長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 (宮城県石巻市真野字萱原 2)
五七日忌の追善碑で、その本尊 地蔵菩薩の種子及び延命地蔵経に出る偈を刻んでいる。室町時代前期 応永八年(1401)の造立。
長谷寺 地蔵種子石塔婆(室町時代前期 応永八年 1401年、粘板岩、高さ 120Cm 幅 25Cm 厚さ 15Cm) |
石塔婆群、最前列に立つ。頭部は一部欠ける。身部は上方に地蔵種子、その下に「延命地蔵経」に出る偈、下方は造立趣旨と紀年銘を刻む。
身部 上方
五七日忌の本尊 地蔵菩薩の種子「カ」を刻む。
延命地蔵経に出る偈(げ)
偈(げ):「毎日晨朝入諸定(まいにちじんじょうにゅうしょじょう)、入諸地獄令離苦(にゅうしょじごくりょうりく)、
無仏世界度衆生(むぶつせかいどしゅじょう)、今世後世能引導(こんぜごせのういんどう)」
[ (地蔵菩薩は)毎日早朝に諸々の定(じょう)に入り、諸々の地獄に入って衆生の苦を離れさしめ、
仏なき世界(釈迦涅槃から弥勒下生まで)に衆生を済度し、現世も来世もよく引導したもう。 ]
石塔婆、下方の刻銘
下方の刻銘は、中央に「右意趣者為 應永八年(1401)、辛巳、潤正月十一日、孝子、敬白」、
両側に「妙戒禅尼五七日辰」、「法界平等利益処也」と刻む。
妙戒禅尼 五七日(三十五日)忌の追善供養として 応永八年(1401)に造立された。
刻銘:「應永八年(1401)、辛巳、」 | 刻銘:「妙戒禅尼五七日」 |
長谷寺(ちょうこくじ)薬師種子石塔婆 (宮城県石巻市真野字萱原 2)
全体に摩耗が進んでる。薬師種子を主尊とする石塔婆で、南北朝時代後期 明徳元年(1390)の紀年銘がある。
長谷寺 薬師種子石塔婆(南北朝時代後期 明徳元年 1390年、粘板岩、高さ 65Cm 幅 30Cm 厚さ 7Cm) |
石塔婆群、最前列に立つ。身部は上方に薬師如来の種子「バイ」、下方に紀年銘のみを刻む。
刻銘:「明徳元年(1390)、庚午、十月日」
長谷寺(ちょうこくじ)応永三年銘石塔婆 (宮城県石巻市真野字萱原 2)
年銘が不明だが、干支から室町時代前期 応永三年(1396)と判断している。
長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆 (室町時代前期 応永三年 1396年、粘板岩、高さ 75Cm 幅 24Cm 厚さ 5Cm) |
石塔婆群、最前列に立つ。石塔婆は、上方が縦に割れ種子は不明、下方は紀年銘のみが刻まれている。
刻銘:「応永口年(1396)、丙子、口月十七日、孝口、敬白」
長谷寺(ちょうこくじ)石塔婆群 (宮城県石巻市真野字萱原 2)
金剛界大日種子「バーンク」を主尊とする石塔婆で、室町時代前期 応永八年(1401)の紀年銘がある。
長谷寺 金剛界大日種子石塔婆 (室町時代前期 応永八年 1401年、粘板岩、高さ 110Cm 幅 27Cm 厚さ 14Cm) |
観音堂への最初の石段を登りきった左手に立つ。身部は、上方に金剛界大日種子、下方に造立趣旨と紀年銘を刻む。
下方の刻銘は、中央に「右志者為 應永八年(1401)、口巳、四月廿七日、孝子、敬白」、
両側に「相当恵・・・・・・・・・」、「頓証菩提乃至法界平等利益」と刻む。
-
身部 上方
金剛界大日如来の種子「バーンク」(五点具足)を刻む。
長谷寺(ちょうこくじ)参道脇石塔婆群 (一列目)
写真中央が、応永八年銘(1401)地蔵種子石塔婆で、その向って左側が応永三年(1396)銘石塔婆。
*JR石巻線 陸前稲井駅から北東方向へ 約5.0Km。当地域は、地元住民を対象にした乗合タクシーがあるだけで、バスの便はない。
(撮影:平成26年4月13日)