藤崎八幡宮 金剛界大日種子石塔婆

 藤崎八幡宮(ふじさきはちまんぐう)(青森県南津軽郡藤崎町藤崎四本松105)

  藤崎八幡宮は藤崎城跡内に残る神社で、石塔婆は南北朝時代前期 暦応三年(1340)の紀年銘がある。

金剛界大日種子石塔婆(南北朝時代前期 暦応三年 1340年、安山岩、高さ 82.5Cm 幅 47Cm 幅 13Cm)

拝殿に向って左手、奥に立つ。石面は、上方に金剛界大日種子「バン」、下方に法華経方便品に出る偈(げ)と紀年銘を刻む。

藤崎八幡宮は、藤崎城内の鎮守として祀られたもので、ここが藤崎城跡の東辺にあたる。前九年の役(1052~62)で戦死した安倍貞任の

「高星丸(たかあきまる)」は、藤崎に逃れ成人して安倍貞義と名乗る。その嫡男 堯恒が寛治六年(1092)に藤崎城を築城し、居城とした。.

以後、子孫は安藤氏(安東氏)を名乗り、鎌倉時代には津軽地方の豪族として幕府から「蝦夷管領」に任じられている。口口口口口口口口口

石塔婆 上部

蓮座上二重輪郭内に金剛界大日如来の種子「バン」を刻む。

石塔婆 下部

五行の刻銘があり、中央に「厂(暦)應三(1340)六廾、敬白、左右に各二行 法華経 方便品に出る偈(げ)を刻む。

偈(げ):「十方佛土中(じっぽうぶつどちゅう)唯有一乗法(ゆいういちじょうほう)、無二亦無三(むにやくむさん) 除佛方便説(じょぶつほうべんせつ)

[ 十方の仏土の中には、ただ一乗の法のみあり、二もなく三もなし。仏の方便の説を除く ]

刻銘:「厂(暦)應三(1340)六廾、敬白 下方の刻銘は、彫りが薄く、摩耗もあり、わかりにくい。

「陸奥古碑集」(中村良之進 著)によれば、本石塔婆は「城跡内村社八幡宮境内、稱名寺前庭より発掘」とある。

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八幡宮(はちまんぐう) 拝殿

 板碑(いたび)

*JR五能線 「藤崎駅」下車、西方向へ 約700m。または、弘前駅前から弘南バス弘前~五所川原線(イオン藤崎店経由)に乗車、「藤崎青銀前バス停」下車、すぐ。「弘前駅観光案内所」で、レンタサイクルを利用するのも便利。

(撮影:平成25年10月13日)