多福院 山門脇胎蔵界大日種子石塔婆

 多福院(たふくいん)山門脇 本堂側 石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)

  小型だが格調高い石塔婆で、五点具足の胎蔵界大日種子を刻む。室町時代前期 永享十一年(1439)の在銘。

多福院 胎蔵界大日種子石塔婆(市指定文化財、室町時代前期 永享十一年 1439年、粘板岩、高さ 53Cm 幅 37Cm)

碑面は、上方に胎蔵界大日種子「アーンク」、その下に源信が往生要集に記した偈(げ)、下方に願文と紀年銘を刻む。

碑面上方、主尊種子「アーンク」(五点具足)

胎蔵界大日如来の種子「アーンク」を薬研彫する。

「アーンク」は、発心(命点)・修行・菩提(空点)・涅槃・方便究竟の五点を備える。

                      「往生要集」に出る偈(げ) 源信が「勝天王般若波羅密経」の部分からつくった偈。

偈(げ):「十方世界(じっぽうせかい)、無一有情、如来大悲、所不能照」

[ 十方世界には、一の有情(うじょう)に対して、如来の大悲(有情に対するいつくしみ)を、能(よ)く照らさない所はない。]

有情(うじょう):情(心の働き、感情)を持つものという意味で、生きているものの総称)

石塔婆下方、刻銘(願文) 刻銘:永享十一年(1439)、己未、七月日

刻銘は、中央に「永享十一年(1439)、己未、七月廿九日の紀年銘、その向って右に金清律師施主」と刻んでいる。

多福院 山門脇文明十七年銘種子石塔婆

 多福院(たふくいん)山門脇 本堂側 石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)

  剥落・摩耗のため種子は不明、室町時代中期 文明十七年(1485)の紀年銘がある。

多福院 種子石塔婆(市指定文化財、室町時代中期 文明十七年 1485年、粘板岩、高さ 93Cm 幅 32Cm)

石塔婆は剥落、摩耗があり、種子は不明、その下に梵字光明真言、下方に紀年銘を刻む。

光明真言 (梵字)

種子の下に四行で刻まれている。

光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ」、「シャナ、マ、カーボ、ダラ」、「マ、ニ、ハンドマ、ジンバ、ラ」、「ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン、ダ」

石塔婆下方、刻銘 (紀年銘)

下方中央に「文明十七年(1485)、乙巳、・・・・・の紀年銘、

多福院 山門脇観音種子石塔婆

 多福院(たふくいん)山門脇 本堂側 石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)

   「百ヶ日忌」に造立された石塔婆で、本尊として観音種子「サ」を刻んでいる。南北朝時代後期 康暦三年(1381)の在銘。

多福院 観音種子石塔婆(市指定文化財、南北朝時代後期 康暦三年 1381年、粘板岩、高さ 72Cm 幅 30.5Cm)

石塔婆は、上部に百ヶ日忌の本尊 観音種子「サ」、下方に百ヶ日忌と記した願文と紀年銘を刻んでいる。

碑面上方、主尊種子「サ」

百ヶ日忌の本尊 観音菩薩の種子「サ」を薬研彫する。

石塔婆下方、刻銘

下方中央に「右志者 康暦三年(1381)三月十三日」の紀年銘、

その両側に「過去悼律師一百ヶ日忌辰、乃至法界衆生・・・・・・・・・・」と刻んでいる。

[ 口悼律師 百ヶ日忌の追善供養の為、南北朝時代後期 康暦三年(1381)三月十三日に造立された。]

※ 多福院と慈恩院の石塔婆(当HP,掲載分) 時代別一覧

  多福院 山門脇 永仁三年銘大日種子石塔婆                   石仏と石塔-目次!

多福院(たふくいん)山門脇 石塔婆群 (市指定文化財、鎌倉時代後期~室町時代、粘板岩)

山門脇石塔婆群は、山門側に前列七基、後列約二十基、やや本堂よりに約十五基が立っている。

 板碑(いたび)

*JR石巻線・仙石線 「石巻駅」下車、南東方向へ徒歩 約1.6Km。

(撮影:平成26年4月10日)