多福院 山門脇永仁三年銘大日種子石塔婆

 多福院(たふくいん)山門脇 本堂側 石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)

  種子と名号を刻む複合碑。山門脇石塔婆群で一番古い鎌倉時代後期 永仁三年(1295)の紀年銘がある。

多福院 胎蔵界大日種子石塔婆(市指定文化財、鎌倉時代後期 永仁三年 1295年、粘板岩、高さ 69Cm 幅 23.5Cm)

石塔婆は、上方蓮座上月輪内に胎蔵界大日種子、下方は中央に六字名号、その両側、地中に埋まっている部分に造立趣旨と紀年銘が刻まれている。

碑面上方、主尊種子「ア」

蓮座上月輪内に胎蔵界大日種子「ア」を刻む。

五七日忌(本地仏:地蔵)の碑だが、この時代忌日供養の本尊は決まっていなかった。

石塔婆下方、刻銘

下方中央に大きく「南無阿弥陀仏」の六字名号、

その両側 地中に隠れた部分に「右悲母為三十五日、永仁三年(1295)・・・・・・・・」と刻まれてる。

[ 亡き母の五七日(三十五日)忌供養の為、鎌倉時代後期 永仁三年(1295)に造立された。]

多福院(たふくいん)山門脇石塔婆(断碑)

 多福院(たふくいん)山門脇 本堂側 石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)

  百ヶ日忌(本地仏:観音)の石塔婆で、室町時代前期 応永四年(1397)の紀年銘がある。

多福院 石塔婆(断碑)(市指定文化財、室町時代前期 応永四年 1397年、粘板岩、高さ 88Cm 幅 31Cm)

石塔婆は上部を欠失し、種子は不明、残った上方に梵字光明真言の一部がみえ、下方に紀年銘と造立趣旨を刻む。

光明真言 (梵字)

残部から、四行で刻まれた光明真言と分かる。

光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ」、「シャナ、マ、カーボ、ダラ」、「マ、ニ、ハンドマ、ジンバ、ラ」、「ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン、ダ」

石塔婆下方、刻銘 (全文)

刻銘:應永四年(1397)、丁丑、十月

下方中央に「應永四年(1397)、丁丑、十月廿六日、施主、敬白の紀年銘、

その両側に「右志趣者為 賢守禅師一百ヶ日、忌景乃至法界衆生平等利益也」と刻んでいる。

[ 賢守禅師 百ヶ日忌の供養の為、室町時代前期 応永四年(1397)十月廿六日に造立された。]

多福院 山門脇一尊種子石塔婆

 多福院(たふくいん)山門脇 本堂側 石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)

  「シリー」という珍しい種子を刻んだ石塔婆で、三年忌(本地仏:阿弥陀)に造立されている。室町時代前期 応永七年(1400)の在銘。

多福院 一尊種子石塔婆(市指定文化財、室町時代前期 応永七年 1400年、粘板岩、高さ 60Cm 幅 21.5Cm)

石塔婆は、上部月輪内に種子「シリー」、下方に第三年忌と記した造立趣旨と紀年銘を刻んでいる。

碑面上方、主尊種子「シリー」

月輪内に種子「シリー」を薬研彫する。

「シリー」は、金輪仏頂(最勝仏頂)・吉祥天・一字文殊などを表す梵字。「石巻の歴史第八巻」は、本種子を「金輪仏頂」としている。

石塔婆下方、刻銘

下方中央に「應永七年(1400)四月日、施主、敬白の紀年銘、

その両側に「右志者当宗楪禅尼第三年忌、景乃至明余口同及法界衆生」と刻んでいる。

[ 宗楪禅尼 第三年忌の追善供養の為、室町時代前期 応永七年(1400)四月に造立された。]

「シリー」という珍しい種子を刻んだ石塔婆。 刻銘:應永七年(1400)四月

※ 多福院と慈恩院の石塔婆(当HP,掲載分) 時代別一覧

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多福院(たふくいん)山門脇 本堂側石塔婆群 (市指定文化財、鎌倉時代後期~室町時代、粘板岩)

本石塔婆群は、やや本堂よりに約十五基が立っている。

 板碑(いたび)

*JR石巻線・仙石線 「石巻駅」下車、南東方向へ徒歩 約1.6Km。

(撮影:平成26年4月10日)