小友館(おともだて)跡 金剛界大日種子板碑

 小友(おとも)農村公園(青森県弘前市小友字宇田野199-1)

  この地に館を構えていた三枝又五郎の五七日忌(三十五日)追善供養碑で、鎌倉時代後期 正中四年(1327)の紀年銘がある。

小友館(おともだて)跡 金剛界大日種子板碑(鎌倉時代後期 正中四年 1327年、安山岩、高さ 98.5Cm 幅 53Cm)

もと小友小学校の校門横に立っていた板碑で、現在は隣接する小友農村公園に移されている。頭部は欠損している様に見えるが不明。

小友館(おともだて)遺跡は、古代から人々が住みついていた場所で、縄文時代前期の住居跡や平安時代の鍛冶遺構、鎌倉時代の陶磁器や掘跡が発見されている。

板碑は、碑面中央に金剛界大日種子「バーンク」(五点具足)、下方に法華経 従地涌出品に出る偈(げ)、願文・紀年銘を刻んでいる

板碑 中央

金剛界大日如来の種子「バーンク」(五点具足)を大きく刻む。

「バーンク」は、発心(命点)・修行・菩提(空点)・涅槃・方便究竟の五点を備えた形。

石塔婆 下部

向って右側四行に法華経 従地涌出品に出る偈(げ)「始見我身、聞我所説、即皆信受、入如来慧」、次の三行に

「奉口開口三枝又五郎殿、佛道五七日忌口立石塔、他 正中四(1327)七月二日 孝子敬白と刻まれている。

津軽を治めていた安藤氏(安東氏)と関係があり、この地に館を構えていた三枝又五郎

五七日忌(三十五日)追善供養碑で、鎌倉時代後期 正中四年(1327)七月二日にこの石塔婆が造立された。

尚、正中年は正中三年(1326)四月二十五日迄で、正中四年(1327)は嘉暦二年になる。改元後、一年以上たっており、中央との不通が知れる。

刻銘:「正中四(1327)七月」 向って左側三行(造立趣旨、紀年銘)の刻銘

向って左側三行の刻銘:「奉口開口三枝又五郎殿、佛道五七日忌口立石塔、他 正中四(1327)七月二日 孝子敬白」

法華経 従地涌出品に出る偈(げ)

偈(げ):「始見我身(しけんがしん)、聞我所説(もんがしょせつ)、即皆信受(そくかいしんじゅ)、入如来慧(にゅうにょらいえ)

[ 始めわが身を見、わが所説を聞きて、即ち皆、信受して慧(え)に入れり。]

(仏を見るだけで、また教えを聴いただけで、仏の智慧を理解し、それに没頭するのである。)

小友館(おともだて)跡 一尊種子自然石塔婆

 小友(おとも)農村公園(青森県弘前市小友字宇田野199-1)

  上方蓮座上月輪内に一尊種子、下方の罫線内に願文を刻む石塔婆で、津軽西海岸、南北朝期の石塔婆によく似ている

小友館跡(おともだてあと)一尊種子自然石塔婆 (年紀不明、安山岩、高さ 65Cm 幅 64Cm 厚さ 24Cm)

自然石の表面を平らにし、上方蓮座上二重月輪内に一尊種子(摩耗の為、尊名は不明)を刻み、下方は四行の罫線内に造立趣旨を刻む。

石塔婆 下部

刻銘:「慈父恩高如山王、悲母恩如大海、我君現世於一切、口悲母恩不能報」

(父の恩は山王の様に高く、母の恩は大海の如し、されど親愛なるあなたは現世に於いて一切、母の恩に報いることなく。)

覆屋内の板碑 二基

小友(おとも)農村公園内に板碑空間として安置されている。

 二千刈(にせんがり)金剛界大日種子自然石塔婆.                石仏と石塔-目次!

小友(おとも)農村公園の案内板

 板碑(いたび)

*JR 弘前駅前から弘南バス 弘前~十腰内・板柳・笹館線に乗車、「小友バス停」下車、北東方向へ約300m。

(撮影:平成25年10月13日)