多福院 山門脇不動三尊種子石塔婆

 多福院(たふくいん)山門脇 後列 石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)

  不動三尊種子を荘厳体で刻んだ珍しい石塔婆で、室町時代前期 応永五年(1398)の紀年銘がある。

多福院 不動三尊種子石塔婆(市指定文化財、室町時代前期 応永五年 1398年、粘板岩、高さ 124.5Cm 幅 25Cm)
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荘厳体の種子で不動三尊を刻む。石仏の不動三尊は見かけるが、種子では珍しい。。下方に願文と紀年銘を刻む。

※ 石仏不動三尊を刻んだ桃尾の滝(もものおのたき)不動三尊磨崖仏鎌倉時代後期、奈良県天理市)

中尊 不動明王の種子「カーンマーン」

不動明王の種子「カーンマーン」荘厳体で刻み、絵画的要素を加味する。

       制叱迦童子の種子「セイタカ」             矜羯羅童子の種子「コンカラ」

不動明王の脇侍、矜羯羅童子の種子「コンカラ」と制叱迦童子の種子「セイタカ」荘厳体で刻み、絵画的要素を加味する。

石塔婆下方、刻銘

刻銘は、中央に「応應五年(1398)、戊刁(寅)四月廿八日、口口、敬白の紀年銘、

その両側に各一行「右志者菩提(異体文字)以不動諸口口口口口、志本七分全得乃至法界平等利益也」と刻んでいる。

刻銘:応應五年(1398)、戊刁(寅)四月廿八日 刻銘:七分全得

願文にある「七分全得」という言葉は、生前に自分の死後の為の供養(逆修)を積んでおくと、死後におけるすべての功徳は自分が得られる。

死後の追善は、死者が益を受けること極めて少なく、福を七分して、死者が一分を得られ、六分は供養した人が受ける。逆修の功徳は全得と説く。

多福院 山門脇阿弥陀種子石塔婆

 多福院(たふくいん)山門脇後列 石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)

  主尊に阿弥陀種子、身部に浄土教古徳之偈を刻んだ石塔婆で、室町時代前期 応永五年(1398)の紀年銘がある。

多福院 阿弥陀種子石塔婆(市指定文化財、室町時代前期 応永五年 1398年、粘板岩、高さ 119.5Cm 幅 26.5Cm)
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頭部はアーチ型。身部は、上方に阿弥陀種子「キリーク」、その下に浄土教古徳之偈、下方に願文と紀年銘を刻む。

主尊種子「キリーク」

阿弥陀如来の種子「キリーク」薬研彫する。

浄土教古徳之偈

偈(げ):「十方三世仏(じっぽうさんぜぶつ)、一切諸菩薩(いっさいしょぼさつ)、八万諸聖教(はちまんしょしょうぎょう)、皆是阿弥陀(かいぜあみだ)

[ 十方三世の御仏、一切の諸菩薩、八万の諸聖教は、みなこれ阿弥陀 也 ]

石塔婆下方、刻銘(全文) 刻銘:応應五年(1398)、戊刁(寅)四月

刻銘は、中央に「応應五年(1398)、戊刁(寅)四月十四日、敬白の紀年銘、

その両側に各一行「右志者為妙性禅尼頓證菩提(異体文字)、乃至法界平等利益故也」と刻んでいる。

[ 本碑は、妙性禅尼追善供養の為、室町前期 応永五年(1398)四月十四日に造立された。]

※ 多福院と慈恩院の石塔婆(当HP,掲載分) 時代別一覧

  多福院 山門脇 地蔵種子石塔婆                          石仏と石塔-目次!

多福院(たふくいん)山門脇 石塔婆群 後列部分 (市指定文化財、南北朝~室町時代前期、粘板岩)

中央が不動三尊種子石塔婆。

 板碑(いたび)

*JR石巻線・仙石線 「石巻駅」下車、南東方向へ徒歩 約1.6Km。

(撮影:平成26年4月10日)