
下方の刻銘は、中央に「康応元年(1389)、己巳、九月廿日」、
両側に「右志者為円阿弥一年忌」、「乃至法界平等利益」と刻む。
刻銘:「康応元年(1389)、己巳、九月」
*JR石巻線 陸前稲井駅から北東方向へ 約5.0Km。当地域は、地元住民を対象にした乗合タクシーがあるだけで、バスの便はない。
(撮影:平成26年4月13日)