多福院 山門脇不動種子石塔婆

 多福院(たふくいん)山門脇 後列 石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)

  主尊に不動種子「カーン」を刻む石塔婆で、室町時代前期 永享三年(1431)の在銘。珍しい偈を刻む。

多福院 不動種子石塔婆(市指定文化財、室町時代前期 永享三年 1431年、粘板岩、高さ 111.5Cm 幅 27.5Cm)

石塔婆は、上方に不動明王の種子、その下に「金光明経巻第二に出る偈(げ)、下方は願文と紀年銘を刻む。

主尊種子「カーン」

蓮座の上に不動明王の種子「カーン」刻む。

金光明経巻第二に出る偈(げ)

偈(げ):「佛身法身(ぶっしんほっしん)、猶如虚空、応物現形 、如水中現(月)

[ 仏身と法身とは、なお虚空の如く、機縁に応じて形を現(あらわ)すこと、水中に現れる(月)の如し。 ]

(仏身:仏陀の身体。    法身:真理そのもの仏陀の本体、色も形もない永遠不滅の真実の当体。

虚空:何も妨げるものがなく、すべてのものの存在する場所としての空間。)

石塔婆下方、刻銘(全文) 刻銘:永享三年(1431)三月

刻銘は、中央に「右為意趣者 永享三(1431)、口口三月上旬、敬白の紀年銘、

その両側に各一行「伏願重海禅尼七分全得忌辰、出離生死頓証菩提平等利益故也」と刻んでいる。

多福院 山門脇虚空蔵種子石塔婆

 多福院(たふくいん)山門脇後列 石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)

  逆修三十三年相当供養として、室町時代前期 永享五年(1433)造立された石塔婆で、三十三回忌の本尊 虚空蔵種子を刻んでいる。

多福院 虚空蔵種子石塔婆(市指定文化財、室町時代前期 永享五年 1433年、粘板岩、高さ 106.5Cm 幅 41.5Cm)

石塔婆は、上方月輪内に 虚空蔵種子「タラーク」、月輪の内側に沿って「大日如来 法身真言」、その下に光明真言、下方に願文と紀年銘を刻む。

主尊種子、「タラーク」

「三十三年忌」の本尊 虚空蔵菩薩の種子「タラーク」を月輪内に薬研彫する。

さらに、月輪の内側下方 六時の位置から時計方向に「オン、ア、ビ、ラ、ウン、ケン」(大日如来報身真言)を刻む。

光明真言 (梵字)

通常、二行か四行で刻まれているが、ここでは五行で刻まれている。

光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ」、「ロ、シャ、ナ、マ、カー」、「ボ、ダラ、マ、ニ、ハン」、「ドマ、ジンバ、ラ、ハラ、バ」、「リタ、ヤ、ウーン、ダ」

石塔婆下方、刻銘(全文)

下方中央に「右志者 永享五(1433)、癸丑二月日、施主、敬白の紀年銘、

その両側に各二行「為重戒大姉逆修作善資糧、此者三十三廻忌辰」、「出離生死頓証菩提、乃至法界平等利益故也」と刻んでいる。

[ 重戒大姉の逆修三十三年相当供養として、室町時代前期 永享五年(1433)二月に造立された。]

多福院 山門脇胎蔵界大日種子石塔婆

 多福院(たふくいん)山門脇後列 石塔婆群 (宮城県石巻市吉野町1-4-9)

  七年忌に造立された石塔婆で、主尊に胎蔵界大日種子「アーク」を刻む。室町時代前期 応永二十九年(1422)の在銘。

多福院 胎蔵界大日種子石塔婆(市指定文化財、室町時代前期 応永二十九年 1422年、粘板岩、高さ 48Cm 幅 28Cm)

喜阿禅門 七年忌供養のため造立された石塔婆で、身部上方に胎蔵界大日種子「アーク」、下方は願文と紀年銘を刻む。

主尊種子、「アーク」

胎蔵界大日如来の種子「アーク」薬研彫する。(七年忌の本尊は阿閦如来「ウーン」)

十三仏が確定する前の時期、七年忌の本尊として「アーク」が良く刻まれている。

光明真言 (梵字)

光明真言:「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ」、「シャナ、マ、カーボ、ダラ」、「マ、ニ、ハンドマ、ジンバ、ラ」、「ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン、ダ」

石塔婆下方、刻銘(全文)

刻銘は、中央に「右志者 応永二十九年(1422)四月二十八日の紀年銘、

その両側に各一行「為喜阿禅門七年忌、乃至法界平等利益故也」と刻んでいる。

[ 本碑は、喜阿禅門の七年忌供養の為、室町時代前期 応永二十九年(1422)四月二十八日に造立された。]

※ 多福院と慈恩院の石塔婆(当HP,掲載分) 時代別一覧

  多福院 山門脇 応永九年銘種子石塔婆                      石仏と石塔-目次!

多福院(たふくいん)山門脇 石塔婆群 (市指定文化財、鎌倉時代後期~室町時代、粘板岩)

山門脇石塔婆群は、山門側に前列七基、後列約二十基、このグループからやや本堂よりに約十五基が立つ。

 板碑(いたび)

*JR石巻線・仙石線 「石巻駅」下車、南東方向へ徒歩 約1.6Km。

(撮影:平成26年4月10日)