地蔵堂(じぞうどう)金剛界大日種子石塔婆

 地蔵堂(じぞうどう) (宮城県石巻市大瓜字瀬戸山)

   金剛界大日種子「バン」を主尊とする石塔婆で、珍しい偈(げ)を刻む。室町時代中期 寛正年間(1460~66)の在銘。

地蔵堂 金剛界大日種子石塔婆 (室町時代中期 寛正年間 1460~66年、粘板岩、高さ 87Cm 幅 26Cm 厚さ 13Cm) 

石塔婆は、中央に金剛界大日種子「バン」、その下に出典不明の珍しい偈(げ)、下方は造立趣旨と紀年銘を刻む。

身部 上方

金剛界大日如来の種子「バン」を薬研彫する。

偈(げ)(出典不明)

偈(げ):「千枝万霊(せんしばんれい)、一根不異、三世同證、毘廬那佛

[ 千枝も万霊も一根にして異ならず、三世(前世・現世・来世)は同じであることを明らかにする。毘廬舎那仏(大日如来)よ。 ]

※ 「石仏偈頌辞典」(加藤政久 編著)では、「石巻市文化財だより」を出所としてこの偈が掲載されている。但し、一句目を

「千枝万葉」とし、石巻市発行「石巻の歴史第八巻」掲載の「千枝万霊」と異なる。ここでは、上記写真から「千枝万霊」とした。

※ 追記、「続々偈頌辞典」(加藤政久 著)で、再度掲載されているので、下記に紹介します。

偈(げ):「千枝万、一根不異、三世証、毘廬那佛

(たくさんある)千枝万葉(のおしえ)も、一根にして異ならず、三世、間(かわるがわる)に証(あか)したもう、毘廬(舎)那(びるしゃな)仏よ。 ]

石塔婆 下部、刻銘

刻銘は中央に「右志者 寛正、口口、口天(1460~66)十・・・」

向って右側に「相当口口」、左側に「仍乃至法界平・・・・・」と刻む。

地蔵堂(じぞうどう)金剛界大日種子石塔婆

 寺崎(てらさき)石塔婆群 (宮城県石巻市大瓜字寺崎)

   「花山乗公庵主」七年忌のため造立された碑だが、大瓜地区に同じ名を刻んだ宝暦二年(1450)銘碑がある所から、室町時代中期初の造立と推定される。

 地蔵堂 金剛界大日種子石塔婆 (推定:室町時代中期、粘板岩、高さ 135Cm 幅 13Cm 厚さ 12Cm) 
-
石塔婆は、上方に金剛界大日如来の種子「バン」、その下に源信作の偈(げ)、下方は「花山乗公庵主七年忌」の造立趣旨を刻む。

尚、同じ大瓜地区の龍洞院に光明真言を刻んだ「花山乗公庵主」宝徳二年(1450)銘石塔婆があり、本碑が室町時代中期初めの造立と推定できる。

身部 上方

金剛界大日如来の種子「バン」を刻む。十三仏が忌日供養として定型化後は、七年忌の本尊は阿閦如来(種子「ウーン」)。

偈(げ)

偈(げ):「一佛成道(いちぶつじょうどう)、観見法界かんけんほうかい、草木国土(そうもくこくど)、悉皆成仏(しつかいじょうぶつ)

[ 一仏成道して、法界(世の中)を観見せば、草木も国土も、ことごとく皆成仏せん。 ]

※ 「石仏偈頌辞典」(加藤政久 編著)によると、源信が中陰経の意を取ってつくった偈(げ)という。

石塔婆 下部、刻銘

刻銘は中央に「右志者為 ・・・・・・・」、

向って右側に「花山乗公庵主七年忌」、左側に「乃至法界平等利益」と刻む。

地蔵堂(じぞうどう)金剛界大日種子石塔婆

 寺崎(てらさき)石塔婆群 (宮城県石巻市大瓜字寺崎)

   同じ地蔵堂に種子「バン」を刻んだ酷似する鎌倉時代後期 嘉暦二年(1327)銘の石塔婆がある所からその頃の作品と思われる。

 地蔵堂 金剛界大日種子石塔婆 (推定:鎌倉時代後期、粘板岩、高さ 120Cm 幅 35Cm 厚さ 8Cm) 

石塔婆は、下方の刻銘部を決失する。上方の種子部は残り金剛界大日種子「バン」を刻む。

 浄蓮寺(じょうれんじ)不動種子石塔婆                     石仏と石塔-目次!

地蔵堂境内の石塔婆群

 板碑(いたび)

*JR石巻駅から北東方向へ 約5Km。石巻駅前のレンタカーの店で、自転車を借りるのが便利。住所でいえば、石巻市大瓜字瀬戸山53くらいの所。当地域は、地元住民を対象にした乗合タクシーがあるだけで、バスの便はない。

(撮影:平成26年4月12日)