来迎寺(らいごうじ)阿弥陀種子板碑

 来迎寺(らいごうじ)(埼玉県所沢市山口1392)

   武蔵七党のひとつ丹党の丹治泰家が、鎌倉時代中期 建長八年(1256)に造立した板碑で、所沢市内では最古。

来迎寺 阿弥陀種子板碑(市指定文化財、鎌倉時代中期 建長八年 1256年、緑泥片岩、高さ 150Cm 下幅 58Cm)

本堂手前、向って左側の壁際、覆屋内に立つ。身部は、上方に阿弥陀如来の種子を蓮華座上に、下方は紀年銘・偈及び銘文を刻む。

板碑 頭部

頭部は低い 山形、下に二段の切込。身部の輪郭はない。

身部上方、蓮華座上に阿弥陀如来の種子「キリーク」 身部、下方の刻銘

刻銘は、向って右端から三行「無量寿経」に出る偈(げ)、二行で「観無量寿経」に出る偈(げ)、

次に「建長八年(1256)、丙辰二月廿三日」、左端に「左衛門尉丹治泰家、敬白」と刻む。

武蔵七党のひとつ、丹党の加治左衛門尉丹治泰家が鎌倉時代中期 建長八年(1256)二月二十三日に造立した。

身部下方、(無量寿経に出る偈と観無量寿経に出る偈が刻まれている)

無量寿経に出る偈(げ):「設我得佛(せつがとくぶつ)、十方衆生(じっぽうしゅじょう)、至心信楽(ししんしんぎょう)、

欲生我国(よくしょうがこく)、乃至十念(ないしじゅうねん)、若不生者(にゃくふしょうじゃ)、不取正覚(ふしゅしょうがく)

[ たとえわれ仏となるをえんとき、十方の衆生、至心に信楽して、わが国に生まれんと欲し、乃至十念せん。もしわが国に生まれることができなかったら、我は仏にならない。]

観無量寿経に出る偈(げ):「光明遍照(こうみょうへんじょう)、十方世界(じっぽうせかい)、念仏衆生(ねんぶつしゅじょう)、摂取不捨(せっしゅふしゃ)

[ 光明はあまねく十方世界を照らし、念仏の衆生をば摂取して捨てたまわず。]

刻銘:「建長八年(1256)、丙辰 刻銘の部分は、紀年銘が読める程度で、摩耗が激しい。

来迎寺(らいごうじ)本堂

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来迎寺(らいごうじ)(曹洞宗系単立寺院)

鎌倉時代初期の創建とされている。

 板碑(いたび)

*西武 狭山線 、「下山口駅」下車、北西方向へ徒歩 約3分。

(撮影:平成25年3月6日)