龍澤寺(りゅうたくじ)金剛界大日三尊種子石塔婆

 龍澤寺(りゅうたくじ)(岩手県一関市中里字沢田17)

  大日(金)・釈迦・阿弥陀の三尊を主尊とする石塔婆で、鎌倉時代中期 弘安四年(1281)の紀年銘がある。

龍澤寺 金剛界大日三尊種子石塔婆(市指定文化財、鎌倉時代中期 弘安四年 1281年、粘板岩、高さ 171Cm 幅 53.5Cm)

頭部ドーム形、身部は上方に大日(金)・釈迦・阿弥陀の三尊種子、その下に涅槃経に出る偈、身部下方に願文と紀年銘を刻む。

本堂後方の墓地、その中腹に立っている。石材は、宮城県石巻市を主産地とする「井内石(稲井石)」(粘板岩)を使用する。

身部上方、三尊種子

上方に金剛界大日の種子「バン」、向かって右下に釈迦如来の種子「バク」、左下に阿弥陀如来の種子「キリーク」を刻む。

涅槃経に出る偈(げ)

三尊種子の下、涅槃経に出る偈(げ)が刻まれている。

(げ):「諸行無常(しょぎょうむじょう)」「是生滅法(ぜしょうめっぽう)」「生滅々已(しょうめつめつい)」「寂滅為楽(じゃくめついらく)

[ 諸行は無常である。これ生滅の法である。生滅を滅しおわりて、生も滅もない寂滅を楽しみとする。]

石塔婆下方、願文と紀年銘 現地石塔婆説明板(部分)

下方の刻銘は、中央に「弘安四(1281)、辛巳、八月日」、左右に「右志者為先師理壱仏身出離生死」、「乃至法界平等利益故也境照沙門」と刻む。

境照沙門が、先師 理壱仏身の追善供養として鎌倉時代中期 弘安四年(1281)八月に本石塔婆を造立した。

身部 下端

刻銘:「弘安四(1281)、辛巳、八月日」 石塔婆、側背面

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龍澤寺(りゅうたくじ)(曹洞宗)

藤原秀衝の三男 「泉三郎忠衝」が、文治二年(1186) 東山舞草の龍ケ沢に天台宗 龍澤寺を建立したのを始めとする。

 板碑(いたび)

*JR 東北本線 「山ノ目駅」下車、南西方向へ徒歩 約4分。

(撮影:平成26年4月14日)