多福院(たふくいん)山門脇 後列 石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)
覚鑁(かくばん)著、「孝養集」に引用にされている偈(げ)を刻む石塔婆で、室町時代前期 応永八年(1401)の紀年銘がある。
多福院 阿弥陀種子石塔婆(市指定文化財、室町時代前期 応永八年 1401年、粘板岩、高さ 129Cm 幅 24Cm) |
山門脇石塔婆群の後列、向って右から五基目に立つ。
上部が折れ、修理を施す。主尊に阿弥陀種子、その下に珍しい偈(げ)、下方に十三年忌の願文と紀年銘を刻む。 |
碑面上方、主尊種子「キリーク」
十三仏が定型化すると、十三回忌の本尊は大日如来だが、ここでは阿弥陀種子「キリーク」が刻まれている。
覚鑁(かくばん)著、「孝養集」に引用にされている偈(げ)
偈(げ):「諸仏念衆生(しょぶつねんしゅじょう)、衆生不念仏(しゅじょうふねんぶつ)」「父母常念子(ぶもじょうねんし)、子不念父母(しふねんぶつぶも)」
[ もろもろの仏は衆生を念ずるが、衆生は仏を念じない。父母は常に子を念ずるが、子は父母を念じない。]
石塔婆下方、刻銘 | 刻銘:「應永八年(1401)六月十日」 |
刻銘は、中央に「右志者為 応應八年(1401)六月十日孝子、敬白」の紀年銘、
その両側に各一行「過去道性禅門十三年忌、乃至法界平等利益故也」と刻んでいる。
[ 本碑は、亡き「道性禅門」 十三回忌供養の為 応永八年(1401)六月十日に子等によって造立された。]
多福院(たふくいん)山門脇後列 石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)
智西禅尼 三十三回忌供養の為、造立された石塔婆で、室町時代前期 応永八年(1401)の紀年銘がある。
多福院 種子石塔婆(市指定文化財、室町時代前期 応永八年 1401年、粘板岩、高さ 94Cm 幅 23Cm 厚さ 18Cm) |
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頭部はアーチ型。身部は、上方に種子「ボーン」、下方に「智西禅尼」三十三回忌供養の願文と紀年銘を刻む。 |
刻銘は、中央に「応應八年(1401)六月 日 孝子敬白」の紀年銘、
その両側に各一行「右志者為智西禅尼三十三廻之、忌景乃至法界平等利益」と刻んでいる。
[ 本碑は、智西禅尼 三十三回忌供養の為、室町前期 応永八年(1401)六月に子等により造立された。]
碑面上方、主尊種子「ボーン」
種子「ボーン」を薬研彫する。「石巻の歴史第八巻」は、本種子を「馬頭観音」としている。
種子は、「ボ」(准胝観音)に修業点(アー)で「ボー」(馬頭観音)、さらに空点(アン)がつき「ボーン」になると思われる。
刻銘:「應永八年(1401)六月 日」 | 刻銘:「智西禅尼三十三廻之」 |
多福院(たふくいん)山門脇 石塔婆群 後列部分 (市指定文化財、室町時代前期、粘板岩)
中央が応永八年(1401)銘 阿弥陀種子石塔婆。
*JR石巻線・仙石線 「石巻駅」下車、南東方向へ徒歩 約1.6Km。
(撮影:平成26年4月10日)