本源寺(ほんげんじ)延享四年銘 題目石塔婆

 本源寺(ほんげんじ)(宮城県登米市中田町宝江新井田字上待井88)

   法華経 如来神力品に出る偈(げ)を刻む題目石塔婆で、江戸時代中期 延享四年(1747)の紀年銘がある。

    本源寺(ほんげんじ) 延享四年銘 題目石塔婆 (江戸時代中期 延享四年 1747年)    

石塔婆群、後列の向って右端。身部は、中央上方に七字題目、その両脇と下方に法華経如来神力品に出る偈・紀年銘 他を刻む。

石塔婆 中央

題目の左右、外側に「延享四年(1747)、口口、年」、「四月八日」の紀年銘がある。

「是人於佛道」   決定无有疑」

法華経如来神力品に出る偈(げ)

偈(げ):「是人於仏道(ぜにんおぶつどう)決定無有疑(けつじょうむうぎ)

[ この人仏道(成仏)において決定して、疑いあることなし ]

本源寺(ほんげんじ)寛延三年銘 題目石塔婆

 本源寺(ほんげんじ)(宮城県登米市中田町宝江新井田字上待井88)

   上方を欠損する江戸時代中期 寛延三年(1750)の在銘石塔婆。上方に題目と偈(げ)が刻まれていたと思われる。

    本源寺(ほんげんじ)寛延三年銘 題目板碑 (江戸時代中期 寛延三年 1750年、粘板岩)       
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後列、向って右から二基目に立つ。上方を斜めに欠失する。 身部、上方

身部中央に「日蓮大聖人」、向って左側に「當寺開山 日目上人」、左側に「口口興上人」の刻銘がある。

石塔婆 下部

上方の左右に「寛延三、庚丑、(1747)」、「十月十三日」の紀年銘、下方に施主として上行寺や本源寺の名を刻んでいる。

本源寺(ほんげんじ)天明二年銘 題目石塔婆

 本源寺(ほんげんじ)(宮城県登米市中田町宝江新井田字上待井88)

   江戸時代 後期 天明二年(1782)の紀年銘がある題目石塔婆。

    本源寺(ほんげんじ)天明二年銘 題目石塔婆 (江戸時代後期 天明二年 1782年、粘板岩)      
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石塔婆、上方 石塔婆、下方

 踊り念仏の碑(阿弥陀種子石塔婆)                       石仏と石塔-目次!

本源寺(ほんげんじ)石塔婆群

 板碑(いたび)

*JR気仙沼線 柳津(やないず)駅前から登米市民バス 津山線に乗車、「新井田バス停」下車、南方向へ 約4分。

(撮影:平成26年 4月11日)