多福院 山門脇地蔵種子石塔婆

 多福院(たふくいん)山門脇 後列 石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)

  五七日忌に造立された石塔婆で、主尊に地蔵種子「カ」を刻む。南北朝時代後期 至徳四年(1387)の在銘。

多福院 地蔵種子石塔婆(市指定文化財、南北朝時代後期 至徳四年 1387年、粘板岩、高さ 93Cm 幅 31Cm)

頂部を剥離する。身部は、上方に五七日忌の本尊 地蔵種子、下方は全良禅師五七日忌の願文と紀年銘を刻む。

主尊種子「カ」

五七日(三十五日)忌の本尊 地蔵菩薩の種子「カ」薬研彫する。

石塔婆下方、刻銘

刻銘は、中央に「右意趣者為 至徳二二(四)(1387)、丁卯十月廿一日、敬白の紀年銘、

その両側に各一行「全良禅師五七日之忌晨、乃至法界平等利益故也」と刻んでいる。

(尚、至徳四年は八月二十二日迄で、刻銘の十月二十一日は改元され嘉慶元年になる。)

刻銘:至徳二二(四)(1387)、丁卯、十月 刻銘:全良禅師五七日之

多福院 山門脇阿弥陀種子石塔婆

 多福院(たふくいん)山門脇後列 石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)

  主尊に阿弥陀種子、身部に梵字光明真言を刻んだ石塔婆で、南北朝時代後期 至徳四年(1387)の紀年銘がある。

多福院 阿弥陀種子石塔婆(市指定文化財、南北朝時代後期 至徳四年 1387年、粘板岩、高さ 117Cm 幅 33.5Cm)

頭部は破損する。身部は、上方に阿弥陀種子「キリーク」、その下に梵字 光明真言、下方に願文と紀年銘を刻む。

主尊種子「キリーク」

阿弥陀如来の種子「キリーク」薬研彫する。

石塔婆下方、刻銘 刻銘:至徳二二(四)(1387)、丁卯、七月

刻銘は、種子の下に「梵字光明真言」、下方中央に紀年銘、その両側に各一行願文を刻んでいる。

光明真言 (梵字)

阿弥陀種子の下に四行で刻まれている。

光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ」、「シャナ、マ、カーボ、ダラ」、「マ、ニ、ハンドマ、ジンバ、ラ」、「ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン、ダ」

石塔婆下方、刻銘(全文)

下方中央に「右志趣者 至徳二二(四(1387)、丁卯七月廿五、敬白の紀年銘、

その両側に各一行「相当妙一禅尼七分全得成、比恵葉乃至法界平等利益故也」と刻んでいる。

尚、通常は願文の冒頭部分にある「右志趣者為」の部分が、中央の紀年銘の上にある。これも武蔵型板碑には見られない特長。

多福院 山門脇地蔵種子石塔婆

 多福院(たふくいん)山門脇後列 石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)

  五七日忌に造立された石塔婆で、主尊に地蔵種子「カ」を刻む。南北朝時代後期 康応元年(1389)の在銘。

 多福院 地蔵種子石塔婆(市指定文化財、南北朝時代後期 康応元年 1389年、粘板岩、高さ 100Cm 幅 30Cm) 

道正禅門 五七日忌供養のため造立された石塔婆で、身部上方にその本尊 地蔵種子、下方は五七日忌の願文と紀年銘を刻む。

主尊種子「カ」

五七日(三十五日)忌の本尊 地蔵菩薩の種子「カ」薬研彫する。

石塔婆下方、刻銘(全文)

刻銘は、中央に「右志者為 康応元年(1389)、己巳七月十五口の紀年銘、

その両側に各一行「過去道正禅門五七日之忌・・・、乃至法界平等利益故也」と刻んでいる。

[ 本碑は、道正禅門の五七日忌供養の為、南北朝後期 康応元年(1389)七月十五日に造立された。]

刻銘:康應元年(1389)、己巳、七月 刻銘:道正禅門五七日之忌

※ 多福院と慈恩院の石塔婆(当HP,掲載分) 時代別一覧

  多福院 山門脇 不動種子石塔婆                          石仏と石塔-目次!

多福院(たふくいん)山門脇 石塔婆群 後列部分 (市指定文化財、南北朝~室町時代前期、粘板岩)

中央 不動三尊種子石塔婆の向って左隣に至徳四年(1387)銘阿弥陀種子石塔婆が立つ。

 板碑(いたび)

*JR石巻線・仙石線 「石巻駅」下車、南東方向へ徒歩 約1.6Km。

(撮影:平成26年4月10日)